10話 ヒロインと『あーん』しないと駄目です
「……で、でかすぎんだろ……」
運ばれてきた凄くデカくて凄いパンケーキは想像よりも凄くてめちゃくちゃに凄く、そして凄くデカくて、それはもう凄かった。
いや、こんな描写をしていたら絶対に目の前にいる先輩にからかわれるだろうから、もう少し真面目にパンケーキの説明をしたいと思う。
6枚に重なったパンケーキの間にはイチゴ、キウイ、バナナなどの色とりどりのフルーツが煌びやかにサンドされており、その合間から塗られた純白の生クリームが挟まっているのが目に見える。
天辺には芸術的にデコレーションされたホイップクリームにもっと食せと言わんばかりのフルーツの山。更にはバニラアイスが2人分乗せられており、もはやこれはおやつだとかデザートというよりも、一種のカロリー兵器であった。
また注文の際のオプションで書かれたと思われる『カップル開始1日目♡』だなんていう言葉がチョコレートソースで記されており、ご丁寧にもチョコで書かれたハートマークの中には真っ赤なストロベリーソースで満たされている。
「メニューで見るよりも凄いボリューム感ですね。これを1人で食べるのは流石の詩乃お姉ちゃんでも無理ですから、助けてくださいね覚介くん?」
「っ、は、はい……」
思わず庇護欲に駆られてしまうぐらいのにこやかな笑みを浮かべる彼女であるのだが、流石にこれを食するのは物理的にも難しい事であるらしい。
とはいえ、件のパンケーキがこんなにも凄い量だとは覚悟していなかった。
カップル限定メニュー……即ち、2人で分けて食べ切れるだけの量かつ、SNS映えするほどにインパクトのある量をとことんまで追及したが故に生まれてしまったカロリーモンスター。
これを残さず食べつつ、帰宅した後に待っているであろう夕食を食べられるだろうかと思考を巡らせている間、読書部の部長である月見詩乃は涼しい顔でスマホを駆使して、ぱしゃりぱしゃりと上機嫌な様子でパンケーキの写真を撮っている。
こういう姿を見ると、先輩も何だかんだで女の子なんだよなぁとは思いつつも、俺はそんな彼女にそれとはなしに声を掛けてみる。
「SNSで投稿でもするんです?」
「まさか。私、好きなものはひっそりと独占したいタイプの女の子なので」
そう言いながら彼女は携帯の画面を俺に見せつけてくる。
その画面に写っていたのは今この瞬間に撮影された写真であり、想像通り、でかでかとデコレーションされた豪華なパンケーキの画像がそこにあった。
「おっと。指がうっかり滑りました」
何とはなしに彼女のスマホを覗き込んでいた俺に対して、いかにもわざとらしい芝居がかった物言いでそんな事を口にした先輩は実に力強い指遣いでスマホの画面をスライドさせてみせる。
――その画面に写っていたのは、机に座っている俺の顔。
すなわち、パンケーキではなく俺という一個人を撮影したものと思われる画像なのであった。
「な、な、な……!?」
「ふふっ、覚介くんのお顔は私好みですからね。ついつい無意識に写真を撮ってしまっていました……ね?」
反射的に消してくださいと言いたくなったのだけれども、彼女のような学内美少女論争で一二を争う美少女が俺だけの写真を撮って、それを保存してくれているという事実に思わず胸が弾まずには入られなかった。
「おや? いつもであれば消してくれと懇願する筈ですけれど……もしかして、満更でも無かったり?」
「そ、そんな訳ないですってば……!」
「そういう事にしておいてあげますね」
余裕そうな笑みを浮かべる彼女は互いにパンケーキを食する為にナイフとフォークを手渡してくれるので、それを受け取る。
受け取る際にほんの少しだけ彼女のすべすべとした肌触りの手が触れ、否応なしに色々と意識させられてしまうものの、当の本人は『柔らかかったでしょう?』と言わんばかりに口端を緩めている。
「それでは頂きましょう……と、その前に。覚介くんはパンケーキの写真を撮らなくて宜しかったのですか?」
「……いや、そういうのは別に……興味ないし……」
「それはいけません。自分の記憶能力というのは案外当てにはなりません。小説家になるのでしたら、当時の記録を振り返られる記録媒体を用意するべきです。今は不要でも、その時になって必要になるというのも度々あるとは小耳に挟みます」
何だかやけに実感の籠った意見を口にした先輩ではあった。
