第三章:九星
「ごめんくだされ」
講堂の玄関口で、叫ぶ者がいる。
住職の円珍は、「どなたかな、あわてなさんな」と言いながら出迎えた。
果たして、円珍が目にしたのは、鎧兜になぎなたを持った男たちの姿であった。
なぎなたにはまだ新しい血がねっとりと光っている。
背負う旗印は崇徳上皇のものである。
「な、何か用かな。ここには病人や老人しかおらぬぞ」
円珍はたじろいだ。
男たちの中から、一人の男が前へ出て兜を脱いだ。
髪の毛が汗でべったりと張り付いたその顔は、何年も山にこもっていた山伏のように見える。
男は、口角をぐいと上げ、「邪魔をするぞ」と言うと、土足のまま講堂内へと入っていった。
何人もの鎧武者が後に続く。
「ここに平氏はおらぬか」
大広間に突如現れた鎧姿の男たちに、病人や老人たちは騒然となった。
あちこちで悲鳴が聞こえ、体をよじって逃げの姿勢をとる者多数、その場で動けない者も半数はいる。
「何事ですか」
一人集団の前に立つ兜を手に持った男の前に立ちはだかったのは、九星であった。
「ここにいるのは病人ばかりです。お引き取りください」
九星は声を張り上げた。
「お前は、病人には見えねぇなぁ」
男は、口角をぐいと上げると、九星の体を舐めまわすように見やった。
「おひきとりを」
九星はなおも食い下がる。
二人の間の緊張に、大広間が水を打ったようにしんと静まり返る。
しかし突如、その静寂をやぶる声が奥の間から響いた。
「帰れと言っているのが分からぬのか」
一同の視線が、そちらへ投げかけられる。
「誰だ、てめぇ」
鎧の男は声の主を探し当てるべく、病人をかきわけ奥へと歩を進める。
「帰れと言っておる」
声の主は、奥の間に座っていた義孝であった。
「義孝殿」
傍らの廟利が義孝を押しとどめる。
「おう、なんだ、てめぇ」
男が義孝の首元をぐいとつかんだ。
半身を起こしていただけの義孝の体は、そのまま乱暴に持ち上げられた。
「義孝殿、ここはこらえて」
看病の段階で取り払われていた義孝の鎧兜は、玄関口でのやりとりを聞きつけた寺の者の手により、今は床下に隠してあった。
そのため今の義孝の姿は、廟利と変わらぬ村人である。
ただ、どうしてもその気性はごまかせない。
「ここにおられては迷惑だ。帰られよ」
最後まで言い終わらぬうちに、義孝は頬を殴られていた。
「義孝殿!」
声を荒げたのは廟利で、身を挺して止めに入ったのは九星である。
「どけ、女」
九星は首元をむんずとひっ捕まえられると後ろに倒された。
「あっ」
倒された九星の元に廟利が走り寄り、今度は廟利が身を挺して九星をかばおうとする。
そのまま男は、がら空きになった義孝の上に馬乗りになると、両手で拳を作り、勢いよく義孝の顔を殴り始めた。
「やめてっ!義孝殿!!」
九星の悲痛な叫びが講堂内にこだまする。
その九星の体を、廟利は必死に押しとどめるのだった。
やがて男は気が済んだのか、唾をぺっと義孝の頭へ吐くと、「邪魔したな」と言い置きその場を去って行った。
男に付き従った鎧武者の男たちは、寺の内をさんざん荒らした挙句、何も取らずに去って行った。
物音が何もしなくなってから、廟利はそろりと九星の体から己の身をはがした。
「義孝殿っ!」
九星は、がばと義孝にかけよった。
「馬鹿者!」
大広間に甲高い怒号が響いた。
それは、九星に向けられた、義孝の激昂であった。
「戦場でいつも守られると思うなよ。よいか、戦場では後ろにさがっておれ。でなければ命の保証はない」
義孝は、腫らした顔を九星に向けぴしゃりと言ってのける。
「そんな。私はただあなたのことが心配で」
九星は今にも泣きださんばかりである。
「だから馬鹿者だと言っておるのだ。よいか、戦場では俺の見えないところにいろ。でなければ斬る」
