絶体絶命コンビニ
吟野慶隆
第01/15話 号砲
轟音に鼓膜をつんざかれ、仰天して顔を上げたところ、ある男が別の男を拳銃で撃ったところだった。
今いるのは
室内には紺斗以外にも何人かの学生がいて、そのうち二人は教壇の上にいた。一人は地味な格好をした男子で、右手に握った拳銃の銃口を前斜め下に向けていた。もう一人は派手な格好をした男子で、床にうずくまり形容しがたい呻き声を漏らしていた。両手で押さえている腹からは赤い液体がどばどばと流れ出していた。
紺斗は内心で呟いた。(映画サークルの撮影か何かか?)
再び大きな音が鳴り響いた。地味男子の拳銃が火を噴き、派手男子の頭の大部分が吹き飛んだ。特殊メイクの類いでないことは物理的に明らかだった。
紺斗は口をあんぐりと開けた。(本物だ!)
近くの女子学生が金切り声を上げた。
それが合図となり、講義室にいる学生たちは──教壇の二人を除く──いっせいにパニックに陥った。思い思いの方法で逃げ始める。ある者は廊下に飛び出し、ある者は窓から飛び降り、ある者は転んで頭を打ち気絶した。
(お、おれも逃げないと!)
紺斗は勢いよく立ち上がった。左手首の腕時計が机の端に衝突したが、気にしている余裕もなかった。左を向き、西の壁の南端に位置している出入口を目指して全力疾走し始めた。
二秒後には中断した。右足を後ろに滑らせたせいだ。
(ぬあっ、倒れ──!)
右手で机の端を掴んだ。右足を前に出し、床を踏みつける。なんとかこけずに済んだ。
(うぐ……!)
右足首に鈍痛を感じたが、リアクションをとっている場合ではなかった。再び出入口に向かう。
今度は全力疾走というわけにはいかなかった。右足首が体重をかけるたびに痛むせいだ。それでもなるべく急ぎ、どうにか扉の前に着いた。荒っぽくノブを握り、手前に引いた。
出入口の向こう側には女子学生──
妃乃は目を丸くした。「紺斗くん、どうしたの?」
「妃乃、逃げるぞ!」紺斗は言った、というより喚いた。「事件だ! 人殺しだ!」
「ええっ!?」
妃乃は丸くした目をぱちくりさせた。視線を室内に遣る。
紺斗は慌てて「見るな、血だらけだぞ!」と言ったが、遅かった。妃乃は視線をやや上に向け、後ろに倒れだした。
紺斗は急いで両手を伸ばしたが、その必要はなかった。妃乃自身が右足を後ろに動かし、体を支えたためだ。視線を元に戻すと、頭を左右に振って叫んだ。
「逃げよう!」
「ああ!」
紺斗は出入口をくぐり、部屋から出た。妃乃の斜め後ろにつき、その背を軽く押しながら廊下を早足で進み始めた。
三度目の轟音が鼓膜をつんざいた。一瞬だけ振り返り、2B講義室の中に目を遣った。
銃口を咥えた地味男子が崩れ落ちるところだった。
「速報 神津大学の発砲事件 犯人の死亡を確認」
その見出しを目にした時、紺斗は思わず、はああああ、と大きな溜め息を吐いた。
紺斗は四人がけのテーブル席についていた。向かいの椅子に腰かけている妃乃が怪訝な視線を向けてきたので、「犯人の死亡が確認されたってよ」と言った。「新聞社のウェブサイトを確認したんだが、そんな見出しがトップページに載っていた」
「そう……よかった」
妃乃も、ふうううう、と大きな溜め息を吐いた。直後、くすりと笑った。紺斗と同じようなリアクションをとったことが面白く感じられたのだろう。
二人は大学の近くのカフェにいた。窓からは雪がちらついているのが見える。空は灰色の雲に覆い尽くされていて、まだ午後二時だというのに薄暗かった。
(おれは地味男子が自殺する場面を目撃した。しかし妃乃はそのことを知らないわけだし、なによりハプニングが発生してさらなる発砲事件が起きる可能性も否定できない。それで、「念のためキャンパスから出ておこう」「どこかのカフェにでも行って気を落ち着かせよう」と提案したんだ)
紺斗たちは席につくと、まず家族や知人に無事を伝えた。それがひととおり済んだ後は、スマートホンを駆使して事件の情報を収集した。そしてさきほど新聞社のウェブサイトにアクセスしたというわけだ。
(「犯人の死亡を確認」とあるが、具体的な死因は何だ? おれが最後に目撃したとおり、拳銃自殺なのか? ええと、記事へのリンクは……これか)
紺斗は、シニカルな目つきといい無造作に整えられた短い黒髪といい、陰りのある雰囲気をまとっていたが、同時にニヒルな魅力を発してもいた。衣服のセンスも悪くなく、身に着けている黄緑色系統の長袖シャツやスラックスはそれなりに洗練されていた。
(……うん、おれの見たとおりのようだな)ふと妃乃に視線を遣った。(妃乃が事件を目撃しなかったのは本当に幸いだった。凄惨な光景だったからな。トラウマを抱えるのはおれだけでいい)
妃乃のシャープな目つきは気の強さを表しているかのようだった。ただし、印象を損なっているわけではなく、濃い桃色のリボンでハーフアップにまとめられた長い黒髪はとても可愛らしい。身に着けている桃色系統の長袖ブラウスや膝上丈スカート、隣の椅子の背に掛けている紅色のコートもキュートなデザインだった。椅子の座面にはショルダーバッグを置いていた。
(そういえば、講義室から逃げ出そうとして席から立ち上がった時、腕時計を机の端にぶつけたっけな)
左手首の腕時計に視線を遣った。大学合格祝いとして両親から贈られた物だ。デジタル式で、タイマーやアラーム、天気情報など、さまざまな機能が搭載されていた。
(特に異状はなさそうだが……いちおう故障していないか調べておくか)
紺斗はスマートホンをスラックスのポケットにしまった。腕時計を左手首から取り外し、いろいろと操作する。
(時計自体は正常に動いているが、ベルトの留め具が少し緩くなってしまっているな。まあ、金をかけて修理するほどじゃない。このままにしておいて問題ないだろう)再び装着しようとした。
手が滑り、腕時計が落ちた。床に衝突して小さく跳ね上がり、右足の靴の上に乗っかった。
(ああ、もう……)
椅子を後ろに引いた。腰を曲げて右手を伸ばし、腕時計を持ち上げる。
バンドの先端がスラックスの右の裾をまくり上げ、くるぶしの周辺が露になった。靴下の口ゴム部がずり下がっていて、肌の広い範囲が青黒くなっているのが見えた。
(何だこりゃ!?)驚いたが、すぐに原因に思い当たった。(講義室でこけそうになった時、足首に鈍痛が走ったっけな。その時にくじいたんだろう。
言われてみれば、ここに来るまでの間も右足首は体重がかかるたびに痛んでいたな……ぜんぜん気にしていなかったが。入店後は席に座りっぱなしだったし、なにより事件のことで頭が一杯だったし)
バンドの先端がスラックスの裾から外れた。腰を伸ばし、腕時計を装着した。
妃乃の「大丈夫なの?」という声が聞こえてきた。顔を上げると、妃乃も椅子を後ろに引いているのが見えた。心配する目を向けてきている。
「右足首をくじいているみたいだけど」
妃乃は椅子を元の位置に戻した。さきほどまで操作していたノートパソコンは閉じられていた。
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