第34話 幕間


 ヴォルク将軍の副官オルニスの仕事は、多岐にわたる。


 軍内での将軍の業務の補佐はもちろん、自身の訓練や鍛錬に加えて、侯爵としてのヴォルクのちょっとした補佐まで行っていた。

 自身を「銀獅子将軍の熱すぎる一番弟子」と称する彼は、軽そうな見かけや態度に反してヴォルクのささいな変化にも敏感だった。


「将軍、最近ケイさんに会いました? 元気っすかねー」


「先日、ココも連れて馬で例の湖に行った。それ以降は会っていないが……元気なんじゃないか」


「……ほー。そうっすね」


 軍本部の執務室で書類仕事をしながら雑談を振ると、淡々とした答えが返ってきた。その内容と声色にオルニスはぴくりと反応する。


 ……今、少し嬉しそうな話しぶりだった。自分じゃなければ気付かない程度だったが、わずかに声の調子が明るかった。

 書類に目を落とし、無表情に署名をしていくヴォルクにオルニスは続けて問いかける。


「ケイさんが侯爵邸を出ても、会ったりしてるんすね。なんか話したりします?」


「別に……変わったことは何も。二人とも馬に乗るのに不慣れなのでな。練習も兼ねて誘っただけだ。他意はない」


「……そっすか」


 またしても素っ気ないヴォルクの返答に、オルニスは思わず噴き出しかけた。それを寸でのところでこらえ、唇を震わせながら下を向く。


(いやいやいや、他意ありまくりじゃーん! 馬に乗れなくても馬車あるから普通に生活するには別に困らないし、今ちょっと動揺したし! ……なんかあったな? 絶対あったよな!?)


 ケイがヴォルクに好意を抱いているのは本人に確認したから知っている。というかバレバレすぎてツッコミまで入れた。

 まあそうなってしまった気持ちはめちゃくちゃ分かるが。むしろ、そうならなければあんたの目は節穴かと真剣に肩を揺さぶりたくなってしまうが。


 そしてヴォルクも、本人にはまったく自覚はなさそうだったが明らかにケイたち親子を特別扱いしていた。


(普通あんなに気にかけないっしょ……。ココちゃんを見る目めっちゃ優しいっつーか、もはやお父さんだし。ケイさんに至っては、なんかもう気持ちがあふれ出ちゃってるし)


 他の奴らは気付かないだろう。ただ、最初からあの三人を見てきた自分には分かる。彼らの間に特別なつながりが生まれていることに。

 そしてそれはオルニスにとっても望ましいことだった。憧れの銀獅子将軍がいつも冷静なのもいいが、憧れの人だからこそ幸せにもなってほしい。オルニスは手を組んで念を込める。


(くっつけ~。くっつけくっつけー!)


