第112話 種子は開花の始まり
「リオ様!!」
それはサタナキアがアスに蹴り飛ばされた直後の出来事。
大聖堂に展開された〈聖域〉により、全ての精神系魔法に影響される人間は覚醒の時を迎えるはずだった。
しかし……。
「ご無事ですか!?」
「う、ぁあ、ああぁぁあ……!?」
「リオ様……? リオ様!!」
未だ苦悶の声を上げているリオに、駆け付けたハハイヤは眉根を寄せる。
遅れて駆け付けるベルゴもまた、その余りに尋常でない様子を目の当たりにし、動揺を隠せていなかった。
「一体どうしたのだ!?」
「分からない……!」
「奴の魅了は解除されたのではないのか!?」
これはおかしいとベルゴは叫ぶ。
何故なら精神に異常をもたらす魔法は、大概一度の〈覚醒魔法〉にて解除されるからだ。強力な精神支配を受けているならば、多少互いの効果が拮抗はするものの、持続面という点で〈聖域〉側に軍配が上がるはずだった。
にも拘わらず、リオは苦痛に呻き身を捩っている。
その痛ましい姿を前には、いくらサタナキアの攻撃を食らっても弱音を吐き出さなかったハハイヤも、今にも泣き出しそうな表情を湛えていた。
「リオ様……一体どうすれば……!!」
「落ち着くのだ。狼狽えているだけでは状況は変わらん」
「ベルゴ殿……?」
「まずは何が原因か探るべきだ」
年長者としてベルゴは年下のハハイヤを落ち着かせる。
これがただの年上というだけなら、ハハイヤも動揺したままだったかもしれない。だがしかし、すでにベルゴは自身の経歴──元聖堂騎士団長であった過去を明かしている。
「彼女を大切に思う気持ちは重々理解している。なればこそ、貴方が狼狽えては彼女を救えんのではないか?」
「……そう、だな。いえ、そうでした」
「大丈夫か、と言うまでもなさそうだな」
「いえ。おかげさまで頭を冷やせました」
感謝いたします、とハハイヤは目礼で謝意を伝える。
その間も彼女は苦しむリオの肉体を弄っていた。一刻も早くリオが苦しむ原因を突き止めようと、何か異物がないかを探っていたのだ。
「何かありそうか? 魔道具なんかは?」
「いえ、魔道具の類はどうにも……」
「他に考えられる可能性は?」
触診を続けるハハイヤに、ベルゴは絶えず質問を投げかける。
彼とて騎士としての経験上、外傷や状態異常などにはある程度知識を持っていた。しかし、どれも本職──騎士団で該当するならば神癒隊ほど精通している訳ではない。
特に魔道具やその他特殊な症例はさっぱりだ。
だが無知なりに役立てることはある。素人質問で一つずつ可能性を潰す。そうやっていけば答えを絞り、いずれは正解に辿り着ける。
「毒は?」
「毒……ではなさそうです」
「内臓は無事なのか?」
「〈回復魔法〉をかけてはいますが、その線はないかと……」
「では魔力の流れは? 普段と違いはなさそうか?」
「魔力は……ッ!?」
その時、ハハイヤは目を剥いた。
「何か見つけたのか!?」
「なんだこれは……!?」
「何か手伝えることはあるか!?」
「蔦を剥がすのを手伝ってください!」
「ああ!」
分かった! と、一先ず疑問は捨て置いて言われた通り蔦を剥がし始める。
二人して鎧を成す蔦を剥がし始めること、ものの一分程度。鎧の中に隠されていた本体が現れれば、驚愕の余り二人の体は大きく揺れた。
「なん、だ……この……!?」
「根……なのかッ……!?」
二人が目にしたもの、それは──。
「体中に根が蔓延っている……だと……!?」
***
「やれやれ……お気に入りの一張羅なのだがな」
首を鳴らすサタナキアが通路の床に降り立つ。
先程まで激しい乱打を浴び、強烈極まりない蹴りを受けて吹っ飛んだというのに、目立って見える負傷は額からの流血程度だ。
(いえ、ちゃんと喰らってはいる!)
