②二度と離さない


ールート分岐ー


「エ…リ、ス…」

「何で私の名前を知っているんですか?」

顔を上げると、そこには不思議そうな顔を浮かべるエリスがいた。

5年前はあんなに可愛かったエリスが、息を呑むほどの妖艶さを纏う程に成長していた。

そんなエリスと比べると、今の豊太郎はあまりにボロボロで5年前の姿はどこにも無い。

エリスを見ていると余計に罪悪感が身を蝕んでくるが、それ以上に嬉しくて涙が溢れた。

「エリス…会いたかった……。5年前は、ゴメン…。私の心が、弱いばかりに、君を傷つけてしまった……。許してくれとは言わない……本当に、ごめんなさい……」

口から出たのは、あまりに弱々しい男の謝罪であった。

エリスはその謝罪を頷きもせず、ただ静かに聴くだけ。

懺悔が終わると地面に頭を擦り付けた。

エリスは一瞬困惑するが、何も言わない。

静寂が訪れた。

私は何も言わず頭を地面に擦るだけ。

そんな静寂を壊したのはエリスであった。

「もしかして貴方は、豊太郎さんですか?」

豊太郎さん、という他人行儀な言い方に心が折れそうになるが、今はそれどころでは無かった。

「はい…豊太郎、です。5年前…ひっぐ、君の心を狂わせ…ひっぐ、その挙句捨てるような真似を…ひっぐ、してしまい申し訳ありませんでしたぁっ!!」

顔を涙で濡らし嗚咽を交えた心からの懺悔は、二人しかいない静かで暗い景色に溶けた。

音のない世界にエリスの声が木霊する。

「そうですか、故人であるお母さんに聞いた……貴方が豊太郎さんですか」

「故人……?」

「はい……つい先日、お母さんが亡くなってしまいました……。今日は、そのお葬式だったんです」

エリスは、寂しそうな表情を浮かべた。

エリスは、悲しそうな表情を浮かべた。

でも私は、あまりに弱い。

こういう時に掛けられる言葉を、私は持ち合わせていないのだから。

「すみません…」

「いえ、貴方が謝る事ではありませんよ、大丈夫です。そんなことより、こんなにボロボロで、貴方の方こそ大丈夫なんですか?」

「大丈夫、です…。エリスの顔を見ていたら元気になれました。…生きててくれて、良かった……」

私の声を聞いたエリスは、何かを懐かしむ様な顔で話し出す。

「お母さんは、貴方の話はあまりしませんでした。ですが、お母さんはいつも言うんです。私には豊太郎という大切な日本人がいた、そして豊太郎さんも私を大切にしていて、豊太郎さんと一緒にいる時の私は、とても幸せそうで、毎日明るく過ごしていた、と」

少し間を開けると、エリスはまた語り出す。

それを僕は、ただ頭を下げて聞くだけだった。

「正直最初は信じていなかったんです。頭を打って気絶した後記憶が無くなって、パズルのピースが一つ欠けた様な気がして…。お母さんは、そんな私でも大切にしてくれました。子どもが産まれる時に相手が分からなくて混乱しましたし、少し寂しかったです。産まれた子どもは、家計が厳しく育てられそうになかったので孤児院に預けました。例え相手が分からなくても、お腹を痛めて産んだ我が子を手放すのは心苦しかったです。でも最近は、よく顔を見に行くんですよ?やっぱり忘れられませんから。私の仕事が決まるまではお母さんが頑張ってくれました。私には学がありませんでしたし、仕事が決まるまで時間が掛かってしまって。多分そのせいでしょうね、お母さんがつい先日、過労死してしまったのは」

