たとえ君でも、殺すと言っただろう?

 二日後。東京都・板橋区。

 人々の生活音はとっくに静まり返ったが、それでも夜の騒音が鳴り続ける、いつもと変わらぬ夏の星空。近頃は物騒なので、この時間帯に出歩く人は以前より少なくなっている。が、やはり東京は東京だ。


「――いやっ、やめて⁉ やめてくださいっ!」


 区内の一角にある、古びた下町の廃墟。

 そこに響くのは、若い女の絶望的な悲鳴。衣服が切り裂かれる音。肉体を叩かれる音。


「へへっ……静かにしておけよ? 騒ぎ立てなけりゃ、殺しはしねぇからよ」

「いやだぁっ⁉ 助けて! ……お母さあああああん!」


 彼女は塾の帰り道だった。突然、闇の中から男が現れて、彼女の口を塞いでここへ連れ込まれた。訳もわからずに、ただひたすら抵抗を続ける……が、少女の力では太刀打ちできない。


「いいねぇ……もっと鳴けよ、このメス豚が。こんなヒラヒラのスカート履いて、これで男を誘ってたんじゃねぇか? なぁ、そうだろ⁉」

「いやだ……お願い、助けて」

「ダメだね! その白くてピチピチの肌で、俺を喜ばせてくれよなぁ」


 肩から首筋、そして頬まで、男の舌が唾液と共に辿っていく。


「へへ……これだからやめられねぇんだよ。一度、性癖が狂っちまったからにはなぁ!」


 連続強姦魔・種田伸一はこの夜、また一人の少女を手に掛ける。

 これで何人目かは覚えていない。しかし、一度目の犯行が全てを狂わせた。女を襲ったことで狂った、種田の性に対する欲望は……まるで野獣だ。


「お楽しみはこれからだ。痛くても我慢しろよ?」

「いや……嫌だあああアアアアアアア⁉」


 彼女の腰を鷲掴み、悲鳴を楽しみながら行為に及ぼうとした。

 その、刹那。


「――まったく、単なる犯罪者はとことん醜いなぁ。美学も秩序もありゃしない」

「あぁ⁉ 誰だ!」


 暗闇の奥から聞こえる、若い男の声。種田は暴行の手を止める。

 ……足音はしない。しかし、そいつは近づいてくる。


「こんばんは、種田伸一。今夜のかてはお前だ。その子と同じように、せいぜい僕を楽しませてくれよ?」

「て、てめぇ……誰なんだよ!」

「どうも、〈純潔の悪魔〉と呼ばれている者です」


 ***


「……今、悲鳴が聞こえた」


 同時刻。

 指名手配犯を狩りに行った彼の痕跡を追って、莉緒はこの現場周辺まで辿り着いた。

 声のする方向を頼りに、走る、走る、走る。


「あぁ、もう……何やってんのよ、私は!」


 自分が一番よくわかっていないのだ。『余計なことはするな』と言われたばかりなのに、どうして彼を追ってしまったのか。

 あの時、龍が霜のスマホに送ったデータをチラッと見た。次のターゲット・種田伸一の犯行パターンから、それに基づく犯行現場の予想まで

 そして決め手は――


「GPSの反応は、やっぱりこっち……霜はあそこにいる!」


 霜の靴底に仕掛けたGPSが、彼の居場所を確かに発信していた。

 ――どうせ、すぐに気付かれるだろう。そう思っていたが、案外バレないものだ。不覚にも、自分もなかなかのやり手だと思ってしまう。


『嫌あああアアアアアアア⁉』

「っ……酷い。でもやっぱり、龍君の予測は当たりみたい」


 いよいよ悲鳴が、すぐそこまで近づいてきた。


『――こいつ、やりやがったな⁉ ぶっ殺してやる!』

『ハハ! 死に際くらい静かにしろよ』

 

 二人の男が争う声が聞こえる。……そして最後の声は、霜だ!

 闇の中に希望が見えて、瓦礫を飛び越えて向かった先に……三人の影が見える。

 衣服を切り裂かれた女性。暴れる男、恐らく種田伸一。そして、やはりいた。


「霜……!」

 

 自分の彼氏が殺し合いを始めている。その状況で、ダメだとはわかっていても、莉緒は声を上げてしまった。


 ***


「おらぁ……おらぁっ!」

「よっと! 危ないな」


 その場に落ちていた鉄パイプを拾って、襲い掛かる〈純潔の悪魔〉に抵抗する種田。

 しかしそんなもの、近づかなければいいだけのこと。ブオンと空を切る攻撃を、霜はひらりとかわして、かわして、相手をとことん煽り散らかす。


「今まで散々、暴行にレイプ三昧だったくせに。自分が殺されるとなったら、急に怖くなっちゃったのかな?」

「くそっ、死ね! 死ね! 死ねえええええ!」


 元々、身体能力に優れているわけではない。だったら、それを補う努力をするまで。薬師寺家の庇護下でトレーニングを積んできた霜なら、そこらのチンピラ程度は相手取れる。

 もちろん、単なる強姦魔の種田など恐れるに足らず!


「そんなにブンブン振り回してたら、隙だらけだよ! ――そらっ!」

「あぁ⁉」」


 瞬間。パイプを高く振りかぶった、その大きな隙を見て、突進。――腕を掴み取り、背負い投げを喰らわせる!


「だ……が、あ……」

「さて、そろそろお終いだ!」


 ――最低限の回避を意識したので、息は上がっていない。現場から逃走する分の体力を考えると、おふざけはここまでにした方がよさそうだ。

 霜はベルトポーチに手を入れ、薬師寺コーポレーション製の神経薬を取り出した。


 これを注入されれば、たちまち神経が侵されて全身が麻痺する。イコール、植物状態をプレゼントだ。


「決して目覚めぬ地獄へ……行ってらっしゃい!」

「お、おああああああああああああ⁉」


 そのまま注射針を、種田の首筋目掛けて振り下ろす!

 その瞬間、


「霜! 待って!」

「――っ⁉」


 突然聞こえた彼女の声に、振りかざした死の宣告が留まった。……眉間みけんにしわが寄る。冷汗が溢れ出る。いるはずのない彼女が、〈純潔の悪魔〉を止めた。


「……莉緒! なんでここに⁉」


 どうしてここに来た、そんなことを考えていられるほど冷静ではない。だた一つ、瞬時に溢れ出た感情は。

 ――あれほど、『余計なことはするな』と言ったのに。『たとえ君であっても殺す』と、そう忠告したはずなのに。

 どうして、裏切った?

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