アスは一度、パルトゥスの村にてサタナキアの再生能力を目にしている。
その時も尋常ではない再生速度を披露していたが、今はそれが額の傷に適用されている様子はない。
〈聖域〉が効いているか、再生するだけの余力がないか。
どちらにせよ、相手を消耗させている手応えを感じられている。
敵は強大だ。だが無敵ではない。
その事実さえ確かめられれば、あとはいくらでもやりようはある。
(このまま奴を削り切れれば──!)
「──ふむ、勉強になるな」
「……勉強?」
突拍子のない言葉だった。
思わずアスも耳を疑い、自分の聞き間違えかと聞き返してしまったほどだ。
それに対してサタナキアは、一張羅に付いた埃を手で払う。
「そうだ。こう見えて我輩は勤勉でな」
「……どうだか」
「そう疑って掛かるのは〈大疑〉だけで十分。貴様はただ我輩の言葉に耳を貸すだけで良い」
「お断りです!」
一瞬。
瞬きよりも早くサタナキアに詰め寄ったアスは、筋線維の代用とする植物繊維が千切れるほどの威力で蹴りを繰り出す。
すぐに再生できるからこその攻撃。
ただのジャブ感覚でソニックブームを巻き起こす兎人は、迷いなくサタナキアのご尊顔目掛けて脚を振るった──が、しかし。
「──じゃじゃ馬め」
ガスッ、と。
音速の蹴撃は、目にも止まらぬ速さで割り込んだ何かに防がれ──いや、受け止められた。
「いや……兎か? まあいい。獣には違いないしな」
「なッ……!?」
驚愕する余り、アスは空色の目をこれでもかと見開く。
全力の蹴りを受け止められた。その点に驚いたのも勿論ある。
だがしかし、彼が釘付けとなっていたのはサタナキアの蹴りを受け止めた“脚”だ。
「その脚は……!?」
「うん? ……ああ、何。貴様を真似てみただけだ」
「真似……!?」
まるで兎の脚を象ったような脚。
木人族由来の植物で形成された極太の脚は、まさにアスの脚が鏡合わせになったように瓜二つな見た目をしているではないか。
唯一違うとすれば、相手がこちらの攻撃を難なく受け止めた点にある。
つまり奴は、こちらの全力を真似事で受け止められるだけの力を残している訳だ。
まざまざと突きつけられた彼我の差に、一瞬アスは愕然としてしまった。
「ッ──っがァ!!?」
その間隙を突かれた。
反応する間もなく顔面を襲う衝撃。視界は線と化し、脳は揺さぶられる。いや、脳が揺さぶられたからこそ視界が線と化したのだろうか。
どちらにせよ自身が蹴り飛ばされた事実に変わりはない。
先のサタナキアのように通路を何度もバウンドするアスは、通路と会談の間を隔てる重厚な壁に激突することでようやく制止した。
「っはァ……!!?」
「これはいい技だ。溜めを作って力を解放する……単純ではあるが実に効果的だな」
「私の……技をッ……!!」
間違いない。
今の技は〈
(あの一瞬で技の原理を……!!)
凄まじい観察力、そしてセンスだ。
溜めた力を解放する──聞こえは簡単だが、あれだけの超威力を発揮する為に、地面に張る根や脚を鎧う植物繊維の種類や配置は綿密に計算されている。
つまり、一目見て容易く真似できるものではないはずだった──この瞬間までは。
(こいつ……やはり強い!!)