言葉が出なかった。

私がただ自分の不幸を呪っていた時に、エリスはこんなにも苦しい思いをしていたのだ。

人生とは進むだけで、戻る事はできない。

取り返しのつかない選択肢はもう、変えられない。

今はただ、悔やむことしかできない私が恨めしい。

相澤を恨みながら綴った文章。

私は愚かだ。

何故私は、エリスが私を恨んでいないと思うことができたのか。

何故私は、自分の愚かしさを相澤だけのせいにしたのか。

「エリスさん、さぞ私を…恨んで、いること…でしょう。ならば私は、貴方という希望を失った私は、生きてはいけません…。ならせめて、貴方の手で私を……終わらせてください。お願いします……」

もう何度目か分からない、嗚咽混じりの謝罪と懇願。

エリスの顔を見ず、地面に顔を擦り付ける。

覚えてはいないが、昔、確かにエリスが好きだった男が地に頭を擦り付けて、殺してくれと懇願してくる。

それを見させられているエリスの心情は、エリス本人以外には計り知れない。

しかし、これだけは言えるだろう。

エリスは誰よりも寂しがりやで。

エリスは誰よりも綺麗で。

エリスは誰よりも一途で。

そしてエリスは、誰よりも強い芯を持っている女性だと言うことが…。

ならばエリスの返す答えは、最初から決まりきっているのだ。

「それは、出来ません」

「……何、で」

「私、3人が映っている写真を見るたびに、いつも感じるんです。写真を撮った頃の、幸せな私の気持ちを。なのに、貴方は写真と比べるまでもなく痩せてて…。それにね、貴方は遠い遠い日本から全身がボロボロになるまで頑張って、私のところまで来てくれました。それがね私、嬉しかったんです」

「うれ、しい…?」

「そうです、嬉しいんです。この、ぽっかり空いたピースが埋まるまで感じていた消失感が今は消え、少し幸せな気持ちになっているんです。確かに私は、貴方に捨てられたんだと思います。そして、私は狂ってしまいました。でもそれって、それだけ幸せだった証でもあると私は思うんです。まぁそう思えるのは、私がドラマチックだからかもしれないけれど…。だから答えてください。豊太郎さん……私たちって本当に幸せでしたよね?」

痛々しい過去を語るエリスの言葉の全てが、私の心を抉る。

でも、それでも、私は確かな事実に対して、胸を張って言える。

「はい………私たちはとても、幸せ…でした……っ」

胸を抉る様な苦しく辛いこの痛みを、人生で一体何回味わっただろうか?

少なからず言えるのは、今までの人生で今日という日が1番であるということ。

それは他人からによるものでなく、自分自身の罪悪感からくるものである。

そんな状態でのとても短い一文、されどそれが豊太郎の精一杯の言葉であった。

であるならば、その精一杯が届いているのならば、エリスは応えてくれる。

「そうですよね、私もそう思います。ですが私にとって大事なのは、それだけじゃ無かったんです。1番大切なのは、今の貴方だったんです。私を思ってて、私を思って辛くなって泣いて。私の為に行動して、遠い遠いここまで謝りに来て……グスン。私…寂しかったです……お母さんがいなくなって、独りで……私に残ってるのはもう、孤児院にいる子どもと…貴方だけ何です…グスン。だから私を、もう…あんな寂しい部屋に独りにしないでください…っ!」

泣き崩れ、両手で顔を隠すエリスからは嗚咽が漏れた。

やはり私は愚かだ。

この様な時にかける言葉を、持ち合わせていないのだから。

しかしそれでも、私にはエリスが待っている様な気がした。

ならば弱く愚かである私は……いや、そんな私であるからこそ行動で示すしかないのだ。

疲れ切った心と身体を奮わせて、エリスの肩を抱き寄せる。

抱き寄せたエリスの身体は、昔より痩せていて…それでいて、とても冷たかった。

「エリスゥ…ごめんよぉ、次は絶対離さないから…次は絶対、幸せにするからぁ…っグスン」

「絶対、だからね……約束よ…」

もう離さまいと、弱々しい己の身体で強く、強く抱きしめた。

そんな、2人の二度目の始まりを月明かりが優しく照らす。

それはさながら、2人に微笑み応援する、天からの祝福の様であった。


②ENDーー2度と離さない


 

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