「……オルニス。用を足したいなら黙って行け」


「いや違うっす。願ってんのは違うことっす」


「そうか。午後は王宮に行ってくる。私がいないからと言ってサボるなよ」


 淡々と告げてヴォルクが席を立つ。追いかけ続けたその背中に向かい、オルニスはもう一度特大の念を送った。







「ヴォルクよ。近頃、王都の未亡人や少々歳のいった令嬢たちが涙に暮れているそうだぞ」


「は……?」


 当代のオケアノス国王・アステール3世は政務の合間に、軍本部から呼びつけたヴォルクへ最近聞いた噂話を振った。

 机を挟んで向かいに立った銀髪の幼馴染は、眉をひそめて不可解な表情を浮かべる。


「何か、彼女たちの負担となることがありましたでしょうか。税率は変わっていないですが、生活を脅かすような事態がどこかで――」


「このたわけが。……相変わらず鈍いな。そなたの話だ」


「私? 私が何かしましたか」


 ヴォルクはますます意味が分からないと言うように首を傾げる。男から見ても男らしいその精悍な顔に、アステールはにやりと笑いかけた。


「そなたの後添えを狙っていた女たちが、夢破れて泣いているそうだ。謎多き『恵みの者』の美女が、いつまでも再婚しない銀獅子侯爵をとうとう射止めたと」


「は――」


 ヴォルクがぽかんと目を見開く。アステールの言葉を反芻するようにしばらく時間を置くと、ぎょっと顔をしかめた。


「なんですか、それは。また妙な噂が――」


「そうか? ……そうかのう。火のないところに煙は立たぬと言うが」


「……っ」


 アステールが目を細めるとヴォルクが言葉に詰まる。先日から妙に機嫌が良く見える側近に向かい、アステールは追及を深めた。


「その後、どうなった? 想いは伝えたのか。ケイは受け入れたか? よもや、もう抱いたのではあるまいな」


「……お答えしかねます」


「言え、ヴォルク」


「嫌です」


 強めの口調で命じるも、ヴォルクは苦虫を嚙み潰したように渋面で応じるばかりだ。アステールはため息をつくとやれやれと両手を開いた。


「つまらぬ。根掘り葉掘り聞いて、からかってやろうと思うていたのに。やれそなたの口説き文句だとか、やれケイの抱き心地だとか――」


「おやめください。……そう言われると思ったからこそ、話したくありません。陛下の暇つぶしのネタにされるのはまっぴらです」


「ふん」


 長く共にいて互いの性格を知り尽くしているからこそできる、軽口の応酬だ。

 少なくとも否定されなかったぶん、悪い方向には向かっていないようだ。それが知れただけでも良しとする。

 口を割らない幼馴染に向かい、アステールは唇をつり上げる。


「……そうだ。例の祝賀には、必ずまたケイを同行させよ。先日はそなたしか眼中になくて、まともに話せなかったからな」


 ヴォルクが嫌がるのを分かっていてあえて誘うと、幼馴染は予想通り眉をしかめた。アステールはにっこりと笑いながら、たたみかけるように告げた。


「そなたは余に借りがあるな? ……うんと着飾らせて連れてこい。おのがものだと見せつけて、ケイに夢見る男どもに冷水を浴びさせてやれ」


 意地の悪いたくらみを提案すると、ヴォルクはため息をついたあとにしぶしぶ応えた。


「……御意」







「まあ侯爵。フィアルカ様の喪は明けたのですか? 先日は『車椅子』をありがとうございました」


「ああ。こちらこそ、わざわざ弔いの言葉を送ってもらい感謝する。ここは変わりないようだな」


 カルム養老院の院長・ヘレナは久方ぶりのヴォルクの訪れに目元の皺を深めた。いつもと変わらない養老院の様子にヴォルクがうなずく。


「ええ。ラスタとケイが復帰して、また賑やかになりました。あの二人がいないと、入居者の方たちも寂しそうで……。昨日さっそく、『第4回からおけ大会』を開いていましたよ」


「からおけ?」


「はい。歌でする合戦なんですって。ケイが元の世界の歌を熱唱していました。宇宙なんとか……やまとって。いい歌でしたよ」


 拳を握りしめて謎の歌を熱唱するケイを思い出して笑うと、ヴォルクが精悍な顔に困ったような笑みを浮かべる。以前と比べて柔らかくなったその表情に、ヘレナは胸が温かくなった。


「車椅子はどうだろうか。伯母のお下がりで悪いが、軍の協力で量産を始めたからいずれ新しいものが届くはずだ」


「便利なものですね。皆さんが乗りたがりますが、歩ける方は乗っては駄目とケイとラスタが叱ってます。必要な方が使えるよう、有効に活用したいと思います」


「そうか」


 ヴォルクは無言で、施設内に視線をさまよわせた。その誰かを探しているような眼差しにヘレナはピンと来る。


「ケイですか? 今は上の階におりますが、呼んできますか?」


「あ、いや……。良いのだ。仕事の邪魔をする気はない。ただ、これを渡しておいてもらえるか。あとまた休暇を頼む」


「それは構いませんが……本当によろしいので?」


「ああ。次の予定があるのでな。ヘレナも息災でな」


 ヘレナに封書を託したヴォルクが慌ただしく退出を告げて養老院を後にする。ヘレナは預けられたそれを眺め、ふっと笑みを刻んだ。


 風の噂で、そしてレダをはじめとする貴族に関わりある友人たちからの話で、なんとなく伝わってくるものだ。あの侯爵が、最近変わりつつあると。

 その変化をもたらした人物に手紙を届けるべく、ヘレナはゆっくりと階段を上る。


 ヴォルクが前妻と、公にはなっていないが子供を同時に亡くしたとき、彼は深く悲嘆していた。夫婦仲は良くなかったようだが、それゆえこれからに期待を抱いていただろうに、それが崩れ去りしばらくの間は暗い顔をしていた。

