第三十三話 この世界で、


 ねだる様な、すがる様な、そんな瞳でユメが俺を見下ろしてくる。妖艶で、淫靡で、だって云うのに、その姿は非常に美しく――



 ――その瞳の焦点が、徐々に正常なそれに近づいてくる。



「……ご、ごめん!」


 不意に、ユメと俺の体の上下が入れ替わり体を突き飛ばされる。その瞬間、俺の体にかかっていた魔法の様な緊縛は、幻の様に解けた。


「ごめん! 本当にごめん!」


 布団を頭からかぶり謝罪の言葉を口にするユメ。いや、そうじゃなくて!


「お、おい! どうしたんだ、お前!」


「ごめん!」


「ごめんじゃ分かんねえだろうが! 一体、どうしたんだよ!」


「その……ごめん!」


 ユメの言葉に、思わずため息が漏れる。


「……ユメ」


「わ、わかってる! は、はしたない事をしたって! で、でも……」


 そう言って、布団から目だけを出し、こちらを見る。その瞳は、先ほどまでの妖艶なものではなく、まるで、主の不興を買った事を怯える犬の様な卑屈な色。


 ……そんな眼、するなよ。


「……ごめん」


「……理由を説明しろ」


「……言わなきゃ、だめ?」


「……どうしても言いたくなかったら、いい。でも、教えてくれれば助かる」


「……」


「……」


「……私達サキュバスは、精力を糧に生きるの」


「……ああ」


「……勿論、人間と一緒で食事もするし、睡眠も取る。ただ……やっぱり、精力の占める割合が……大きくて」


「……」


「……人間界に居る間、私達は……その、定期的に精力を得ないと、さっきみたいに暴走しちゃうの」


「……今までどうしてたんだ?」


「その……我慢してた。いつもは、こんなこと無いんだけど……ちょっと体調壊したのと……その……」


 言いにくそうに、こちらをちらりと見やるユメ。何だよ?


「……ちょっと……情緒不安定になって……それで」


「情緒不安定? なんだ? なんかあったのか?」


 俺の言葉にユメがついっと視線を逸らす。


「……ごめん。言えない」


 溜息一つ。


「……暴走したら……どうなる?」


「……さっきみたいに人を襲っちゃう」


「……」


「……それでも我慢したら……人間の『餓死』みたいに……消えてなくなる」


 不意に、怒りが湧いてきた。何考えてるんだ、こいつ!


「お前な! そんな大事な事何で今まで言わなかったんだ!」


「……える……じゃん」


「何だよ! 聞こえない!」


「言える訳無いじゃん!」


 不意に、部屋に響く怒声。布団から体を起こしたユメが、こちらを睨む。


「『私、定期的に精力取らないと暴走しちゃうの。だから、たまに精力を分けてね』って言えって言うの! 言える訳無いじゃん! そんな事! そんな……そんなはしたない事、言える訳無いじゃん!」


 瞳には、涙が浮かんでいた。


「言ったらどうなるの? 小太郎がしてくれるの?」


「……」


「愛も何にも無くて! ただ食事をするように! ただ睡眠を取るように! そんなの、小太郎がしてくれるの? ただ、同情だけで! 小太郎がしてくれるって言うの! そんなの……そんなの、イヤ!」


 何も、言えない。


「……小太郎に……嫌われたく無い。はしたない子だって……思われたくない」


 何も……何も、言えない。


「……出てってよ」


「……」


「……出てってよ!」


 ユメの、涙交じりの声に。


 なにも出来ず、俺は、ユメの部屋を後にした。




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