2.孤独は骨のようなもの


(ここ最近の記憶が薄らいでいる。生きた心地がしなかったというか)


 目覚めて開口一番、祖父が膝を床につけアルバの二の腕を掴んで言った。


「おお、アルバ……やはりお前を育てて正解だった。その聖痕は救世主の証……」


 アルバは、何のことだか全く意味が分からなかったが、祖父が泣くのを見るのは初めてで何も聞けなかった。 

 後で母から「御神木の前で倒れてしまったらしい。6日寝込んだのち、目覚めたら腹に聖痕が刻まれていた」と要旨を説明された。


「『証たる聖痕をもつ救世主が邪神を倒し、闇を打ち払う』……帝国の賢者の預言の通りだ。これでようやく悲願が叶う。我々と人間の橋渡しをしてくれるな?可愛い孫よ」


 母は祖父の満足げな様子とは違い、どこか悲しげな表情をして言った。


「あなたは私たちと違う……自由になって」


 セイカは彼が救世主だと知ってとても喜んだ。


「ほんとにいたんだ、古い神様……選ばれたんだね、きっと。良かった」


 アルバが救世主になってから村の人々はひどく優しくなった。彼を気にかけ、ないものとして扱うこともない。石礫いしつぶてや心無い言葉をぶつけられることもない。


 望んでいた村の一員としての扱い。それは皮肉にも、ここを出ていくしかないことを示していた。

 彼らの期待に応えないと分かれば、途端に手のひらを返して糾弾を始めるだろうからだ。

 故郷を、温かい想い出を最後にして胸にしまうことができれば……その方がいい。


「君もついてくる?」


 アルバは白い少女に問うた。

 彼女は頷いて、くすくす笑った。


 最近だ。あれほど恐れていた彼女と意思疎通がとれるようになったのは。といっても彼女は言葉を口にすることもアルバ以外が姿を見ることもないので、やはり異形の存在だということだろう。

 でも彼女のことは異形は異形でも、御神木の精霊だと思うようにしてる。彼女がそばにいるだけで孤独じゃないと感じられた。



「――ワタシは外界へは行けない……行かないの。まだやることが残ってるから」


 だから親友が誘いを無碍に断っても耐えることができた。


「ボク一人じゃ外界で生きていけないよ、おじいちゃん……」


 たぶん……。

 

 祖父は涙ぐむアルバの頭をわしと掴むように撫でた。


「そんなに男の子が泣くもんじゃない。よし、いい戦士を供につけてやろう」


 祖父が「会えば驚くぞ」と珍しく浮かれて紹介したのは、約一年前に遠くへ行ったと聞かされた兄貴分だった。


「クロ兄〜!なんでいるの?帰ってきたの?」


 はしゃぐアルバとは裏腹に、クロエドは苦笑いする。


「帝国の賢者が預言した救世主の護衛ともなれば、俺も少し緊張するな。学園都市の出とはいえ本格的な仕事は初だしね」

「学園都市?」

「前話したろう?大きな学舎だよ。世界有数の騎士輩出校でもあるんだ」

「えーボクも見てみたい」

「長い旅になるだろうし、寄ることもあるかもね」


 竜の秘境から外界へ出るため、出発日は次の13月となった。出入り口が開き人目がなくなるが、危険な門出になるだろう。

 それまでクロエドと修行して剣技を鍛えることとなった。


(最近はなぜかスコップを振るってたらしい。片手剣、らくらく持てる)



 修行に疲れ家路についたある日のこと。

 家の丘の裏手、階段に座り込んで景色をぼーっと眺めるセイカの元へ、クロエドが近寄って話しかけた。


「セイカ。目が腫れてるね」


「……おにいちゃん」


 セイカが泣いて抱きつくので、居た堪れなくなってアルバはその場を後にした。


「そういえばセイカの様子がおかしいのは最近秘密基地に行ってないからかな。拗ねてるのかも」


 そばについてくる白い少女がクスッと笑う。


「名前をつけないと不便だね。そうだな……白いから……」


 白い少女はアルバの次の言葉を待ち侘びるように、彼の顔を見つめる。


「――''ハクア''。いい響き、気に入った?」


 ……名前の最初の文字は重要なんだ。

 アルバはそう唱えた。彼女の名前に、自分の最初の文字を入れた。 

 

 ハクアは嬉しそうにアルバの背に乗っかり、おぶさってくる。重さは感じなかった。感触も、温度すら。



「――アルバ、何を背負っているの?」


 玄関の扉に手をかける前に、母が扉を開いた。そうして、いつも迎え入れてくれるのだ。


「何って、剣のこと?おじいちゃんのプレゼントなんだ。強そうに見えるでしょ」

「違う、あなた……何を引き連れてきたの?」

「何……?」




 インシオンの目には、彼の後ろにぞろぞろと並ぶ白い霊の列が映っていた。

 夕暮れ時、最も魔力が満ちる時間にのみ許された、魔の可視化だ。


(私はすでに悪いものを迎え入れていた。この子は兄のいった通り――災いだ)



 *



 セイカは、見殺しにしたと思っていた従兄弟の姿を見て泣き崩れた。

 泣き虫だったセイカを慰めるのはもっぱらの役目で――そんなことを思い出して、セイカは反射的に溢れる涙を止められなかった。


 一年前と変わらない、心なしか前より品が良いとすら思える雰囲気。五体満足で健康そうで……


「しんじゃったとおもってたよぅ……」

「勝手に殺さないでくれ。確かに痛い目は見たけどね」

「今まで何してたの?どうして戻ってこれたの……?」

「救世主をたすけて邪神を討てって命じられた。帝国の賢者を頼って仲を取り持つよう誘導しろともね。正気じゃない、なぜ今更あんな呪われた国との和平にこだわるんだ?」


 呟く。


「あの人のことは裏切ったのに……」


 セイカはクロエドの雰囲気に、ほんの少し違和感を覚えた。


(別人だ。外側は同じなのに……どうしてそう思うんだろう?あの後一体何が……?)


