第20話 あやかSide⑩ 上書き

★★★あやかSide★★★


 実に気分が悪い。


 凛がそわそわしながら虎太郎の家に入っていくところまで見届けて、私は尾行をやめて家に帰った。

 時折聞こえてくるピアノの音は二人が真面目に「練習」していることを確認させてくれるものだが、やがてその音が聞こえなくなると焦燥感が募っていく。

 私は部屋の暗がりで傷心し、時計の針がカチカチと秒針を刻む音だけが響く自室で悶々とした時間を過ごしていた。


 ――疲れた。


 自分で後押ししたくせに、今の私はとてつもなく後悔していた。

 それは、私の目には二人が終始お似合いのカップルに見えたから。

 お互いがお互いを見てドキドキして、些細なことで笑い合って。私がなりたかった理想のカップル像そのもので……そのことが無性に腹立たしかった。

 今頃は家で邪魔も入らなくなった虎太郎が勢い余って手を出して、このままなし崩し的に二人が付き合い始めるとか、容易に想像できる。


(あーあ。やっぱりキスだけじゃダメだったかあ)


 天井をぼーっと眺めながら公園のことを思い出す。

 今も舌先に残る虎太郎の感触。

 私のほうは一日中ふとした拍子に頭に浮かんでは羞恥心で死にそうになっていたのに、虎太郎はまるで昨日のことなんか忘れてしまったみたいにデートを楽しんでいた。

 我ながら随分と無理をしたつもりだったんだけどな。

 夜の公園は街灯の明かりも強くなかったし、周囲に人影もなかった。どうせやるなら最後まで突っ走っておくべきだった。中途半端はよくない。

 後悔の念に駆られて自暴自棄になった私が自分を慰めようと下腹部に手を伸ばしたところで、スマホから着信音が鳴りだした。

 虎太郎からだ。


 ……別れ話、かな。


 好きな人と親友を同時に失うなんて残酷すぎて私には耐えられないから、とりあえず無視することにした。

 だが放っておいても二度三度と着信が続く。


「しつっこいなー」


 苛立ちを含む独り言を愚痴って身体を起こす。

 閉め切っていたカーテンを少しだけ開けて隙間から虎太郎の家を覗いてみると、家の前にスマホ片手に突っ立っている虎太郎が目に留まった。

 遠目に映る私の彼氏は心ここにあらずといった様子でしばらくじっとしていたが、私がいつまでも電話に出ないでいるとやがて家の中に入っていった。

 それを見届けてすぐ、今度は玄関のインターホンが鳴る。


「どちらさまでしょうかー」


「あやか?」


 凛。

 声を聞いて心臓が飛び跳ねるかと思った。

 どうやらデートが終わってすぐ一人で訪ねてきたらしい。

 モニタ越しに不思議そうな顔が見えたので、私はなんとか動揺を押し殺して、努めていつもの調子で言葉を返す。


「あ、り、凛かー。宅配かなにかだと思ったよ。うん。で、どうしたのよ。デートじゃなかったの?」


「ちょうど今終わったところなんだ」


「……へー」


「そ、それでね、えへへ。ちょっと報告しようと思ってね」


 報告と聞いてさらに胃が縮こまる感覚がした。

 微塵もいい予感はしない。

 なぜなら彼女の声がとても弾んでいるからだ。フラれた人間がカラ元気で出せる声音ではない。

 単なるノロケ話をされるのか、最後まで行ってしまったと事後報告されるのか。楽観的なシナリオでもダメージは確定していそうだ。

 なんにせよ、今の彼女と対面する勇気は持てない。


「ごめん、ちょっと急に体調悪くなっちゃって。うつったらまずいから……」


 インターホンに向かってわざとらしく咳き込んでみせる。


「えっ、そうなの? そっか……お大事にね。わたしはただお礼を言いたくて。あやかのおかげで、ちょっとだけうまくいったかも。今日のデート」


「ふ、ふーん。そっか。うまくいったんだ」


 知ってるよ。

 彼氏彼女と、二人の共通の友達。

 通行人に私たち三人の関係を穴埋め問題で出題してみれば、百人のうち百人が凛と虎太郎を彼氏彼女の関係だと答えただろう。

 全身から「好き」が発せられている女の子は、誰よりもきらきらと輝いていたのだから。

 そして二人をこそこそ覗き見ていた私は、消去法に頼るまでもなく明らかな友達枠だ。三角関係とさえ思われないかもしれない。


「あと洋服も貸してくれてありがとう。ちょっと汗かいちゃったけど、ちゃんと洗って返すからね」


 どうして汗かいたのかな?

 私の頭は凛の言葉の行間を勝手に読み取って、悪いほうに邪推してしまう。

 否定する材料がほしいのに、探せば探すほど見つけられなくなって、焦りから余裕が失われていく。


「本当に、うまくいきそうなんだね。凛」


「……そうなると嬉しい、けど。まだ分からない」


「まだ分からない?」


「文化祭の最後に、屋上で会うことになってるんだ」


 そこで告白をして、めでたく二人は結ばれるということか。

 今すぐ屋上使用禁止にしてくれないかな。


「ほんとに頭痛くなってきた」


「あっ、ごめんね。もう帰るね」


 すぐ心配してくれて、凛は本当に優しい子だね。


「大丈夫大丈夫……凛も身体には気を付けなよ。当日は演奏もあるんだから」


「うん。あやか、当日ちゃんと聴きにきてね」


「もちろん。凛の晴れ舞台だもん。絶対に行くよ」


「……絶対だよ。それじゃあ、お大事に」


 その言葉を最後に、ばいばいと手を振って凛は帰っていった。

 遠ざかる足音をドア越しに確認した後、私はしばらく無言で立ち尽くす。


 あはは。

 なんだこれ?

 そもそも、今私が虎太郎と付き合っているはずなんだけど。どうして蚊帳の外になってるの?

 私はどうすればよかった?

 虎太郎を信じたのが間違いだった?

 そう。きっとそうだ。

 私はまだまだ手ぬるかった。祈っているだけで臨む結果が得られると、いつの間にか楽なほうへ楽なほうへと向かっていた。

 私は急いで部屋に戻り、そこらへんに投げ捨ててあったスマホを拾い上げ、発信を連打する。


「虎太郎? 虎太郎? 今どこにいるの? 電話出なさいよ――ってつながらないか。絶対家にいるでしょ」


 電話に出ないので、そのまま虎太郎の家に行って呼び鈴を連打する。

 一分くらい待っていると、家の中からどたどたと慌ただしい足音とともに玄関が開いた。


「な、なんだあやかか。風呂入ってたんだが……」


「今からデートしようよ」


「え」


「デート」


「い、今から? 今日はもう疲れて――いやまあ行くけどさ。どこか行きたいところでもあるのか?」


 明らかにめんどくさそうにしていたので軽く眉をひそめてみると、自分の立場を思い出したのかすぐに手のひらを返し始めた。


「うーん。アパレルショップ行ってからご飯食べて、最後に虎太郎の家に行こうかな」


「えっ」


「ん? 私なにか変なこと言った?」


「い、いやなんでもない」


 頭をかいて誤魔化してはいるが、明らかに動揺していた。

 あなたの今日のデートコースだもんね。無難なチョイスだなーとは思ったけど……まずはここから上書きしないとね。


「さ。夜のデートにレッツゴー」

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