第十二信:出現

 この数々の驚異に満ちた世界から、私がどんな経緯を辿って、今君の居る世界へと戻って来たか。いよいよその話をする時が来た。

 今思い返してみても、あの時私がこの身に経験した事は、少なくとも私にとって戦慄に満ちた物であった。その感覚は、どの様に書いたとしても、その雰囲気を正確に表す事が出来ないかも知れない。しかし、ともかく出来る限りの努力を持って書いてみようと思う。

 

 その時、私は陶然としていたに違いない。彼ら結晶人達の織り成す、得も言われぬ光の幾何学模様。その中に在って、私は、まるで自分が気紛れに降りて来た星々の中に居て、これこそが結晶人達の求める新しい世界、自分達とそれを取り巻く宇宙とが融合した世界、その誕生に立ち会っている、そんな思いに駆られるのだった。しかし、未だそれは仄めかされるに留まり、実現には至っていない。それが何時になるかは誰にも分からない。

 こうして遠目に彼等の光による会話を眺めていると、個々の会話は互いに関連も無い個別の物なのに、全体としてみると、何故だかそれらが組み合わさり、一つの巨大な編み目を為して、遥か上空に灯る星々の光と呼応している様に思えて来るのだった。何時かはそれが果たされるのだろう。しかしそれは、遥か遠い星の光がこの地に到達するのと同じ、否、それ以上の気の遠くなる様な時を費やして初めて可能な、絶望的とも言える遠い遠い理想郷。


 そう、何時か……。しかし、そんな私の心境など忽ちに吹き飛ばす出来事が近付いていた。

 それは、気付かない裡に、私の中に静かに忍び込んで来ていた。空に光る星々の、隈取りされたかの様にいやにはっきり見える事に戸惑い、異常に過敏になった頬を刺す冷たい空気に驚いて、そして何より身体の奥底よりせり上がって来る抑え様の無い恐怖? 悪寒? 

 両腕で身体を必死に抑え付けても、全身に広がる震えを抑え付ける事が出来ず、一体、自分は何にこんなに怯えているのか、歯はカチカチと鳴り、自分ではそれと意識しなくても、何かが、絶望的な何かが近付いて来ている事に、何より身体が感じてしまっている。

 それは足元から、未だ姿を現わしてこそいなくとも、足下から徐々にせり上がって来るその気配はジワジワと。知らずその目に見えない動きを目で追っていた。


 遂にそれが都市と空の切れ目から姿を現わし始めた時、私は思わず小さく悲鳴を洩らしていた様に思う。いや、その姿と云うより、そのと言うべきか。

 

 君には想像が付くだろうか。例えば、こんな経験が君には無いだろうか。見詰めていると目がチカチカする程に真っ白な上質紙の上に、良く溶いた青のポスターカラーを充分に含ませた筆を一気に滑らせる。其処に見いだされる物は、刃物で切り取ったかの様に鮮明な境界を持つ真っ青な、流星の様な一閃。見詰めている裡に、次第にその余りに鮮やかな色彩に、空恐ろしい何かを其処に感じ、目を逸らす事も出来ず、その吸い込まれる様な感覚に、意識を全て持って行かれそうな、そんな恐ろしくも余りに蠱惑的な無我の感覚を味わった事は?


 そんな感覚を何倍にも拡大した、逃れようにも逃れられない、そんな強烈な光を放つ、暗い夜空にその姿は余りに鮮明に過ぎて、それが完全に姿を現すまでどれ位の時が経過しただろう。その間私は瞬き一つ出来ずに、ただ貼り付いたかの様にその視線を逸らす事も出来ず、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。そんな私を余所に遂にその姿を完全に現わした、夜の空に、それは余りに異質な、青の真円。


 月だ! 青い月だ! 否応なく目に飛び込んで来て、忽ちの裡に全身にまでその色が染み渡らせ、心ばかりか身体までも全て染め上げ、自らの内に取り込んでしまわんばかりに、その致死性の毒を含んだ光を叩き付けて来る、それは余りに強烈な、


            青、青、青!


 

 

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