舞姫アフターストーリー

初心なグミ

ルート分岐前


例の件があり私の心は、もう持ちそうにはなかった。

エリスも母もいない日本に帰ってきても、毎日がただ辛く苦しいだけ、何も満たされやしない。

上官には怒られ、かつて同じ志を持っていた仲間には蔑まれる。

しかし周りの人達はそんなことにも飽きたようで、捨てたぼろ雑巾の様に、忘れられた。

それが幸か不幸かは分からないけれど、その時本当の意味で独りになったのだ。

住み慣れた筈の実家。

懐かしい筈の実家。

母親がいた筈の実家。

でも今は、明かりすら灯いていないただ暗く寂しい実家。

いつしか私は、涙すら出なくなっていた。

それから数日のことは、あまり覚えていない。

強いて言うなら、私の学と知識だけを狙った狼共に吠えられただけだ。

あぁ…エリスが恋しい…会いたい。

ならば、会いに行けるようにするしかなかった。

会うには権力がいる……金がいる。

それからは自分の経験を活かして、狼共の巣でやっていった。

上官や大臣の元で苦汁を舐めながら仕事をしていると、いきなり相澤が我が物顔で「流石は豊太郎。優しいお前の事だ、あの学のない小娘の事で駄目になったかとばかり心配していたが、ちゃんと乗り越えて活躍してる様じゃないか。最近のお前は、上からの評判が高いぞ!」と、戯言を言ってきたので軽く流しておいた。

帰国の途中は恨んでいた相澤も、年月が過ぎるうちにどうでも良くなっていったからだ。

結果として私は、5年で金と名誉を得ていた。

コツコツと貯めた5年分の全てを使い、持って、ドイツにいる筈のエリスに会いに行った。

5年前にエリスと過ごし思い出の場所だからだろうか、気付けばエリスとエリスの母親と過ごした家の前に立っていた。

次第に罪悪感や謎の緊張感でそわそわし始めたのを落ち着かせ、いざドアの取っ手に手を掛ける。

ドアを開いたその先には、誰もいなかった…。

私は、何も考えられなくなった。

ドアをバタンと閉めると、魂が抜けたかの様な足取りでふらふらと彷徨った。

自分が務めた新聞会社。

エリスと待ち合わせをしていた喫茶店。

エリスが踊る様に舞っていた座。

苦しくも楽しかったあの日々を思いだす度に、次第に涙が溢れてきていた。

私は何故、エリスを選ばなかったのだ、と。

悔やんだって、もはやどうにもならない過去のことだ。

しかし、そんな事はとうの昔に分かっていた事実。

豊太郎は無駄だと知りながらも悔やんでいるのだ。

豊太郎は葛藤をしながらもふらふらと彷徨う。

そして、ぴたりと立ち止まった。

神はサイを降らないというが何の因果か…少し遠目に見えるそこは、初めてエリスと出会った場所であった。

豊太郎は無い気力を振り絞り、少しずつ少しずつ引きずりながら歩く。

限りなくゼロに近い奇跡に賭けて。

絶望に打ちひしがれてろくに見えない眼で前だけを見て、疲れ果てた足を無理矢理進ませ、あの日捨ててしまった手で取り戻そうとした。

途中、すれ違う人とぶつかり倒れてしまっても、諦められなかった。

足の力が無くなって倒れても、歯を食いしばって、無理矢理手を使って進んだ。

顔は様々な感情が混じり合った涙と鼻水で濡れていた。

あれから5分、短い様で長い時を経て辿り着いたエリスとの邂逅の場。

しかし、そこにエリスの姿は無かった。

最後の希望の光とも思えた場所に、エリスは居なかった。

もう進む気力も、嗚咽を漏らす体力も、泣き叫ぶ涙も、既に枯れ果てていた……。

私が倒れてからどの位の時が経っただろうか。

気を失うまでは薄紅緋色うすべにひいろを孕んでいた風景も、今では闇に溶けていた。

泥塗れになり、ボロボロになったスーツ。

夜風に吹かれ悴んだ手足。

鞄が取られなかったのは幸いか、その全てが豊太郎の現状を語っていた。

疲れ切った身体で壁にもたれ付き、疲れ切った精神でどうにか意識を保っていた。

光のない現実に打たれ、何も考えず、何も感じず、ただ呆然と鎮座していた。

廃人の様にそこに座り込んでからどの位の時が経っただろうか。

耐え難い現実と、凍えるような寒さに打ちひしがれる度に、エリスのことを思うと、ただ自分の不幸を呪うことさえも出来なかった。

現実と外界から自分自身を遠ざけ何もかもを拒絶していると、前から「大丈夫ですか?」と女性の声が聴こえてきた。

それは、とても懐かしい声だった。

それは、とても愛おしい声だった。

それは、5年間ずっと会いたかった人の声、だった…。

灼かれる様な夜風に凍えた喉を振るわせ、精一杯の言葉を振り絞る。

 

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