分かり切っていたことだ。
それでも想像以上だった。
アスの苦渋に満ちた雰囲気を感じ取ったのか、サタナキアは悦に浸った笑みを、その魔性の美貌に湛えてみせる。
「なに、そう落胆することでもあるまい。むしろ我輩に使ってもらえたのだ。胸を張って誇るがいいぞ」
「ほ、誇……!? 気持ち悪い!! 何訳の分からないことを!!」
「違うか?」
ケロッと。
紛れもない本心からそう口にしていたサタナキアは、気持ち悪さ故に震えるアスに向かってこう続けた。
「我輩は至高の存在。我輩が神に命を賜ったのではない。神が我輩に命を賜わせてもらえたのだ」
「──」
一周回って滑稽にさえ思えてくる傲岸さに、アスはただただ茫然とするしかなかった。
──何言ってんだ、こいつ。
彼の白い目は、ありありとそう告げていた。
しかし、サタナキアは向けられる視線を気にも留めず、綽綽と語り続ける。
「至高ということは、すなわちすべてが我輩に劣るということ。技などその最たる例だ。如何なる技も我輩の手に掛かれば誰よりも上手く熟せる……至高とはそういうことだ」
「〈
「そう……あの〈聖域〉には驚かされた。流石の我輩であろうともあの〈聖域〉の中では十全な力を発揮できんのでな」
口こそ出してはいるが、心にも思っていない感情が透けて見えるようだった。
何よりその口振り……。
──まさか、あるのか?
アスの背筋に冷たい汗が伝った。
湧き上がる不安と緊張。それはサタナキアの力に対する警戒心より発する感情である。だが、より具体的に言うのであれば力よりも手段の方に、アスは注目する。
嘘と、嘘だと言ってくれ。
神に願うような心境だった。
アスは祈りの代わりに拳を構える。そうしなければならないと直感が訴えていた。
──構えなければ、死ぬ。
「──先手必勝ッ!!」
「できると思ったか?」
三度、アスの蹴撃はサタナキアに受け止められた。
今度は脚ではない、腕だ。極太の根が渦巻き、形成された巨大な盾を掲げる腕に受け止められていたのだった。
「くッ……!!」
「──〈
「!!」
濡れた唇が名を紡ぐ。
「我が罪魔法の名よ。我輩に魅入られた者は、おしなべて我輩に忠誠を誓うのだ」
「やはり罪魔法……それで彼女を!!」
「貴様が言うのはアレか?」
名前すら呼ばず『アレ』呼ばわりする不遜な悪魔に、アスからブチブチと何かが千切れる音が奏でられる。
「お前はァーーーッ!!」
「フンッ」
怒りの雄叫びを上げ、今度は回し蹴りを繰り出したアス。
だが、今度も易々と脚を受け止められては、そのまま視界は線と化した。
「ぐうううう!!?」
振り回されている。
そう自覚する間にも、遠心力によって頭部には血液が集まっていく。許容量を遥かに上回る血液量に、アスの鼻や耳からは血が溢れ出し、兜より覗く瞳も異常なまでに充血してしまっていた。
(こ、こ、殺される……!!)
死は目前にある。
一刻の猶予もないと理解し、アスはすぐさま行動に移った。
「ム?」
怪訝な声音を漏らすサタナキアの動きが鈍くなる。
体に根が巻き付いていた。それはアスの脚よりサタナキアの関節を縛り込む形で広がっているではないか。
「ほう、機転は利くらしい」
「フッ──!!」
狙うは目。
硬い棘を生やし、凶悪なナックルダスターを嵌めたような外観となった拳を、〈跛魔の月剣〉同様弾性エネルギーを溜めた状態から繰り出す。
〈
必殺の拳は、吸い込まれるようにサタナキアの顔面に叩きこまれた。
手応えは……ある。
「……ッ!!?」
「言っただろう?」
あったはずだ。
にも拘わらず、顔面を打ち抜かれたサタナキアは平然とした様子で言葉を紡いでいる。その間もアスはせめてもの抵抗に叩きこんだ拳を捻じ込むが、スッと腕を掴まれた途端、万力のような腕力で引き剥がされてしまう。
押しても引いても動かない。
木人族にとって増やした植物繊維は筋力を増強したと同義。それをいとも容易く引き剥がされるなど、あってはならないことだった。
「ば、化物……!!」
「ククッ、その顔が見たかった」
「一体どんな絡繰りだッ!?」
「これは昔小耳に挟んだ話なのだがな、人間や魔人は普段自らの肉体を壊さぬよう、己の力をセーブしているという」
得意げに語るサタナキア。
高速の拳を叩きこまれて陥没した部分は、みるみるうちに盛り上がり、再生していく。赤黒い肉が蠢くような悍ましい光景だ。
しかしその途中、アスは目の当たりにした。
血肉の中で蠢く“何か”を。
(なんだ? 今、“根”みたいなものが……!?)