「しかし今は手当を」
「いらぬ」
九星の頭に血が上った。
なんと頑固な子供であろう。
九星はその場で立ち上がり、足音をたてて奥の間を後にしたのであった。
ややあって、「そうは言っても冷やすくらいのことはさせてくれ」と言ったのは、様子を見ていた廟利であった。
「すまぬ、つい」
義孝は廟利に謝罪の言を延べた。
「それは九星さんに言ってくださればよい」
廟利はそう言うと、にっと笑って見せた。
それを受けて、義孝は腫らした目をぎゅっとつむり、ほほ笑むのであった。
「俺、九星さんのこと、見てきますね」
廟利はそう言うと、奥の間に義孝ひとりを残して九星を探しにその場を後にした。
探し始めてしばらく、厠の近くにある池のほとりの、人ひとり分ほどある大きな岩の上に九星が腰かけているのを、廟利は見つけた。
「九星さん」
廟利はそっと声をかける。
「見つかっちゃったか」
九星は伏し目がちであった顔をあげて振り返ると、ふわりとほほ笑み、口を開いた。
「いやぁ、子供とはいえ、武士だねえ。立派なもんだ。将来はえらい大将になるだろうね。
でもいざという時にあれじゃあね。私はただ力になれればと思って」
九星は誰かに言い訳をするように早口に語った。
己でもなぜこんなにまくしたてているのか、不思議であった。
しかし今度は廟利が怒る番であった。
「分かってないのはあなただ、九星さん。本当に力になれればと思うなら、出て言ってもらえますか。迷惑だ」
ここまで強い語調で廟利が怒ったのは、なぜであったろう。
廟利は自分でも不思議であった。
「なんで、なんであんたにそんなことを言われなきゃならないの」
九星は顔色を変え、再びその場から去って行ったのであった。
しかし非常時の最中、寺の外に飛び出す勇気は九星にはなかった。
仕方なく九星は、義孝の寝床まで戻ると、冷めた粥を持って義孝への謝罪を口にしたのであった。
「ごめんなさい。余計な事して」
「いや、俺も言い過ぎた、すまぬ」
あれだけのことがあっても腹はすく。
戻ってきた廟利も含めて、三人は鍋いっぱいあった粥をたいらげたのであった。
「わたしね、幼い頃から見る夢があってね」
食後の緩やかな時間にあって、九星が語り始めた。
「私はある子供の親なの。その子はもう治らない病にかかっていてね、私はなんとかその子を治そうとするんだけどどうしても治らなくて。その子に毎日大丈夫だよって言ってあげることしかできないの。その子はどんどん弱って行って、どうしようもないの。そんな夢を見るのよね」
義孝と廟利は、九星の過剰なまでの庇護の力の源が、ここで初めて理解できた気がした。
九星はなおも続ける。
「だからかな、幼いころから他人の世話が大好きでね、育った村では子供たちの世話係みたいなものだったわ。でもね、ある日村に海賊が攻め込んできて、大事な友達が、死んじゃった」
義孝と廟利は、黙って聞いている。
「騒ぎ自体はその土地を守る平氏が来てくれて助かったんだけどね。でも、世をはかなんで旅の人が自ら命を絶ったりしてね、そんな、おそろしいことが起こって、村を出たの」
今なぜこの話をするのか、九星にも分からなかった。
「その平氏が、今度はこの讃岐の村を襲いに来る、か」
廟利がぽつりと言った。
平氏である義孝には、どう聞こえたろう。
「しかし義孝殿の顔を殴った男は、崇徳上皇側の人間であったな」
「ああ、旗印がそうだった」
「物騒な世の中だなぁ」
廟利が、宙にぽんと投げるように言う。
「本当に」
九星がくすり、と笑う。
それから三人は、はははと笑い合った。
それは二度とは戻らぬ、そんな流星の一瞬の輝きにも似た、ひと時であった。
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