異世界転生したい後輩と、現世で彼女を幸せにしたい先輩
火海坂猫
プロローグ 異世界転生したい後輩
彼の友人は退屈な毎日の繰り返しだとぼやいていたが、目立ったトラブルもなく毎日確実にやって来る日常というのは安心感がある…………別に軍司は物語の主人公になりたいわけではない。ほどほどに平穏でそこそこな幸せな人生が送れればそれでいいのだ。
まあその割には他人の面倒によく顔を突っ込むというのもその悪友の談ではあるが、その辺りは性分なので仕方ないと割り切っている。周囲からは面倒見がいいと好意的に取られているが、実際のところ軍司自身が我慢ならないだけだ。
自分が平穏であるために周囲にも平穏であって欲しい、ただそれだけなのである。
「やれやれ、今日は少し遅くなったな」
そんな軍司の性分へ皮肉を口にするくせに、課題が間に合わないと彼に泣きついてきた悪友に付き合って時刻はすでに八時。辺りはすっかり暗くなり真面目な学生ならとうに家に帰っている時間帯だ。
軍司は平均よりも背が高く歩いているだけで結構目立つ。高校の制服のままなので警察に補導でもされない内にとっとと家に帰りたいところだった。
「ん?」
それなりに車が多い通りの歩道を歩いていると小さな人影が目につく。その人影が気になったのは軍司と同じ高校の制服を着ていたことと、明らかにその挙動が不審だったからだ。
やや平均よりも小柄に見える体躯のショートカットの少女。彼女は横断歩道のないところから車の行きかう道路に体を向けてじっと流れる車を観察している。
もちろんそれだけならただ無理に道路を渡ろうとしているのかと思う所だが、明らかに道路の空いたタイミングでも少女は渡ろうとはしなかったのだ…………何かを待っているように左右から来る車を見回している。
「…………」
軍司は声をかけようかと一瞬迷ったが、考えてみれば迎えの車を待っていて通る車を確認しているだけかもしれない。気にはなったが声をかけるほどのことでもないだろうと彼はその後ろを通り過ぎようとした。
しかしその瞬間、前方からやってくる大型トラックのライトが目に入り…………次いで喜々として道路に飛び出そうとする少女の姿が映った。
「っ!?」
咄嗟に体が動く。火事場のクソ力か自分でも驚くほど素早く少女へと駆け寄れた。半ば跳び出していた少女の後ろ手を掴み、トラックが目の前を通り過ぎる直前で歩道へと引き戻す…………そのまま勢いよく後ろに倒れてしまうが、少女の身体はしっかりと抱き留めて自分の身体をクッションにした。痛みはあったがそれよりも感情が口から出る。
「馬鹿野郎死ぬ気かっ!」
口にしてありきたりな言葉だと自分でも思ったが、咄嗟に気の利いた言葉なんて浮かんでくるものではない。
「なんで邪魔するんですか!」
それに少女が叫んで返す。けれどそこになぜだか悲壮な様子は全く無く、まるでお気に入りの玩具を直前で取られた怒りのように軍司には思えた。
「目の前で死のうとしている人間がいたら普通は止めるだろう」
とはいえそれは印象でしかないので彼は努めて現実的な返答をする。
「死のうとなんかしてません! 異世界に転生しようとしてたんです!」
「…………?」
その言葉の意味が分からず軍司は首を傾げた。
「異世界、転生とは?」
とんと心当たりのない単語だった。
「知らないんですか!?」
信じられないというように少女が上向きに軍司を見る…………それでようやく彼は彼女を抱きとめたまま倒れていた事を思い出す。先程のトラックは大事無かったからかそのまま通り過ぎて行ったが、この状態であれば余計な人目を集めるのは間違いない。
「聞き覚えがないな…………いや、友人がそんな単語を口にしていた覚えがあるような」
起き上がり、同時に少女を立たせながら軍司は思い返す。ちょうどつい最近課題に苦しむ友人が、異世界転生でもできればこんな面倒から逃げ出せるのにと愚痴っていた気がする。
「異世界転生っていうのは、死んで異世界に転生することですよ!」
「まあ、言葉通りだな」
しかし軍司にはその異世界というのがいまいち想像できなかった。映画や何かで主人公がおかしな世界に迷い込むのは見たことがあるが、大抵はまるで常識の違う世界にカルチャーショックを受けるもので良いものようには思えない。
「というか、やっぱり死ぬつもりだったんじゃないか」
転生なのだからまず死ぬことが前提だろうと軍司は少女を見る。
「何か辛いことがあったなら相談に乗るぞ?」
流石に目の前で自殺されそうになれば彼は放ってはおけない。
「別に死にたいくらい辛いから自殺するわけじゃないです…………私は異世界で
「…………すまん、言ってることが理解できない」
「わかりました! まずあなたに異世界転生の素晴らしさを教えます!」
「いや別に…………わかった」
別に知りたくは無かったが、少女の前向きな自殺とでもいうべき行動を止める手掛かりになるかと軍司は頷くことにした。
「まず異世界はですね、剣と魔法のファンタジーな世界です」
「ああ…………そういう異世界か」
軍司だって幼い頃は漫画を読んでいたし、今も嗜む程度ではあるがゲームをやることはある。だからそういった世界は想像できるし憧れる気持ちもわからなくはない。
「それでですね、異世界に転生すると特典があるんです」
「特典?」
「はい。それはですね、異世界チートって呼ばれてる特典です!」
「…………異世界チート?」
とんと意味が分からず軍司は首を傾げた。