「個人差はあるが大抵使えている力は半分程度。どれだけ研鑽を重ね、魔法を利用したとて全力には届かない」
だが、と。
サタナキアの魔眼が再生し、凶星が如きおどろおどろしい眼光を発する。
その時──アスの中で星座が浮かび上がった。
一つ一つは独立した星がそうなるように、頭の中にあった点と点が結ばれていく感覚だ。
「まさか……魔眼で自分を!!?」
「半分正解だ」
「ぐッ──!!?」
次の瞬間、アスの全身は通路の壁に叩きつけられた。
余りに一瞬の出来事であったが故、頭の理解が追い付かない。一拍遅れて自身の状態を見てみれば、蛇の如く伸長したサタナキアの腕が下手人であった。
何とか引き剥がそうとするアス。しかし、頑強な樹木のように太く、そして硬い巨腕に拘束された状態から抜け出すことは容易ではなかった。
「クソッ!!?」
「我輩の眼──〈
そのままサタナキアは自分の襟を手で引っ張る。
一見何をする気か分からない挙動。しかし、晒された首元に浮かぶ脈動を見てアスの表情は固まる。
恐怖と戦慄、そして絶望に彩られた彼の表情は、見たくもない──信じたくなかった光景を目の当たりにしたと言わんばかりだった。
──間違いない。
──あれは魔法陣だ。
「〈聖域〉……!!」
「然様」
サタナキアが鎧う魔法陣、それは〈聖域〉だった。
(まさか初めから身に纏って……!?)
つまり、自己暗示と魔眼だけではない。
自己暗示に魔眼を強化し、さらに肉体に暗示の〈聖域〉を鎧うことで効果を上乗せしていたのである。過ぎた自己暗示による肉体強化は肉体の自滅を招く為、全力は勿論のこと、限界を超えて力を引き出すなど論外だ。
だが暗示によって再生能力も強化できるなら話は別。自滅を引き起こしたところで再生すればいいのだから、心置きなく限界を超えて力を揮えるという訳だ。
(これが奴の力の秘密……!!)
ここに来てアスは作戦の穴に気付いてしまった。
大聖堂全域に張られた聖域は、あくまで魅了された教団や騎士団に対する解除が主目的。起動役のアータンも長時間維持できるだけの魔力は注いでいないはずだ。
だがサタナキアは違う。一度〈聖域〉で自己暗示を弱体化されはしたものの、常時彼自身が〈聖域〉に魔力を注ぎ続ける。効果時間という点でいずれ奴の〈聖域〉に負ける未来は明白であった。
(まずい、早めに決着をつけなくては!!)
タイムリミットがあるとすれば〈
それ以降は奴の〈聖域〉を相殺できず、元の強力な自己暗示が発動されてしまう。
罪化した騎士団長二人を圧倒するほどの力だ。
しかも奴はまだ罪度Ⅰ。六魔柱という地位を考えれば、罪度はⅡやⅢまで到達できると考えるべきである。
もし仮に刻限を過ぎれば、今以上に強くなったサタナキアと対峙せざるを得ない。
罪度Ⅰでさえこの有様だ。それ以上となると想像もつかない──いや、想像したくもなかった。
明言できることはただ一つ。
そうなった場合、こちら側の勝算が限りなくゼロに等しくなる。すなわち敗北。
「ああ、そうだ」
不意にサタナキアが声を上げる。
まるで他愛ない用事でも思い出したかのように。
「この肉体に刻む〈聖域〉なのだが、一つ欠点があってだな」
「……? な、何を……」
「持続的な分、耐性を無視する強力な精神支配をもたらす。だが、その分相反する力を宿す〈聖域〉の中に居ると肉体……特に脳への負荷が凄まじいのだ」
『う゛、ぁああああ゛!!』
──悲鳴が聞こえる。
どこから?