 それから10年が経ち、ようやく前を向きはじめたヴォルクにヘレナは声援を送る。


(……ぼっちゃま。この老婆にできることならいくらでも手助けしますから、今度こそ幸せにおなり下さいね)







「なぁに~。ニヤニヤしちゃって。……あっ、また手紙来たんでしょ」


「う……。そう、だけど……。見ないでよ」


「あのね。人の恋文なんて見るかっての」


 ラスタが午前の仕事を終えて休憩室に入ると、先に休憩に入っていたケイが嬉しそうな顔でまだ封をしてある封書を眺めていた。その緩んだ顔にラスタは軽く肘鉄を入れる。


「顔、緩みすぎ。バレるわよ」


「……っ。ごめん……」


(あーあー、恋する乙女みたいな顔しちゃって)


 手紙の差出人を、ラスタは把握していた。そしてケイがそんな顔をするに至った経緯もなんとなく。

 ひそかに関係をはぐくみ始めたじれったい三十路たちにラスタはごちそうさまの意でため息をつくと、ケイが大事に持つ封書を顎で示した。


「読んじゃえば? 中、気になるでしょ。急ぎの要件かもしれないし」


「そうだね……うん」


 意を決した様子のケイが封を開く。隣で昼食を食べながら横目にそれを眺めていると、ケイは文字を指さしながらゆっくりと手紙を読み、次第に首を傾げた。


「なによ。詩的で難解な愛の言葉でも書いてあった?」


「いや全然そういうんじゃないよ。ごめん、ちょっと意味が分からなくて……悪いけど読んでもらえる?」


「あら、いいの?」


 質の良い便箋を受け取ると、おおらかで整った筆跡にラスタはざっと目を走らせた。そこにはラスタが期待したような愛の言葉はなく、当たり障りのない体を気遣う挨拶と、どちらというと事務連絡的な内容がしたためられていた。


「えーと、今度国王陛下の生誕祭があるから、同行してほしい。……あら、またお誘い。しかも今度は公式な」


「だよね? えっ、生誕祭って――お誕生日会?」


「急に子供の行事みたいになったけど、まあそうね。で、40歳の節目で大々的にやるから、自分も礼装を仕立てる。そなたにもドレスを仕立てたいので店に行ってくれ……。あらまあ、大盤振る舞い」


 文言は事務的だが、これはなかなかに熱のこもった内容だ。だがケイはというと、まずいものでも食べたかのような微妙な顔をしている。


「えー……盛大なお誕生日会……。しかもまたドレス……」


「あんたね……」


 ケイは知らないのだ。この世界で王宮に着ていけるようなドレスを仕立てるのがどれほど費用のかかることで、どれほど特別であるのか。よほどの想いを寄せている相手でなければ、こんなことはするまい。


「だって似合わないんだもん。横に並ぶのが申し訳なくて」


「はぁ~? あんた、こないだあたしがあんなに頑張ったの、忘れたの?」


「いやそれは本当に感謝してるけどさ。――うぶっ!?」


 ラスタはケイの両頬を片手で掴んだ。むにっと唇を尖らせたケイが驚いたように瞬きする。その頬をむにむにと揉みながら至近距離からじっと見つめると、ケイは困惑に眉をひそめた。


「なになに!? 美人に睨まれると怖い……!」


「…………」


 なぜこの親友は、こんなに自分に自信がないのか。

 たしかにいわゆる美人ではないが、愛嬌はあるし、化粧をしたら魅力的な美人になることは証明済みだ。

 しかも肌質もいい。ラスタが触れた頬はきめ細やかでもちもちとして、ずっと触っていたくなる手触りだ。


 何よりこの体。というか胸。子供を産んでなお、この形と大きさを保っているのは奇跡に近い。本人には言わないが、男を虜にする要素が満載だ。


(しかも性格もいいし……。この子の元旦那、ほんと馬鹿。見る目がない!)


 ため息をついて手を離すと、頬に指跡をつけたケイが首を傾げる。年上のくせにどうにも放っておけない親友を見ると、ラスタはケイに手紙を返した。


(今度こそ掴まえときなさいよね、侯爵様……!)


「しょーがない。今回もまた、一肌脱いであげるわよ」



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