後妻になった死体です。~一年後には棺へ戻るのでお気遣いなく~
木山花名美
第1話 ドレスを着た死体です。
くんくん……くんくんくん
ふわりと膨らんだ薄桃色の袖に鼻を当て、自分のにおいを嗅ぐ。
死臭は……しないわよね。消臭効果のある香水も沢山振り掛けてきたし、きっと大丈夫。
貴族令嬢らしからぬ振る舞い。咎められるかとチラリと斜向かいを見やるも、実家から連れて来た私の侍女は微動だにしない。地味な濃紺の服に身を包み、しゃんと伸ばした背筋を一ミリも崩すことなく、ただ前を向いて座っていた。
『ジュリ』という名前と『本当のお役目』以外は何も知らない。そんな彼女と、私は今、嫁ぎ先へ向かっている。
ガタガタと揺れ出した車輪。舗装されていない道が、目的の領地に入ったことを知らせる。
激しい振動に骨がバラバラにならないか心配になるも、今のところは薄い肉も脆い皮膚も突き破ることなく耐えている。
こんなに揺られても、全く酔う気配がないなんて。……病で苦しんだあの日々を思えば、死体というのは想像以上に快適なものだった。
日が沈む前に、何とか辺境伯邸へ到着した我が一行。門番に通され敷地内に進むと、馬車の音を聞きつけたらしい数人が屋敷から出て来てくるのが見えた。
……契約結婚なのに、出迎えてくださるなんて親切ね。少しでも皆様に不快感を与えないようにしないと。
鞄から取り出した鏡に映るのは、塗りたくったチークも意味を成さない白い顔。痩せた頬の僅かな肉を、骨張った指でぎゅっとつまめば、幾らかは赤みが差してくれた。
馬車の扉が開けられ外に出ると、そこには上級使用人らしき男女が数人と……その奥に、一際背が高く貫禄のある黒髪の男性が立っていた。
きっとこの人が……
「我が辺境伯邸へようこそ。私が当主のキリル・ツィンベルクです」
切れ長の美しいアイスブルーの瞳は少しも緩むことなく、薄い唇だけがパクパクと無機質に動く。
折角新鮮な血が巡っているのに、纏うオーラは凍てつく程冷たい。その姿は、本当に死んでいる自分とあまり変わらない気がした。
「バラク侯爵の三女、セレーネ・モルゴットと申します。お出迎えいただきありがとうございます」
パニエやレースを限界まで重ねた、ボリュームたっぷりの薄桃色を広げ礼をしていると、後ろでズルリと奇妙な音がした。
振り向けば真っ青な顔をしたジュリが、口元を手で覆い、車輪の前に崩れ落ちている。
「……大丈夫?」
しゃがんで肩に手を添えれば、ふるふると力なく首を振られる。
「車に酔ったのでしょう。あの道は慣れている者でも身体に負担がかかりますから。早く休ませてあげなさい」
辺境伯様の命で、ジュリは使用人達に支えられながら屋敷へ入っていく。その後ろ姿を見送っていると、静かに問われた。
「貴女は大丈夫なのですか? ……お顔の色が優れないようだが」
あら、あんなにつねったのに、もう効果切れ?
「はい。どうやら車酔いには強い体質のようです」
にこりと微笑んでみせれば、アイスブルーの瞳が少しだけ開いた気がした。
……怪しまれちゃった?
◇
案内された部屋で少し休息を取った後、侍従に呼ばれ辺境伯様の執務室へ向かった。
深い青と茶色を基調としたシックな室内。ソファーに向かい合って座ると、辺境伯様は一枚の紙を私の前に置く。それにじっと視線を落としていると、あの薄い唇が無機質に開いた。
「……長旅でお疲れのところ申し訳ないが、先に契約内容を確認させていただきたい」
それが……全く疲れないのよね。死体だから。
「はい……よろしくお願い致します」
怪しまれないように、今度は弱々しく答えてみたけれど、アイスブルーの瞳がまた開いた気がした。
「……まず、この結婚は、一年間の契約結婚である。一年後には、いかなる事情があっても速やかに離縁していただく」
「はい」
“いかなる事情があっても” という部分に安堵する。こちらも一年後には、速やかに棺に戻らないといけないのだから。
「次、妻の同伴が必須の用事以外は、外出を制限させていただく。私の妻であった痕跡を、なるべく残さないで欲しい。結婚式も挙げない」
「はい」
外出をすると身体のメンテナンスが大変だもの。こちらも助かるわ。どうか一年の間に、“妻の同伴が必須の用事” がありませんように。
「屋敷の中も行動を制限させていただく。決められた範囲の外には出ないように」
「はい」
出ない出ない。なるべくジュリ以外の使用人とは顔を合わせたくないし。
「月一回の聖なる日以外は、食事も自分の部屋で摂って欲しい。貴女の部屋には、浴室に不浄、広めの中庭も付いている為、生活に不便はないだろう」
「はい」
本当の本当に引きこもれるのね! これは助かるわ。辺境伯様が、契約妻と “聖なる日” を過ごされるのは意外だけど。
「……言うまでもないが、私が貴女と寝室を共にすることはない」
「はいっ!」
共にされたら困ってしまうわ。こちらからは訊きづらかったから、はっきり言ってもらえてよかった……ふう。
喜びが顔に出てしまっていたのか、辺境伯様は私を見てゴホンと咳払いをする。そして、今までで一番冷たい声で、次の言葉を放った。
「それから……息子のヘリオスには、絶対に接触しないで欲しい」
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