第3話 天使には秘密がある?
「よいしょ…………んっ?」
トイレの前の廊下で眠ってしまった天使を背負った時、俺は彼女の体重が驚くほど軽くてびっくりした。
その感覚を例えるなら、学校に置き勉しまくってほぼ何も入れてないランドセルのように軽い。
高校の奴らは見た目の可愛さから『天使』と呼んでいるのかもしれないが、彼女を背負ってみた俺からしたら、本当に彼女に羽が生えていて、ドラ●もんみたいに常に数ミリ浮いているんじゃないかと疑うレベルだ。
「雪野ってさ、異常に軽いよね?」
「は、はい」
養護教諭の佐野先生は、先を歩きながら俺に話しかけてくる。
「雪野は色々と訳アリでさぁ。幼い頃、両親が色々あって離婚して、母子家庭になってからしばらく貧しい暮らしが続いたらしくて……それが原因で極端に食が細いの」
「貧しい……」
「あっ、でも今はお母さんの仕事がかなーり成功したらしくて、引くくらいの大豪邸に住んでるお嬢様なんだよ? ちょっとムカつくよね? アタシなんて東京の名門私立卒業したのに月●●万の収入で、クソみたいなボロアパートに住んでるのに!」
「変な嫉妬やめてくださいよ。その発言、先生としてどうなんですか」
「別にいいよー? キミって友達いなさそうだから愚痴っても問題なーし」
まーた偏見。
この人、すぐ俺のこと馬鹿にしてくるな。
先生と話しながら移動していると、トイレから保健室まではそこまで距離はないのですぐに保健室へ到着する。
「さてと、とりあえずベッドに雪野を寝かせてお喋りタイムにしない?」
「は、はあ」
先生のノリに戸惑いながらも、俺は保健室の中に入って天使をベッドに寝かせた。
天使は変わらず「すぅ……すぅ……」と可愛らしい寝息を立てていた。
真っ白な肌に色素の薄いストレートの長い髪。
こうして瞼を閉じていると、まるで彼女は近未来のアンドロイドや、精巧な人形のように思えてしまうほどだ。
作り物のように繊細な美しさが彼女から感じられた。
「雪野は可愛いよね。まるで天使みたいに」
「みんな彼女を天使って呼んでますよ。保健室の天使って」
「保健室の天使……ね」
先生は自分の席に座ると、女上司っぽい足組みをして、俺に妖艶な眼差しを向けてくる。
なんか……エロいんだよなぁ、この人。
「この子が何で眠ったのか、分かる?」
「え? そ、そうですね……睡眠障害、とか?」
「ある意味正解だけど、ちょっとだけ違うわ」
「じゃあ、一体……」
聞き返すと先生はまた立ち上がり、今度は保健室の連絡黒板にチョークで何かを書き始めた。
「この病気を知っているかしら?」
黒板に書かれたのは『ナルコレプシー』というカタカナの文字。
ナルコ、レプシー?
何かと横文字に弱い俺は首を傾げる。
「不勉強で申し訳ないんですけど、それって病名ですか?」
「そうね。ナルコレプシーは睡眠調節障害とされていて、例えば、何か作業をしている最中に突然眠たくなったりして、睡眠発作を起こす病気なの。根本的な治療法はいまだに見つかっていない」
「じゃあ、さっき天使……じゃなくて、雪野が眠ったのも」
「ナルコレプシーの症状によるものだわ」
天使はそんな厄介な病気を抱えていたから、保健室登校をしていたのか……。
「まあナルコレプシーでも周りの理解があって普通の生活を送れている子はいる。しかし雪野の場合は、ナルコレプシーが原因となって精神的な問題も抱えているの」
「精神的な……? 急に眠ったことで、何かトラブルに巻き込まれたりとかしたんですか?」
「それは雪野が教えてくれない。ただ、複雑な過去がある子だから、わたしは無理に聞かないし、高校側もそれを考慮して保健室登校を許可しているわ」
つまり雪野はナルコレプシーだけではなくて、精神的な疾患も抱えているのか。
だから、教室に来れない……。
彼女はこの白い壁紙に囲まれた空間に閉じ込められている。
いや、閉じこもっていると言った方が正しいのかもしれない。
いつもこの景色を見るだけの日常なんて……。
「少しだけ……可哀想に思えます」
「少しどころじゃない。友達とワイワイできないなんて、私だったらぜっったいに耐えられないよ」
「そりゃ先生は……まあ」
「まあ、ってなによ!」
俺は先生を無視して、ベッドで眠る天使の方を見る。
今日初めて会った女子に対してこんなに可哀想だと思うなんてな。
「……ん、ん……?」
俺と先生の話にちょうど区切りが付いたタイミングで、天使は目をこすりながら上半身を起こした。
「起きたみたいだね? おはよう雪野。今日は仕事任せて悪かったね」
「先生……ごめんなさい、多分、寝ちゃって」
「大丈夫大丈夫。こちらの温森くんが全部やっといてくれたし、雪野をここまで運んでくれたからね」
先生は俺に向かってウインクしながらそう言って天使を励ます。
「あなた……やってくれたの?」
「え? あー、うん一応な」
結局1階はやってないんだけど……まあいいか。
「つまり、わたしの代わりにあなたが……女子トイレに入ったってこと……?」
「え?」
「……やっぱり、ヘンタイ?」
天使はまたしても俺に懐疑的な目を向けてくる。
「は、入ってない! どうしてすぐ俺を女子トイレに入りたがる変質者にしたがるんだよ!」
「え、温森ってそうなの?」
「違いますから! 話をややこしくしないでくださいよ先生!」
「……ふふっ」
「「え?」」
ベッドの上に座りながら、雪野小道はくすりと笑った。
さっきまでカチコチに固まっていた乾麺みたいな表情がほぐれて、とろけるような柔らかい笑顔に変わる。
その笑顔は……天使、そのもの、だった。
「ゆ、雪野が笑うなんて、珍しい……」
先生は驚いた表情でボソッと呟きながら、今度はニヤッと笑う。
「よしよし。じゃあ残り4日、放課後は二人で備品確認よろしくね?」
「は、はあ……」
俺は生返事しながら天使の方を見る。
「……よろしく……温水くん」
「あのさ、俺は温森だから」
どうやら天使は少し抜けたところがあるみたいだ。
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