俺は彼女に小説執筆が上手くなれるように面倒を見て貰っている訳だし、そもそもの話として彼女の話に頷ける点もあったのでここは大人しく彼女の命令に従ってこのジャンボラブラブパンケーキなる写真をスマホの中に納める。
ぱしゃりぱしゃりと俺が写真を取る最中、月見詩乃は小さく片手でピースをしていたりしていたがここで反応すると後々に彼女にからかわれそうであったので無視を決め込む事を決意したのだが――そんな最中にスマホに1件の通知がやってくる。
送り主は今、俺の目の前にいる美少女先輩。
送られたのはメッセージではなく、画像データであった。
どうしようもなく嫌な予感――きっと、この感情を紐解けば嬉しさが奥底に隠れているのであろう――を自覚しながら、送られてきた画像データに目を通すと、そこには眼前の美少女と相変わらない黒髪の美少女の姿がそこにあった。
画像の背景がここの喫茶店である事から、十中八九、先ほどに撮影したばかりのデータを俺に送り付けてきたのだろう。
「……先輩?」
「プレゼントです。折角の初めてカップル限定メニューを頼んだ日だっていうのに、私の写真を撮らない覚介くんへの贈り物です。どうぞ煮るなり焼くなりその他諸々の手法で楽しんでください……ね?」
「……」
やれやれ、と言わんばかりの表情を浮かべた俺は流れるような動作でその画像データを保存。
取り敢えず、スマホの中に入れて、お気に入り登録した。
「一生大切にしてください……ね?」
そんな事を不敵に笑いながら言ってくる彼女の綺麗が過ぎる顔面を余りに見ないようにしながら、食べる覚悟を決めた俺たちはお互いに両の手を合わせ、目の前にあるパンケーキを二等分に切り分けてから、お互いに食器を鳴らしながら黙々とパンケーキを食し始めた。
食事開始から5分後。
ヤツは動いた。
「はい、あーん」
ニマニマと実に意地悪そうな笑顔を浮かべながら、生クリームがたっぷりと塗られたパンケーキを一口分、フォークの腹に乗せながら、そのフォークの下に落ちてもテーブルが汚れないように片手を差し出した状態で、ヤツは動いた。
――あーん。
言わずと知れた、男であれば誰しもが憧れるような好意。
フォークという人を傷つける事も可能である刃物が、刃物ではないと都合よく解釈できてしまえるような魔性のシチュエーションが今俺の眼前にへと迫っている――!
「……何です」
「ちょっとお腹いっぱいになりました。はい、あーん」
「嫌です。自分で頼んだんですから、ちゃんと自分の分は食べ切ってくださいよ」
俺は精一杯の理論武装で己が身を守るフリをして、何だかんだで先輩がこのクソ雑魚難攻不落の鉄壁を突破してくれるのではないかと、知らず知らずのうちに胸を弾ませていた。
何だろう。
負けるのが分かっていて、勝つフリをして負けるアレに感覚が近くて背徳感がそれはそれは凄い。
「……ふふっ。詩乃お姉ちゃんに隠し事が出来ると思ったんですか? 覚介くんの目、物欲しそうですよ?」
「そ、そんな訳……」
「ありますよ……ね?」
「……」
「はい、あーん」
無駄な足掻きだった。
そもそもの話として、幼稚園の時からこうしてあしらわれ続けている俺が彼女に勝てる筈など只の1度もなかったではないか。
それに……これは小説の取材の為。
そう、だから、しないといけない。
そもそも、悪い事をしている訳なのではないのだ。
だから――別にそれぐらいはいいではないか。
「美味しいですか?」
「……うん、美味しい」
「それは良かった。美味しいモノは我慢せずに食べるのが1番美味しい食べ方ですから……ね?」
そう口にした彼女は何もないフォークを、俺の唾液が少しばかりついているであろうソレを口の中に入れて、軽く口づける。
思わず、ぎょっとしてしまうぐらいの色気が、目の前の彼女にはあった。
「なるほど、確かにこれは美味しいです……ね?」
何もない筈のソレを食した彼女は挑発的な笑みを浮かべては、何事もなかったと言わんばかりにパンケーキをナイフで切り分け、それを再び丁寧にフォークに乗せ。
「あーん」
俺の口が再度、甘さで支配される。
頭の奥までもが駄目になってしまう程の甘さが、目の前にある人の所為で次々とやってきて、本当におかしくなってしまいそうな放課後のデートだった。
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