それほど遠くはない。若い女の悲鳴は、壁一枚隔てた向こう側から聞こえてきたような気がした。
アスは自然と顔を向けてしまった。
視線の先──そこはつい先程まで戦場と化していた会談の間がある。
「……」
──まさか。
アスは言葉を失い、視線を戻す。
そこには……悪魔が居た。
邪悪な、邪悪な、それは邪悪な。
その笑みに題名を付けるとするならば──『シャーデンフロイデ』。他者の不幸に甘露を見出す、人間とは決して相容れぬ存在。
悪魔の笑顔が、そこにはあった。
「おま──」
「簡単に我が寵愛を解かれては困るのでな。我輩が手ずから仕上げてやったのだ」
「今すぐ解けッ!!」
咆哮に似た大声を迸らせるアス。
しかし、その威圧を浴びても尚、悪魔の余裕を湛えた笑みが崩れることはない。むしろ暗い歓びは深みを増していく。
「何故我輩が貴様に従わねばならん?」
「お前のせいで……お前のせいで彼女はッ!!」
「我輩の為に働けたのだ。至上の名誉として歓喜するべきだろう。我輩の命に従って罪派に加担し、そして教団と騎士団の大勢を支配下に置いた……いやはや、流石は聖女と言うべきか。罪派を引き合いに出して動揺を誘った上、〈聖域〉を植え付けねば支配できんとは驚かされたものだ」
「──ッ!!!」
言葉の意味を成さぬ雄叫びをアスは上げる。
ただし、それは単なる怒りだけではない。気合い──現状を打破する為の力を全身に漲らせるべく、最後の一滴まで力を振り絞る為に発するものだ。
ブチブチと断裂音が鳴り響く。
それはアスの全身を鎧う植物繊維だけではない。彼自身の筋線維もまた、限界を超えた力を発揮していた。
その甲斐もあってか、堅牢な拘束具と化していたサタナキアの腕はメキメキと拉げる音を奏で始める。これには押さえ込む当人も『おお』と、別に本心でもないのに感嘆の息を漏らした。
「獣が……よくもやる」
「やっぱり……お前のせいか……!!」
「うん?」
「散々愛とかなんとか抜かして!!」
力尽くで生み出した隙間から脱出し、アスは跳ぶ。そして、自分を縛り付けていた根の上を走り抜けていく。
途中、サタナキアが空いている片腕で反撃を繰り出してくる。
無数に枝分かれする触手。数と質量に物を言わせた、この上なくいやらしい攻撃だ。それをアスは紙一重で回避──し切れるはずもない。
だが関係ない。
押し寄せる触手により頬や肩口を裂かれるのも厭わず、直撃コースのものだけを拳で弾いていく。
それでも弾き切れぬ触手が脇腹を穿った。
う゛っ、と兜の中で苦悶の声が上がる。それでも彼は再生能力で強引に突撃し、サタナキアの目前へと迫る。
そこまでして彼が突き進む理由、それは。
「結局全部お前のせいだろうがぁあーーーーーッ!!!」
──目の前のクソったれ悪魔を、全力で蹴り飛ばす為だ。
リオが罪を犯してしまった理由も。
ハハイヤが己の愛を疑った理由も。
今日、大勢の人間が傷つく理由も。
全てはこいつ──〈我慢のサタナキア〉が原因であった。
「ふざけやがって!! そんな奴は……!!」
「──どうするというのだ?」
「わたしが地獄まで蹴り飛ばす!!」
「フハッ」
刹那、サタナキアの眼前までたどり着いたアスに影が掛かった。
即座に見上げたアスが目にするは、サタナキアの背後で大きく口を裂く蛇──ではない。蛇を象った巨大な樹木が一本、まるで生物のようにグネグネと蠢いている。
「できるものならやってみろ」
「ああ、そうさせてもらうぞ」
「っ!!」
一瞬の出来事だった。
どこからか飛来した斬撃が、大蛇の首を斬り落とす。中身に詰まっていたのは単なる植物繊維だけではないらしく、血や肉のような瑞々しい物質が詰まっていた。
しかし、注目すべきはそちらではない。
「〈怠惰〉め」
熊と牛を掛け合わせたような魔人が、大剣を振り抜いていた。
〈怠惰のベルゴ〉──不屈の闘志を宿す騎士の名だ。
「アス、畳みかけるぞ!」
「はい!」
援護に駆け付けたベルゴは、身の丈ほどもある大剣を軽々しく振り回す。
これにサタナキアは片腕を触手のように振り回す。見た目以上に頑丈な触手は、しなやか且つ俊敏な動きでベルゴの斬撃を迎え撃った。
「おおおおおっ!!」
