第3話 退屈で自由な死体です。

 

 ジュリが料理長に伝えてくれたお陰で、翌朝は食事が出されることはなかった。お茶も断った為、テーブルには水の入ったピッチャーとグラスだけが置かれている。

 本当は水も必要ないのだけど……さすがに怪しまれてしまうわよね。

 ピッチャーからグラスへ水を注ぐと、私はそれを手に中庭へ出た。


 中庭と呼ぶには広すぎる程のそこは、周りを高い柵で囲まれているものの、全く圧迫感がない。

 日当たりも良く、天使の像が微笑む愛らしい噴水や、座り心地の良さそうなブランコベンチまであった。


 赤、桃色、紫、水色、白……

 色や種類ごとに、美しく咲く花壇へ近付く。グラスの水を少しずつ土に注げば、どの花も嬉しそうに飲み干してくれた。

 最後のひと雫が、マリーゴールドの黄色い花びらにポタリと落ちる。それは朝日にキラキラと光り、眩暈がする程眩しく見えた。

 ……あなた達は生きているのね。


 花や草木と違い、自分は陽を浴びると腐敗が進んでしまう。うっかり帽子を被り忘れたことに気付き、部屋へ戻ろうとした時だった。


 パサリ


 何かが空から花壇へ落ちた。見上げると、カラスが一羽、鳴きながら旋回している。

 死体とバレたら襲われるかもしれない……。

 恐怖のあまり動けずにいたが、しばらくすると諦めて去ってくれた。


 ふうと胸を撫で下ろし、花壇に目をやれば、マリーゴールドの根元にキラリと光る物が見える。手を伸ばし掴んだそれは、金色の紙とリボンに包まれた、とても軽い何かだった。


 ……お菓子? 軽いけど随分固いのね。


「すみません、そこのお庭に何か落ちましたか?」


 柵の向こうから聞こえたのは、子供の高い声。目隠し用の柵だから、姿はよく見えないけれど……このお屋敷で子供と言ったら……!

 夕べ辺境伯様から注意を受けたばかりなのに、早速接触してしまうなんて……部屋を出なければ会わないんじゃなかったの?

 どうしようと考えあぐねていると、もう一度呼び掛けられた。


「カラスが大事なものを持っていってしまったんです。もし落ちていたら返してください」


 ……喋らなければ大丈夫かしら。

 声の方へ近付くと、なるべく自分の顔が見えないようにしゃがみ、柵の下の細い隙間に金色の何かを差し入れる。ふっくらした小さな手がそれを受け取り、嬉しそうに言った。


「ありがとうございます!」


 パタパタと元気な足音が、遠くへ駆けて行く。


 ……自分とは違い、生命力に溢れていた瑞々しい手。少しだけ触れてしまった指先の温もりは、柔らかく、とても尊かった。

 痩せた掌をギュッと握ると、空のコップを手に部屋へ戻った。




 ────嫁いだ翌日早々に、私は気付いてしまった。部屋に閉じこもっているのは退屈だということに。

 きっと辺境伯様のお心遣いだろう。部屋には私が退屈しないようにと、あらゆる娯楽の品が揃えられている。女性が好みそうな本がぎっしり詰まった本棚、色とりどりの刺繍糸や美しい布を収めた裁縫箱。絵を描く道具や、なんと奥にはグランドピアノまで。


 まともな教育を受けられなかったから……生活には困らない程度の読み書きは出来るものの、本を楽しむ程の教養はない。絵の描き方もよく分からないし、ピアノなんて当然弾ける訳もない。


 そう、私はたったひと月の、付け焼き刃の淑女教育だけでここに嫁いでしまったのだ。

『娘の病状が安定しない為、比較的体調が良い内に早めに嫁がせたい』

 そんな表向きの事情を受け入れ、急だったにもかかわらず、こうしてお部屋を整えてくださった辺境伯様には感謝しかない。退屈なんて言ったらバチが当たってしまうのに。


 私の出来ることといったら、掃除に洗濯に汚物の処理、そして……

 立派な裁縫箱を見れば、辛い記憶ばかりが甦る。



『まだこれしか出来ていないのか! 明日の夜会までに仕上げろと言っただろう!』

『申し訳ありません。デザインの変更があったものですから……』

『お前の手が遅いせいだろう! 言い訳するのか!』

『申し訳ありません……必ず間に合わせますから……申し訳ありません……』



 唯一得意な刺繍は、義母や腹違いの姉達のドレスの為に使われた。卑しい身で、容姿は醜く魔力もない。こんな自分でも人の役に立てるのだと言い聞かせながら、夜通し針を刺した。

 ……折角死ねたのだから、もう二度と針は持ちたくない。


 せめて昼寝でも出来ればいいが、死体だから全く眠くない。ひと晩がもう長くて長くて。

 針を指に刺してドレスを汚してしまうのでは……と怯えていたあの夜の睡魔を、今、全部引き受けられたらいいのに。


 裁縫箱を見えない所へしまおうとした時、きらりと光るものに気付いた。白木の蓋からはみ出しているそれは、どうやら金の刺繍糸のようだ。さっき中を見て蓋をしめる時に、引っ掛けてしまったのだろう。

 もう一度蓋を開けて指でつまんだその糸は、何故かあの子の指のように温かい気がして……そのまま動けなくなってしまった。


 そうか……もう私は、“誰かの為” に針を刺さなくていい。“自分の為” に好きなものを描ける。

 “退屈” じゃなくて、“自由” なのね。


 震える指で針を取ると、温かな糸を穴に通し、真っ白な布に夢中で金の絵を描いていった。



 ◇


 希望通り昼食も出されなかった為、ジュリが一度身体の様子を窺いに来た以外は、ずっと針を動かし続けていた。


 振り子時計が二時を知らせた頃、突然、辺境伯様が部屋にやって来た。

 私をお呼びになるのではなく、自らいらっしゃるなんて……

 もしかしたら何かに勘づかれ、抜き打ちで偵察に? と緊張が走る。布をテーブルに置き、慌てて立ち上がった。


「突然すまない。“聖なる日” のことで話をしたいのだが……少し時間を頂けるだろうか」

「はい。どうぞこちらへ」


 気が動転しすぎた私は、ソファーの存在をすっかり忘れ、裁縫道具が散らばるテーブルの椅子を引いてしまった。


「……辺境伯様?」


 アイスブルーの瞳が、冷たくテーブルを見下ろしている。お怒りになったのだろうかと、急いで裁縫道具を掻き集めていると、その手首をぐっと掴まれた。いつの間にか、彼の反対の手には、ついさっきまで絵を描いていた布が掲げられている。


「……これは何だ」


 私へ向かうその顔は、昏く、激しい怒気をはらんでいた。

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