第18話 虎太郎Side⑨ デートその3

★★★虎太郎Side★★★



 少し遅い昼ごはんを食べたあと、俺たちは自宅に帰ってきた。


「お邪魔しまあす」


 道中ずっと腕を組んだままで、今も解かれる様子はない。

 ものすごく胸が当たっているのだが、上機嫌で嬉しそうな凛にそのことを指摘する勇気はなかった。


「ピアノは俺の部屋にあるから……」


 かろうじて言葉を絞り出して自室へ案内すると、凛は「わあい」と喜んでスキップで階段を上っていく。

 先日と同じく男の部屋にかわいい女の子と二人きり。これで意識しないわけがないし、それはニコニコと嬉しそうにしている凛にしても同じだろう。

 かといってガチガチに緊張していたらそれこそ変な空気になるので、なるべく平静を装っておく。


「汚くてごめんな。また俺のベッドを椅子代わりに使ってくれ」


 そろそろ椅子か座布団でも用意しておくべきかと軽く思案しつつ、適当にシーツをくるんで端によけつつ案内する。

 凛は軽く腰掛けると、ふと手を置いた枕のほうを見て、そこでなぜかフリーズする。


「……凛?」


「…………金色の髪の毛……ふふっ」


「えっ?」


「ううん、なんでもない。なんでもないよ。上着脱ぐから、ハンガー借りるね」


 一瞬だけ凛が妖艶な笑みを浮かべた気がして、背筋がぞくっとした。

 なにかいけないスイッチを押してしまった悪寒、それと上下とも薄着になった凛から目を逸らすために、俺は押し入れに放り込んでいたピアノを探し始める。


「た、たしか奥のほうにしまっておいたはず……あったあった」


 俺はコンパクトサイズの初心者用キーボードを引っ張り出して凛に渡す。

 子供の頃に凛の演奏に触発されて買ってもらったのだが、数回やって挫折して以降は押し入れに埋まっていたものだ。

 残念ながら鍵盤数は少なく音も値段相応にしょぼいので、凛のような上級者が使うものではない。

 凛は鍵盤を一つずつ叩いて音を確かめる。


「うん、大丈夫だと思う」


「練習するならお前の家の立派なピアノでやったほうがいいんじゃないか? 変な楽器で弾いたせいで凛の腕に悪影響が出たら困るだろ」


「そんなことにはならないって。家でピアノ弾こうとするとお母さんがうるさいから」


 凛は珍しく苦い顔をする。

 彼女の母親もピアニストで、凛は幼いころから厳しい指導を受けてきたことで母親に苦手意識を持っているらしい。


「この前聞かせてもらった曲をメドレーでまとめてみたの。とにかく一回聞いてもらってもいいかな?」


「おう……って楽譜は?」


「耳コピして書き出してきた」


 さらっとそう言ってのけて、彼女がピアノに手を置いた瞬間、空気が変わる。

 先ほどまでのピンク色の空間はどこかへ消え去って、ピアニストの演奏会場へと早変わりしたように感じられた。

 ふっと一息入れてスイッチを入れた凛は、滑らかに指を運んでメロディを奏で始める。


「……すげえ」


 一つ一つの音がまるで生き物のように躍動している。

 俺の知る曲のメロディラインを忠実に拾っているはずなのに、まるで別の曲のように感じられた。

 凛の実力は知っているつもりだったが、さらに進化を遂げていたようだ。

 十分あまりの演奏はあっという間に終わった。


「どうかな?」


「完璧」


 それ以外の言葉が見つからない。

 やはり彼女は遠い世界の住人なのだと思った。

 儚くて神秘的なルックスと美しい音色を奏でるピアノの技術。それを目にすることを許された唯一の観客がなんの取り柄もない俺だということが、ひどくミスマッチを感じるほどに。


「ふふ。よかった。いつもの演奏より緊張したよ」


「……そうなのか?」


 いつもと違う自信に満ちたオーラを感じたが。


「虎太郎くんの期待を裏切りたくないから」


「いやほんとに……俺の知るどんな演奏よりもよかったと思う」


「ありがとう。でもそれ本番で言ってほしかったけどっ」


「す、すまん」


「ううん。あと一週間できる限り練習して、本番はもっとすごい演奏を虎太郎くんに聞いてもらうからね」


 むんっと力を入れてみせる凛だが、俺はあることに気づく。


「なあ、本番俺いらなくね? 今一人で演奏しながら楽譜めくってたよな?」


「……何言ってるの? ダメだよ。譜めくりは虎太郎くんの仕事だもん。自分でやると忙しくて困るもん」


 少しいじけたような態度でダダをこねる凛。

 急に遠い世界の住民から身近な女の子に魂が入れ替わったような気がして――なぜか少しほっとする自分がいた。


「ほらこっち来て、わたしがタイミング教えるから何度も練習して覚えてね」


「お、おう」


 凛は端っこのほうにちょこんと座ると、空いた横のスペースをとんとんと叩いて示した。隣に座れということらしい。

 そう言われては逃げることもできない。

 上着脱いだせいで露出度高いんですが……。

 肌色の見える肩や太ももには極力目をやらないようにして、俺は真横に腰を下ろした。


「や、やっぱり凛はすごいんだな」


「そんなに? ありがと」


 俺の左手の甲に両手を重ねてくる凛。自然と身体が密着して、またしても腕に大きくて柔らかい感触が伝わる。

 ボディタッチ多すぎるだろ。


「ほらここ。このフレーズで一旦切れるからページめくって」


「え? あ、はい」


 なんも頭に入ってこないんだが?

 ふと目が合うと、天使のような女の子の背中から小悪魔の羽が生えてくるのが見えた。


「虎太郎くんドキドキしてる」


「し、してねーし。ドキドキしてるのはお前のほうだろ」


「……うん。実はかなり」


 ことりと肩に頭が当たる。ところどころエロいくせにこういうところは初心なままだ。

 アイドル級にかわいい女の子にここまでされてなにも感じない男がいるだろうか。いやいない。

 だからこそ、逆に湧いてくる疑問もある。


「なあ。なんで俺なんだ。今日のデートも全然大したことなかっただろ? なのになんで……凛はこんな俺のことを好きになったんだよ」


「ちょ、直球だね」


 おもむろに聞いてみたらすごく恥ずかしそうに返された。


「前は告白にびっくりしてて、それ以上なにも聞かなかったからさ。それじゃあ不誠実だろ」


「……そう、だね。告白したときも言ったかもしれないけど、『あのときから』みたいな明確なきっかけはなくて、物心ついたころには気づいたら好きになってたんだよ」


「お、おう……」


「虎太郎くんはいつもわたしのこと助けてくれるんだもん。小学校で男の子にからかわれているときも守ってくれて、中学校でも告白断った相手に逆恨みで暴力振るわれそうになったときにかばってくれて、高校でも……」


「待って待って、もうお腹いっぱい」


 想像の百倍は悶えるような答えが返ってきた。


「待たない。虎太郎くんの優しいところが好き。照れると顔真っ赤になるの好き。ちょっと目つき悪いの好き。意外と勉強も運動もそつなくこなせるのも好き。わたしに格好いいところ見せようと頑張っちゃうのも好き」


「待ってくれっ」


 俺の好きなところ百個挙げられますみたいなノリで指折りながら垂れ流される大ノロケにあっさりギブアップした。

 糖分摂取過多で溶けそうだが、凛は一切容赦してくれない。


「次は虎太郎くんの好きなものも知りたい」

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