第37話 星の言葉
「ねえねえ、それでどうなったのよ~? 教えてよ、あの夜のハ・ナ・シ」
「いや、だって、ば……っ! 職場でする話じゃない……! ああほら、オリヴェルさんがぽかーんてしてるじゃん」
「サンナー。俺、朝食、食べてないど……」
「サンナは娘さん、私は職員のラスタ! 朝ごはん食べましたよー、オリヴェルさん。もうすぐお昼来るから待っててねー」
城での一夜から数日が過ぎ、仕事に戻ったケイはラスタからの質問攻めに遭っていた。
プライベートな時間でも困る内容なのに、今は仕事中だ。養老院2階の認知症の入居者のケアをしながら投げられた質問に呆れ半分怒り半分で答えると、会話に乱入してきた
ケアを終えて部屋を出ると、無人の廊下でラスタが腰をぶつけてきた。
「職場じゃなくたってしてくれないくせに。なによう、あの日ココちゃん預かったのあたしなのに。あんたも侯爵様も、あたしにもっと感謝してもいいと思うけどね」
「それはもちろんしてるよ。ラスタがいなければ、最初から絶対ここまではならなかったし。でもあっちの立場もあるし、軽々しくは話せないよ……。ごめん」
どこに耳があるかも分からないのだ。ケイが小声で詫びると、ラスタは短くため息を吐く。
「はいはい、冗談よ。今度外でたっぷり聞かせてもらうから。……それにしても、あんたがここで働くのもあとちょっとなのね。寂しくなるわー」
「え? なんで?」
「なんでって……結婚するんでしょ?」
「え。いや……言われてないけど」
「――は。……はぁ!?」
立ち止まったラスタが信じられないというように大きく目を見開く。ラスタは小声でまくしたてた。
「えっ、どういうことよ!? やることやっておいて、何もなし? あっ、うっかり言い忘れた……? いやさすがにそれはないか。あんた、それでいいの!?」
「早い早い。……いや、そんな簡単にいかないでしょ。だって侯爵家だよ? こんな得体の知れない女を、しかも子持ちを、おいそれと家には入れられないでしょ……。王様の許可とかもいるだろうし」
「それは――。でも、このままじゃ……」
「私は別にいいよ。不誠実なことをされないなら」
心と体は通じ合ったが、ケイはこれからのヴォルクとの関係を結婚という形に当てはめたいとは思っていなかった。
結婚したって幸せになれるとは限らないことは、ケイもヴォルクも痛いほど分かっている。それに少しは想像もしてみたが、侯爵家の妻などという立場は自分にはどう考えても荷が重そうだった。
形にこだわらなくとも、ヴォルクとの繋がりはこれから工夫して保っていけばいいだけだ。ココがもう少し大きくなって手元に余裕ができたら、寮を出て街に部屋を借りてもいい。そうしたら少しは会いやすくなる。
「欲がないわね……」
「そうかな? 庶民には過ぎた境遇だと思うけどなあ。――あ、院長」
呆れたようにため息をついたラスタに答えると、階段からヘレナ院長が上がってきた。珍しく、真剣な顔をしている。
「ケイ、あなたに星読みの館から手紙が届いています」
「えっ? あ――、アデリカルナアドルカ様……!?」
――時刻は少し、さかのぼる。星読みの館から来訪の
同行を申し出たオルニスを控え室に置くと、冷たい大理石に囲まれた通称「星読みの間」に招かれる。ひざまずいて待っていると、足音も立てずに大神官アデリカルナアドルカが現れた。
この館に来るのは、ケイを見舞ったとき以来だ。
あの頃は、彼女とこんな関係になるとは想像もしていなかった。突然飛ばされた異界に惑うか弱い母子に、できる範囲で援助をしてやれたらと――それだけの気持ちだった。
だが今、自分の気持ちは大きく変わり、ヴォルクは緊張感にごくりと唾を飲む。
「久しぶりですね、ヴォルク将軍」
「は……ご無沙汰しております、アデリカルナアドルカ様」
侯爵家の当主になるより前から面識があったため、アデリカルナアドルカはヴォルクを将軍と呼ぶ。
見た目は多少ふくよかになったが、記憶通りに抑揚のない彼女の声にヴォルクは底知れぬ不安を抱いた。――なぜ、いま自分がこの場に呼ばれたのか。
「単刀直入に申します。……星の動きが変わりました。あと数日のうちに、恵みの者――ケイとその子が、元の世界に帰れるかもしれません」
「は……」
前置きもなく淡々と告げられた言葉が、最初は理解できなかった。
無表情にこちらを
「な――。それは……誠でございますか」
「まったく……あなた方は同じことをわたくしにおっしゃる。わたくしは嘘は申しません。星と月に誓って」
「…………」
茫然とするヴォルクにすっと目をすがめ、アデリカルナアドルカが冷たく言い放つ。彼女は瞬きすると言葉を重ねた。
「二日後の16時、北の砦の井戸のあたりで星の激しい輝きが予測されます。おそらくは、転移――その門が開くのではないかと」
「その時間にそこに行けば、元の世界と繋がると……?」
「おそらくは。わたくしも経験がありませんから、定かではありませんが」
高い天井の下にある星形の窓を眺め、アデリカルナアドルカがつぶやく。ヴォルクはひざまずいたまま、押し殺した声で問いかけた。
「なぜ……私が呼ばれたのですか。ケイではなく」
「あなたはケイの後見人だと聞きましたが……? 王宮づてで手紙を届けるよりも、直接伝えた方が早いと思いましたので」
「なぜ……、なぜ今さら、私に言うのです! 今になって……ここまで来て……!」
「…………」
感情を抑えきれず、ヴォルクが吠えた。それをアデリカルナアドルカは感情が欠落したような目で見下ろす。
年若い頃、彼女に初めて対面した時はその彫刻のような美貌に憧れたこともあった。だが今、その変わることのない氷のような視線にヴォルクは怒りすら覚える。
やっと掴みかけたと思ったものが――行ってしまうかもしれない。それは恐怖で、絶望だった。
アデリカルナアドルカはふぅと息を吐くと、淡々と言い放った。
「何か思い違いをしていませんか、将軍。わたくしは星の言葉をただあなたに伝えただけ。そこにわたくしの思惟はありません」
「分かって……おります。……失礼いたしました」
感情を剥き出しにしてしまったのを恥じ、ヴォルクが詫びるとアデリカルナアドルカがうなずく。ヴォルクは立ち上げると大神官に問いかけた。
「ケイには……私から伝えますか」
言わないまま、隠ぺいしてしまおうか――そんな姑息な考えが、一瞬頭をよぎった。だがアデリカルナアドルカは首を振ると、ヴォルクが聞きたくなかった答えを紡ぐ。
「すでに手紙を出しました。当事者は、彼女ですから」
「……っ。そうですか……」
唇を噛みしめ、ヴォルクは退出の挨拶を告げた。顔を上げると、思いのほか小柄なアデリカルナアドルカが自分の顔を見つめている。
「変わりましたね、将軍。あなたはもっと、冷静で動じない性格かと思っていましたが」
「……みっともないですか。大の男が、将軍などと呼ばれる男が、女人一人の存在に我を忘れるなど……さぞ滑稽で見苦しく映ることでしょう」
自虐を込めて苦く笑うと、アデリカルナアドルカが小さく目を見開く。
やがて彼女は紅を引いた唇を、ごくわずかに笑ませた。
「いいえ。……悪くないと思いますよ」
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