彼女に振られたのでシーシャでチルっていたらベランダの柵越しにJKが会いに来るようになった

剃り残し@コミカライズ連載開始

第1話

 夕方にベランダでシーシャを吸う生活を始めてから3日目になった。


 三日坊主を越えるかどうかは明日の自分が決めるんだろうと思いながら、重い腰を上げて四角い炭を焼き、セッティングを終えたシーシャ台と共に夕暮れ時のベランダに佇む。


 一人がけのキャンプ用のチェアを広げて腰掛けると、ただの2階建てのアパートにある小さなベランダながらもちょっとしたソロキャンプ気分になる。


 炭を置いてしばらく待ち、ホースに口をつけて息を吸うと、ポコポコポコポコと水の中から気泡が立つ小気味よい音が鳴り、ふわっとストロベリーの香りが口に広がった。


 その匂い付きの煙を目一杯肺に吸い込んで、空に向かって吐き出す。


 その一連の動作や香りが、一週間前に振られた彼女と足繁く通ったシーシャバーでの思い出を呼び起こす。


 振られた元カノを思い出すために吸っているシーシャなんて、三日坊主で飽きてしまった方がいいんだろう。あれもこれも引きずらなくて済むのだから。


 それでもまだ傷心中の心は癒えていないようで、吐き出した煙が薄まるに連れて涙が溢れてくる。同時に溢れ始めた鼻水をすする。


 煙が薄まってベランダの向こうが鮮明に見えてくる。


 ベランダと外を隔てている柵から、一人の女の子が首から上だけをのぞかせ、こちらをみていた。


「うっ……うわあああ!?」


 俺が驚いて声を上げると女の子は慌てて下に引っ込む。


「なっ……何!? 誰!?」


 俺が恐る恐るそう言うとまた女の子の生首が柵の向こうから生えてきた。


 ここは一階のため人がいてもおかしくはない高さ。それでも、見知らない人がベランダを覗き込んで来ていることへの恐怖心から心臓がバクバクし始める。


「それ、何ていうんですか?」


 女の子は飄々とした態度で胸のあたりまでを柵の上に出し、シーシャ台を指さしながら尋ねてくる。柵の高さからして少し背伸びをしているか、そうでないなら身長は高い方なんだろう。


「こ……これ? シーシャ。水タバコだよ」


「あー、これがシーシャなんですね。けど、タバコなんですか……じゃ、未成年は吸えないんです?」


「そうだね」


「なるほど。覚えました」


 ともすればロボットのような発言に面食らう。


 よくよく見るとその子はかなりの美少女であった。王道な清楚系の象徴である黒髪ボブカットにタヌキ顔、パッと見では高校生くらいに見える。


 細い右手首に茶色いヘアゴムを通しているので普段は後ろで結んでいるのかもしれない。


「で、一体何なの?」


 せっかくのチルタイム。関わり合うと面倒かもしれないので冷たく尋ねるも、女の子には一切効果がなく、ニッコリと笑って俺の質問に頷き、背後を通っている道路を指差した。


「そこを歩いていたんですけど、ポコポコポコって音がして煙がブワって出てきたので驚いちゃって。火事なのかな? って思ったらお兄さんが泣いていたので驚いてじっと観察しちゃってました」