「異世界チートはですね、異世界に転生する人に神様が授けてくれる凄い力なんです」
「具体的には?」
「異世界の人達の平均を遥かに
例えば魔法であれば強力なドラゴンをも一瞬で倒してしまうようなものであり、武術であればどんな達人でも一ひねりにしてしまうような絶技だと少女は説明する。
「その力を使ってすごい活躍をして異世界の人達にちやほやされるんですよ!」
「ふむ」
そんな立場になればそれは確かに楽しいだろうと軍司にも想像できる。
「だけどまず死ぬんだよな?」
しかし根本的な問題がどうしても彼には引っかかる。
「はい、転生ですから!」
けれど目の前の少女はまるで引っかからないらしい。
「駄目だったら、どうするんだ?」
「駄目って何がですか?」
「つまり、そのだ…………死んでも転生できなかったら」
死んでも少女の言う通りに異世界に転生できるならいいだろう。しかし出来なかったらただ死ぬだけだ…………そして軍司の知る限り死んで異世界に転生できるなんて話は今のところ証明されていない。
「大丈夫です、出来ますから!」
しかし少女は自分が転生できると一切疑っていないらしかった。
「…………」
これは単純に死ぬことを説得するのは厳しいなと軍司は感じた。人間が生物である以上死ぬことが最大のリスクであるはずなのだが、自分は転生できると疑っていない目の前の少女にはそれがリスクになっていない。
かといって転生なんて絶対にないと証明することも出来ないだろう。存在しない事を証明するのは悪魔の証明であり、存在することを証明することよりも遥かに難しいのだから。
「あー、そのだ…………死ぬのにはトラックが必須なのか?」
ゆえに攻める方向を軍司は変えることにした。
「はい、一番メジャーですから!」
何がメジャーなのかは彼にはわからないが、少女は勢いよく頷いた。
「死ななかったら、どうするんだ?」
「え!?」
「いやほら、トラックに轢かれたからって必ず即死するわけじゃないだろう? 運転手の反応が早ければ減速だってされるだろうし、それで即死しなければ救助が間に合うかもしれない」
先ほどのトラックだってそれほどスピードが出ていたわけではなかったので充分あり得る可能性ではあるだろう。しかも即死はしなくとも重傷を負う可能性は高いのだ………骨折どころか四肢欠損や半身不随などの重い障害を負うかもしれない。
「う」
その可能性はまるで考えていなかったのか少女が顔を引きつらせる。
「そ、そうなったとしても自己責任ですから!」
けれどすぐにそれを振り払うように叫ぶ。しかしそれは甘い考えだと軍司は思う。
「自己責任というが、君は他人にかける迷惑は考えたことがあるのか?」
「え、でも死ぬのは私で…………」
「君が突っ込もうとしているトラックは無人じゃないんだぞ」
トラックには当然運転手が乗っており、人を撥ねれば道路交通法に従って罰則を受ける。
「その原因が被害者の飛び出しにあったとしても運転手は責任を問われる…………それに仮に法的な罰を受けなくたって人を殺した罪を一生背負うことになってしまう」
下手をすれば一生モノのトラウマだ。仮に法律が無罪にしても人を殺したという事実は運転手を苦しめるだろう。トラックどころか車すら運転できなくなるかもしれないし、ひどければ日常生活にも支障をきたすかもしれない。
「まあ、どうせ自分は死んで転生するからそんなことはどうでもいいというなら問題はないが」
「…………」
あえて突き放すように口にすると少女はしゅんと表情を暗くする。その様子に少なくとも自分が良ければいいというタイプではなさそうだと軍司は
「わかりました! トラック転生は諦めます!」
しかし少女の切り替えは早かった。次なるやる気に溢れるその表情に彼は不安を覚える。
「トラック転生は、ってことは…………」
「はい、他の方法で転生を目指します!」
少女はとてもいい笑顔で返事をするが、それはつまり人に迷惑をかけない方法を探して死ぬという事である。
「あー、その方法なんだが」
「はい」
「君が新しく選んだ方法はまた人に迷惑をかけるものかもしれない…………その、口にすると失礼かもしれないが君はいささか勢い任せでその手の配慮に欠けるように見える」
「そっ、それはそうかもしれない…………です」
自分でも思い至る節があるのか少女の勢いがしぼんでいく。
「そこで、だ」
そこを安心させるように軍司は柔らかい声で続ける。
「君の選んだ転生方法が問題ないかどうか俺が監督しようと思う…………つまりは君の異世界転生に協力させて欲しい」
「えっ!?」
「もちろん君が良ければ、だが」
説得できないならまずは協力して内側から崩す方法を見つける…………それが軍司の選択だった。
もちろん少女は軍司にとって見ず知らずの人間であり本来その生死に責任は無い。
だがそれでも放っておけないのが彼という人間であり、その点に関してはもう性分なのだと諦めている。
「どうかな?」
「お、お願いします!」
受け入れられるかは若干不安だったが、少女は嬉しそうな顔でそう答えてくれた。
「ありがとう、ところで君の名前を聞いていいかな?」
そう言えば互いに自己紹介もしていなかったなと軍司は思い出す。
「あ、はい」
少女もそのことを思い出したのか頷く。
「私は旭、
それが旭と軍司の出会いで、二人の奇妙な日常の始まりだった。
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