「まあいい。それよりアルバ当の本人は変わらないね」

「そう。だからおかしいでしょ?自分にとって都合の悪い記憶を塗りつぶしてるような……まるであの夜がなかったみたい」

「……あの子の出身は?どこから来たのか知ってる?」

「何も。昔のことは覚えてないの一点張りだし、そういうこと聞くと人が変わったみたいに怖いからあまり……」

「……」

「ワタシ怖いの。何か……誰かに仕組まれているような……」


 何かいつも見張られているような、そんな錯覚。セイカは辺りを見回した。白い月だけが彼らを見下ろしていた。



 *




 時は遡る。


『聖痕……?』


 腹部から全身に、赤く脈のように広がる印だ。


『帝国の賢者が預言した救世主だと?こんな偶然あるかな……?私の立場的にここで始末するしかないと分かるね、族長殿』

『わしの孫だぞ、わしの家族に手を出さないことが契約の条件だったはずだ、……!!』

『……でもねぇ、我々が血眼になって探した存在だって分かっているだろう?』

『利用すればいい、簡単な話だ。この子は、死んでも我々の味方だ』


 夢心地、そんな会話が聞こえた。誰かが近づいてくる。


『――クロエド……!!』


 首輪がつけられている。見えない鎖が手足に。


『討つべきものを見誤るな。憎き邪神、奴のせいで……我々は世界から阻まれた……!」


 族長が鎖を強引に外し、クロエドは自由になった。


『奴を殺せ!!それが我が一族の悲願。数百年前、初代が書き上げた伝記に邪神の特徴は一言こう記されている。、と……頼りない手がかりだ。承知の上だ、神の宿った器ごと神を消し炭にするのだ、渦神の名にかけて!!』





 クロエドはひたひたと歩いていた。

 何年にも感じられた拘束から解放されて、気が昂っているのだろうか。

 彼は片手に握った剣の重みを、命の重みだと思った。それから無の心地であろうと努めた。



 ――見ているものが全てではない、豹変する世界にいまだ尻込みしている。


 それでも扉を開けた。

 あの時もこんな心地だった。

 去った場所へ、帰ってきた。


 母親が横たわるのを見下ろす。 

 あの時と同じものに囲まれている。色褪せた毛布。木組のベッドは片側だけ陽に焼けている。死期が近い人間が放つ独特の匂いに、懐かしい母親の香りが混じる。


 緑の瞳だけが忙しなくぐるぐると動いていた。身体中が土気色だ。死人の息遣いがクロエドの耳には実際よりずっと大きく響き、鼓膜を震わせた。

 父親の的外れの熱意と、生暖かい自己憐憫が室温に表れている。暖炉の炎で熱し換気もしない、暑くこもるような。


 クロエドは厳格な母親の『最初の言葉』を思い出した。

 クロエドの母ヒルシュマは厳格な渦神の信徒だった。息子をよく理解し、善く躾けた。


 言っても聞かない子どもには。

 痛い思いをさせて学ばせるしかないと知っていた。


 クロエドが初めて母親の意に逆らって、彼にとっての英雄――母の大嫌いな不信心者、に付いて外界へ出ていき、手酷い差別の洗礼を受けて逃げ帰ってきた時のことだ。


(……ちょうどこんな気持ちで)


 泣きながら安堵を求めて鍵のかかっていない広間の扉に手をかけた。


 鎖鍵がガシャッと鳴った。わざわざ母親が取り付けたろうものだ。

 扉の隙間から母親の後ろ姿が見えた。暖炉の前の椅子に座り、猫を抱き撫でる。 


 最初の言葉。


『――外は随分いいところだったでしょうね』


 大人とはぐれた心細さも、初めて出会った人間の子どもに刃物を向けられた悲しみも、転んで擦りむいた傷の痛みもどうでも良かった。


 ただ……

 母親は、彼を失敗させるために送り出したのに、失敗を慰めようとはしなかった。


 それだけが…………



 過去の自分とは違い、クロエドは鎖を断ち切り強引に押し入るだけの力を持っていた。


 死人は死神の気配に気がついて力なく問うた。


「……外は……いいところだった……?……ード……」


 クロエドは傷ついて、半ば叫ぶように声を上げた。


「――想定内だった……全部想定内だった!

 俺は誰とも違った。いつもここじゃないどこかへ行きたいんだ……どこへ行こうと、辿り着けないのかもしれない。それでも行かずにはいられない」


 言い聞かせる。母の顔を覗き込んだ。


「母さま……あんたが生きてると後ろ髪引かれて、身動きが取れないんだ……」


 母の顔のそばにあったものを握る。手汗が布地にしみるのが分かった。

 


「だから……」



 彼がそれからどうしたか、知る者は一人だけ。

 それを咎めていいのも、一人だけ。







 第二話 孤独は骨のようなもの

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