 第一印象は変なやつ、という感想。それでも笑うと目がなくなるくらいにキュッとした笑顔を持つ愛くるしい見た目と朗らかな声は警戒心を薄れさせる。


「その正体はシーシャ。何も害がない――っていうと大げさだけど。ここは喫煙もオッケーなアパートだから。こうやって話している方が隣人の迷惑なくらいだよ」


「じゃ、小声にします」


 女の子はウィンクをしながら身を乗り出して柵にお腹を載せ、小声でそう言う。


「そういう問題じゃないから……」


「そっち、行ってもいいですか?」


「ダメ」


「理由は?」


「キミ、高校生でしょ? ベランダも家の一部。知らない女子高生を家に上げるなんて通報もんだよ」


「お兄さんは……大学生ですか?」


「そ。だからその柵は越えられない法律や条例に等しいものだと思ってよ。そろそろどこか別のところに行ってくれないかな?」


「なら、柵越しに話すのは問題ないですよね」


 してやったりとばかりに女の子はニヤリと笑う。


 小声にしてみたり柵越しに話してみたりと、俺の注文から抜け道ばかり見つけてくるので、なかなか面倒な性格をしているな、と思う。


「もう話すことはないよ」


「なら私から聞きますね。シーシャさんはなんで泣いていたんですか?」


「……シーシャさん?」


「はい。柵越しに話すような関係で名前を聞くのも悪いので」


「じゃ、キミはなんて呼んだら良いの?」


「JKで良いですよ」


「なにそれ……」


 馬鹿げた提案だが馬鹿げているが故に笑えてしまう。俺を笑わせたことに味を占めたのか、JKは俺に「で、何でですか?」と再度泣いていた理由を尋ねてきた。


「なんでもいいでしょ」


 俺はそう言ってシーシャのホースを口に咥える。


 ポコポコと鳴る音に混じって「失恋? 振られた?」とJKの声が聞こえた。


 図星を指された瞬間、ドキッとなり気泡のポコポコ音が止まる。


「あ……そうだったんですね」


「一週間前」


 言い当てられたこと、それに傷心中にベランダでシーシャを吸っているなんて行為に抱いていた恥ずかしさが一気にこみ上げてくる。


 照れ隠しについ詳細を小出しにしてしまった。


「一週間前ですかぁ……なるほどぉ……で、忘れられずにチルっていると」


「忘れられないことを忘れるための儀式だよ。これさ、案外準備も面倒なんだ。毎回炭を焼かないといけないし、火加減も難しいし。掃除も大変で。だから三日坊主の予定なんだ。今日で三日目」


「へぇ……じゃあ今日で吸い納めですか」


「その予定」


「記憶って煙みたいなものですからね。どんどん薄れて、忘れていきますよ。ま、私は無理ですけど」


 JKは次々と俺が聞きたくなるワードを放り込んでくる。あしらいたいはずなのに「なんで?」と聞いてしまった。


「記憶力がいいんです。物心ついた時からの記憶は全部映像で残ってます。しかも4Dです。匂いも情景も、全部忘れられないんですよ」


「HYじゃないんだから……」


「HY?」


「366日って曲の歌詞にあるんだよ。別れた後、相手の匂いも何もかもが忘れられないってさ」


「あー……DAMの月間カラオケランキングの34位にいた曲ですか。そういう内容だったんですね。覚えました。ちなみにランキングは昨日見たのでまだ変わってないはずですよ」


 JKは確かめてみろとばかりにニヤリと笑う。


「……まじ?」


 JKは淀みなく記憶から適合した部位だけを取り出した。恐る恐る検索すると、本当に34位。


「……ちなみに33位は?」


「『シャルル』」


「22位は?」


「『最後の雨』、中西保志」


「11位は?」


「『水平線』、バックナンバー……ってゾロ目ばかりじゃないですか」


 JKは即答で正解したことはなんてこと無いようにしっかりとツッコミながら笑う。


「全部当たってる……ほ、本当に全部覚えてるの?」


「はい、そうですよ。だから私は別れた人の事も一生忘れられないんだろうなって」


「実際に忘れてないの?」


「まだ付き合った人がいないので分からないです。というか……多分忘れられないので一生この人と居られるって思えないと多分付き合えないですね」


「すごいんだねぇ……」


「テストは楽ですけど……良いことと言えばそれくらいですね。唯一忘れたのは、忘れちゃって思い出せない時のモヤモヤした感覚くらいです。ま、忘れたと言うよりは知らないっていうほうが正確ですけど」


 JKは自嘲気味に笑う。


「なるほどなぁ……ま、けど、それだけ幸せってことか」


「幸せ?」


 JKが不思議そうに首を傾げる。


「俺だったら嫌な記憶に押しつぶされちゃいそうだよ。それだけJKはメンタルが強いってことかなって」


「あー……その視点はなかったです。目から鱗ですね! 皆、『大変そうだね』なんてありきたりなことしか言わないので」


 そりゃそうだろう。俺だってJKに気遣うような必要がないから好きに言っているだけだし。


「ま、何にしても、ベランダで俺がシーシャを吸ってることは忘れてくれて良いよ。明日からは吸わないんだから」


「だから忘れられないんですって。それじゃ……確認のために一応明日も来ますね。吸ってなければ『シーシャさん』じゃなくて『シーシャに飽きちゃったさん』で覚えておきますから」


 JKはそう言うと柵から離れていく。


 俺は無言でJKを見送った後、立ち上がって後ろ姿を目で追いかける。ベランダに面している川沿いの道を一人で歩くJKは女子高生らしくチェック柄のスカートに白い長袖シャツを腕まくりして着ていた。


 まぁ明日は会うことはないし話すこともない。JKは一度も振り向かないまま曲がり角の先へ消えていった。

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