一方、懐へと潜り込んだアス。
今度こそはと拳や脚を振るい、眼前の大悪魔目掛けて猛然な打撃の嵐を繰り出す。
一撃一撃に魂を込める。それはベルゴも同様だ。途中、聖霊を顕現させて一人二役の連携攻撃が始まれば、サタナキアを中心に巻き起こる嵐は一段と激化していった。
それでも──届かない。
「無駄な真似を」
「ぬぅ!?」
「ぐっ!?」
一閃。
空を切る甲高い音が鳴り響いたかと思えば、アスとベルゴの二人は間もなく左右の壁へと激突する。
「っ……やああああ!!」
意識を揺さぶられる強烈な衝撃だった。
それでも尚、アスは立ち上がる。
脚力を生かして跳躍。ともすれば魔力を用いた飛天より早い肉迫を前に、サタナキアはとうとう煩わしい表情を隠さなくなる。
「まだ理解できんか。貴様らでは我輩の足元にも及ばんと」
「うおおおお!!」
答えを返す余裕もなく、アスは攻撃する。
ただし、それまでからも分かる通り真正面からの攻撃は通用しない。音速の拳撃を繰り出したところで、尋常ならざる動体視力で見切ったサタナキアが真正面から拳を受け止める。
「つまらん、もう限界か? これ以上芸がないのなら殺すぞ?」
「……あなた、聖女やら騎士やらを洗脳してるじゃないですか……」
「それがなんだ?」
脈絡のない言葉に小首を傾げるサタナキア。
そのように面食らった彼を下から睨め上げ、アスはこう言い放った。
「──自分に自信ないから他人侍らせてるんじゃないですかぁ?」
それは顔か、心に対してか。
かつてないほど棘の含んだ物言いをしたアスだが、その表情はどこか満足げだった。
──ブチッ。
何かが千切れる音。
──ブチッ、ブチブチッ。
断続的に鳴り響いては、アスの鼓膜を不快に揺らす。
──ブチブチブチブチブチッ!
刹那、彼は目の当たりにした。
影の掛かった美貌。その闇より覗く憤怒の形相。はっきりとは窺えないが、だからこそ歪に崩れる輪郭が強調される。
獅子? それとも山羊?
顔の右半分が獣のように変形するサタナキアは、それまで見せることのなかった角やら牙を生やし、殺意に満ちた眼光をアスに向かって突きつける。
これは悪魔なのか?
いや、違う。
これはもっと邪悪な──。
「──ッッッ!!?」
「不敬者が」
「かはっ……!!?」
ガッ! と、目にも止まらぬ速さで首を掴まれるアス。
そのまま宙へと持ち上げられる彼からは、首部分の鎧が潰れていく音が鳴り響く。
手を剥がそうとする──が、剥がれない。
繊維と繊維の間に食い込んだ爪は、今も尚、アスの喉笛を掻き切らんと伸びる一方であった。
「くっ……!!?」
「言葉は選ぶべきだったな。そうすればもう少し生き永らえていただろうに……」
「っ……ひょっとして図星でしたかぁ?」
「……成程」
「ぁあ……ッ!!?」
首を絞めつける力はより強く。
それ故に、悪魔の爪は鎧の下の皮膚へと到達した。強靭だった植物の鎧に比べれば、その下の筋肉など子羊肉も同然。
スルスルと皮膚は引き裂かれ、その下にある肉へと潜り込んでいく。
アスの兜の中に鉄臭さが満ちる。濃厚な死の臭いだ。
「かふッ……!!?」
「愚者ほど早死にしたがる。良い勉強になった。感謝しよう」
「ぐ、ぅう!!」
「さて……最後に言い残すことはあるか?」
「っ……わ、わたしは……!!」
窒息寸前。そうでなくとも頸椎を潰される直前のアスは、焦点が定まらなくなってきた瞳をサタナキアへと向けた。
そして、
「──悪い子だったんです」
「……なんだと?」
「ありがとうございます」
──わたしを見下してくれて。
ぐるりと。
アスの瞳は反転した。
白い瞳孔は青く。
青い白目は黒く染まった。
それが示す答えはただひとつ。
「〈堕てッ゛──ッ!!?」
突如として、サタナキアの胸部から棘が突き出た。
彼の意思ではない。故に、動揺した悪魔の手からは力が抜け、アスの体は床へと放り出される。
ロクに受け身も取れずに墜落するアス。しかし、血反吐で赤く塗りたくられた三日月は、誰にも見られぬ闇の中で静かに浮かび上がった。
〈色欲〉の力は肉体の超活性化。
正確に言えば、〈昇天〉側は超活性化であるだけだ。
では〈昇天〉と対を成す存在──〈堕天〉であればどうだろう?
