第24話


         ※


 ジャンク側の切り札にして俺たちにとっての脅威、蛇型の大型クリーチャーを倒せたはいいものの、問題は今後のことだ。

 どうやって現在遂行中の任務、すなわち筒状の巨大地下建造物を、ジャンクたちの手から奪還するか、について。


 S型の操縦を自動操縦に任せ、俺はずっとそのことばかりを考えていた。俺とアミが搭乗する機体のそばで、サイクロプスが堂々と歩みを進めている。俺たちの護衛任務を遂行してくれているのだ。


 怪獣同士の血わき肉踊る大決戦! ――などという一大スペクタクルを眼前で体感したせいか、ユウはいつになく浮かれている様子。鼻歌混じりに、サイクロプスにスキップでもさせかねないほど上機嫌だ。


 不思議だったのは、酸性雨があっという間に止んだこと。そしてユウの奏でる鼻歌が、妙に神々しく聞こえた、ということ。

 雲の隙間から、日光が差し込んでくる。人間に荒らされた地球の都合などお構いなしに、数十億年前から輝き続ける暖かい光。

 それを背景にしていたからこそ、ただの鼻歌が神々しい讃美歌に聞こえてしまったのかもしれない。


「奇妙なもんだな……」

「はッ、タカキ准尉、何か仰いましたか?」

「え? ああいや、何でもないよ」


 アミは念のため、火器管制システムを仕切る有人席に座っている。敵の判別や軌道予測は、まだAIより人間に分があるらしい。


「アミ、席替わるか?」

「いえ、大丈夫ですよ。新たな巨大生物が現れない限りは」


 俺は首肯しつつ、繋ぐべき言葉を考えた。


「なあアミ、ジャンクの連中、お前の身柄を寄越せって言ってたよな」

「そうですね」

「まさか、その案に乗っかるつもりじゃないんだろう? お前はちゃんと人間扱いされてるし、そもそもジャンクの――敵の言葉なんて、信じやしないだろう?」

「無論です。徹底抗戦あるのみです」

「俺も同意する。ユウも同意見のはずだ」


 俺はS型を奪還するまでの間、相棒として使っていた散弾銃を、背中でがちゃり、と揺すってみた。


 それが合図だったのか、何だったのかは分からない。俺の瞼の裏に、さっき見かけた少年の姿が、より明瞭になって現れてきた。


「タカキ准尉、どうかなさったのですか?」

「い、いや……」


 何でもない、と付け足したかったのだが、残念ながら俺の脳内はそれどころではなかった。


         ※


 十年前、火星軌道上のスペースコロニー某所にて。


「……で、君ら兄弟が盗みを働いたのは、このパン屋だけで二十一回、と。余罪もだいぶありそうだな」


 俺と弟のハルトは、そのパン屋からパン切れを盗んで駆け出したところを、覆面警官に捕まった。ここは警察署の取調室で、外界からは完全に拒絶されている。


 一歩外に出れば、穏やかな陽光に当たりながら、日向ぼっこでもできたことだろう。しかし、それは俺たち兄弟にとっては無理な相談だった。


「聞いてんのか、ガキ!」

「うわっ!」


 警官の蹴りがハルトの椅子を倒し、そのままハルトは側頭部を床に打ちつけた。


「おいっ! 乱暴するなよ! あんたたちは警官なんだろ、市民の味方なんだろう!?」

「そうさ、俺たちは正義の味方だ。だから小悪党は小悪党らしく、本物の悪党になる前にいい子にさせなきゃなあ!」

「ぶふっ!」


 自分にあるだけの語彙を駆使して反論を試みたが、まるで効果はなかった。

 そして警官は、俺の頬に強烈な鉄拳を見舞う。左の奥歯が抜け、血がどくどくと溢れてきて、自分の決断を鈍らせようとする。


 だがその決断こそ、俺にとっては心の、魂の縋る最後の砦だった。


「俺の弟に暴力を振るうなあああ!!」


 偶然だろう、背後で俺の動きを封じていた手錠が外れた。

 振り返ろうとした警官は、しかし、体軸を半回転させる途中で俺のドロップキックを喰らうこととなった。


「がはっ!?」


 悲鳴に加え、奇妙な音がした。それが骨折の音か、内臓破裂の音か、俺には分からない。