答えは“衰退”、もしくは“老化”というべき代物だ。
その原理は至ってシンプル。
(布石は最初の〈跛魔の月剣〉で打っておいた……!!)
メキメキと、サタナキアを貫く棘は成長を続ける。
それに対処せんと身じろぐ悪魔。だが、どうにも彼の動きは鈍かった。
「魔力が……吸われ……ッ!!?」
ある意味では〈昇天〉と能力は同じ。
異なる点は、対象がどういった状況であるか。それを踏まえてもたらされる結果にあった。
「ぐ、ぅうおぉおおぉぉおぉおおお!!?」
時が経つにつれ、サタナキアの肉体を突き破る棘の数が増えていく。
成長しているのだ。悪魔の血肉と魔力を養分に変えて。
(これがわたしの〈堕天〉……相手に“種”を植え付けて発動する最後の切り札!!)
その名も……。
「──〈
相手の血肉を吸い尽くすまで鞘に収まらぬ魔剣であった。
「がっ……!!?」
血反吐を吐いたサタナキアがとうとう自ら膝を突く。
ここまで圧倒的な実力を披露していた彼であっても、体内の重要な臓器や骨を傷つけられては堪らなかった。
付け加えれば、サタナキアは〈堕淫魔剣〉にとって極上の苗床であったのだ。
強大な魔力、再生するが故に尽きぬ血肉。全てが〈堕淫魔剣〉が成長するに好都合な条件が揃っていたのである。
「お゛のれッ……!!」
これまでにない憤怒を瞳に湛え、サタナキアはアスを睨んだ。
相手は死に体。一撃でも加えれば殺し切ることは容易い。
「我が御身を傷つけた罪は重いぞ……!!」
「他人を見下す癖にしては、自分の足元はよく見えていないようだな」
「!!」
声が聞こえ、咄嗟に振り返る。
そこにはベルゴが──全ての準備を整え終えた騎士が身構えていた。
重厚な肉体を守る鉄と光の鎧。
前者は罪器、後者は聖霊だった。
それが意味するところを、かつてレイエルと刃を交えたサタナキアは瞬時に理解する。理解してしまう。
(聖化!!)
「──〈
「しまっ──!!」
魔都ドゥウスの支配者、〈大疑のネビロス〉を消し飛ばした一撃。
太古の歴史では魔王をも消し飛ばし、現代においても〈
それを〈堕淫魔剣〉を喰らい、この上なく動揺したサタナキアへと繰り出す。
自己暗示とは自分を信じる力。精神的動揺を受けていては、最大限の効力を発揮することなど叶わない。
「サタナキア!! 貴様には地獄で悔い改める猶予すら与えん!!」
進路上に存在する万物を消し飛ばし、ベルゴは吶喊する。
当然サタナキアも例外ではない。むしろサタナキアこそ目的なのだ。
「このまま……塵一つ消えてなくなれィ!!!」
全身全霊を注いだ乾坤一擲の一撃。
魔剣に貫かれるサタナキアは、その両の魔眼をこれでもかと見開き、迫りくる極大なる突進を真正面から受け止めた。
そして──。
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