 分かるのは、俺は倒れた警官に蹴りを入れ、鍵をかっぱらって警察署から脱出したことだ。もちろん、ハルトを連れて。


 ただの盗人といえど俺たちが万引きの常習犯だったから、警察も本腰を入れて捜査をしていたらしい。

 しかし、警察は面目丸つぶれといった状態。パン屋の最寄りの警察署で事情聴取(という名の暴行)を行い、しかも形勢逆転の後に鍵束を俺たちに奪われた。

 こんな時代になってまで金属製の鍵を扱っているなんて、セキュリティの脆弱さを犯罪者に向かって喧伝しているようなものだ。


 いずれにせよ、俺たちは改めて春風のそよぐ外気の下へと出られたのだった。

 全力疾走することしばし。俺たちはスラム街に足を踏み入れた。ここなら、逃走ルートが無限にある。

 俺たち兄弟のような輩は、毎度世話になっている。家の場所が曖昧だし、政府に反感を持つ者も少なくない。警察を振り切るには最適といっても過言ではないのだ。


「よし、行くぞ、ハルト! 走れるか?」

「……」

「おいどうしたんだ、早く逃げないと――」

「……」


 ハルトを引いている腕に、がくん、と異様な重さがかかった。

 腕がすっぽ抜けて、俺たちは前のめりに転倒する。と同時に、大きな影が俺たちに圧し掛かってきた。


「残念だったな、クソガキ共」


 その声に振り返ると、さっきの暴力警官が立ちはだかっていた。どうやら致命傷ではなかったらしいが、まさかここまで来て追い詰められていたとは。

 俺は自分の首筋に、嫌な汗が滲むのを感じた。


 しかし一番の問題は、俺が最早逃げ切れない、ということではない。

 ハルトが驚くほど弱っているように見えることだ。いや、もう確実に、衰弱していると言い切ってよかったのかもしれない。


 そんなハルトに向かって、警官は思いっきり自らの足を振り上げた。


「待てっ、止めろっ!!」


 今までの鬱憤がたまってでもいたのか、振り下ろされた靴に容赦はなかった。

 俺は慌てて目を逸らしたが、耳までは塞げない。


 ハルトの悲鳴、骨折音、筋肉が引きちぎられる生々しい音。

 それらが一緒くたになり、または分離して、俺の耳に捻じ込まれてきた。


 俺も暴行を受けたはずだが、その部分の記憶はない。分かっているのは、後から来た他の警官たちが、真っ黒い袋にハルトを詰め込んだこと、そして暴れる俺に注射――おそらく鎮静剤だろう――を施されたこと、そこまでだった。


         ※


「記憶に残っているのは、ハルトを回収した袋が死体袋なんじゃないか、って察したところまでかな」


 つい饒舌に、なんの憚りもなく語ってしまったな。ちらりとアミの方を見ると、何故かその顔は俺の方に向いている。


「ど、どうしたんだ、アミ?」

「いえ。人間の感情の流れというものを、タカキ准尉のお顔の血流と筋肉の動きから解析していました。ご迷惑でしたか?」

「いや、そんなことはない。ただの昔語りさ」


 俺は肩を竦めてみせた。


「それで、准尉はどうして軍に?」

「本当に偶然だったよ。俺が運ばれた病院で、気づいたら軍人らしい連中が三、四人はいたかな。そのうちで一番軍人らしくなかったのがスティーヴ・ケネリー大佐だった。ああ、当時は少佐だったけど。そして約束してくれたんだ」

「約束?」

「飯をしっかり食わせてくれるってことと、弟を、ハルトをきちんと埋葬してくれること、っていう二点。俺にとっては万々歳だった」


 俺は特に意図もなく、正面の光景を見つめた。

 地球は人類によって駄目にされてしまった。それと同じことが、月や火星、それにあちこちのスペースコロニーで起きている。


 あまり深く考えたくはないが、とにかく人類の本質は変わりやしない、ということなのだろう。生まれ故郷を滅茶苦茶にし、新たな世界に飛び出しては、またそれを繰り返す。


「……」

「准尉、どうされました?」


 何でもない、ともう一度言ってみようと思ったが、結局それは震えるような、か細い溜息にしかならなかった。

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