0006 偽物の青天

―――僕らの前に天使が降ってきた日、あの青く何者にも変えられないはずだった空に大穴が空いた。


「シノ…!」


 僕の名前を呼んできたエリーの表情は、真剣だ。彼女もあの空の穴が普通の出来事ではないことくらいは解っているらしい。

 そして普通ではないという事実は、こういう状況を作り出した誰かが居るということ。


「クゥ!ミハエル!」


 空に穴が空いても一瞬気が逸れただけでまだ決闘を続けようとする呑気な護衛の間に割って入り、口を開いた。


「いま君にしか頼めないことがある。クゥ、今この街は壁に囲まれている可能性がある。

 だからその壁がどこにあるか確かめてくれないか?」


「え、でも…」


「それだけじゃ無い。この閉鎖空間にいま取り残されているのは僕ら学生だけじゃなくて、民間人も含まれている可能性があるんだ。その民間人を安全に学園まで連れてくるには…」


「騎士団の出番ですねっ!?」


「そう、だからお願いしていいか?」


「お任せてくださいっ!!」


 よし。


「…あの、ミハエルは…?」


「ミハエルには空に空いた穴の外側がどうなってるかを確認して欲しい。でも確認するだけだ、それが終わったら上空から怪しい奴が居ないかの確認をして、そのあとはクゥの手伝いを…」


「え、えっと…?」


「…良いかい、まず空の穴の先から脱出ができそうか確認する。

 そのあとはクゥの手伝いだ。でもクゥの手伝いの中ではもしかしたら、避難中の民間人に危険が及ぶ怪しい奴が居るかもしれないから。

 もしおかしい動きをしてる人を見つけたり、それ以外でも困ったらクゥに相談して。…解った?」


「うん…!とにかく相談しながら、お手伝い……!!」


 やや不安はあるが、民間人の避難中はクゥも変な事はしないだろうから任せて大丈夫だろう。こっちもよし、じゃあ僕は……。


「シノ、まさかこの状況でサボろうなんて考えて無いでしょ?」


「当然、不可解な出来事には不可解な原因がつきものだ。空の穴の角度から見るに……ドーム状になってるこの場所の中心地はちょうど学園みたいだね?」


「ふふふ、今日は美少女聖女名探偵ラスティナの出番って訳ねっ!行くわよレシュノン君!」


「レシュノン君…?まぁ、はい…」


 この聖女だけは誰がどう止めてもこう言って聞かないのは間違いない。それこそ止められそうなのは大司教様くらいだが……今日は出張予定があったような…。

 まぁとにかく居るかも分からない人の応援を待つのは徒労に終わる可能性が高い、それを時間とラスティナは待ってくれないんだ。


「エリー、まずは先生達の所に行こうか。」


「どうしてよ?」


「この状況で僕達を探してるかもしれないし、もしかしたらまだ何も気付いてない可能性だってあるだろ」


「そっか、じゃあ仕方ないわね…」


 僕とエリーが玄関口で靴を履き替えながらそんな会話をする。そして廊下の角を曲がった直後、背後からバタンと大きな音がした。


「いっ、今の何!?」


「風で正面玄関の入口が閉じた音じゃないか?…一応確かめに行こうか」


「え…っちょ、ちょっとシノってばなんでそんな怖がらないのよ……」


 戻って下駄箱や扉を見てみるが、誰もいない。それに特におかしなところも無さそうだ…。


「ほら、怖がることは無かっただろ?」


「そ、そうね…」


 彼女に面と向かって言うことは無いが、僕的には背中の後ろに隠れていてくれる方が助かる。


「………」


「………」


 それにしても、廊下が静かだ……さっきまでは校庭もあんなに賑やかな声で包まれていたのに……上履きの音がよく響く。

 いつもはあんなに口数の無駄に多いエリーもさっきのですっかり声を潜めている。それでも怖がりな彼女がずっと服の腰辺りを掴んでいたので僕の方は怖く無かったが。


「…エリー」


「な、なによ…」


「僕の服を掴むのは良いんだけど、少し力を緩めてくれないか?」


「そ、そう言って私のこと置いてくつもりでしょ…!」


「違う、時々エリーのネイルが刺さって痛いんだ…」


「あ、そういう…」


 エリーの教えてくれる痛みは、想像の中の化け物よりもずっと現実的だった。


…気を取り直したところで僕らが職員室に辿り着くと、中にはほんの一人二人しか先生は居なかった。

 というのも僕らがのろのろ歩いているうちに既にクラスを受け持っている先生達は行ってしまったのだと。


「でも、後はお任せ下さい!この名た…じゃなくて名聖女ラスティナにっ!!

 こういった不測の事態に対応するのも聖女としての役目ですから、先生にもそうお伝えください!!

…あ、お伝えついでにもうひとつお願いしても良いですか?」


 先生の前では普段通りのバカそうなエリーが居たというのだから僕はそれだけでちょっとだけおかしくて笑ってしまい、割と痛めのボディブローが飛んできて悶絶した。





―――先生側にも許可を取って始まった本格的な捜索に、僕は様々な問題があることを実感した。


 まず、これからは生活品が限られる…人数分の食事はどれくらい在庫が……?

 学生の分だけじゃなく避難民の人たちにも必要だし、いま水道はどうなっている…?


「………」


「………」


 そもそも、誰がこんなことを…何の目的で?


 そんな思考の迷いは、僕とエリーが階段を登っているにも関わらず、前へと進んでいる気配を微塵も感じさせなかった。


―――………」


 本当に静かだ。こんな緊急事態が起きたら静かにって言われたって静かにしてられない生徒だって居るだろうに。


 階段を上り終えて左右を確認するが、誰も廊下には出ていない。

 こんな時に一人で行動してるような奴が居たらそれこそ怪しいものだが……それって僕らの事にならないか?


―――……!」


 狙い、と言われて一番しっくりくるのは聖女ラスティナに関することだが、わざわざこんな大掛かりなことをしてまでと言うのは少し引っ掛かる。

 だったらもっと……―――


――…ぇ、シノってばぁっ!!」


「…え?」


「え、じゃないよもう!ずっと呼んでたのに無視しないでよ…」


「いや、ごめん…ちょっと考え事に集中し過ぎてたみたいだ」


「普通だったら極刑は免れられないとこだけど…今の私は美少女聖女名探偵ラスティナだから、シノが助手くんになる事で免除するわっ!」


「…その為に僕のこと呼んだんだ?」


「うんっ!」


「…そうかい」


「ところでレシュノン君」


「それでレシュノン……はい、なんですか。」


「とりあえず今は怪しい所がないかを探すのに集中しない?

 シノみたいに考え事するのもいいけど、こういう推理では些細な異変を見逃さない方が大切でしょ?」


「………」


 エリーに正論を言われるとは思っていなくて、思わず僕は言葉を失う。


「…何よ、私バカだって思われてる?」


「いや、そこまで思ってないよ…今はエリーの言う通りだ、探すことに集中しよう」


 エリーはとことん前に進む性格だからこそ、いま見なきゃいけないものが見えている。僕とはいい意味でも悪い意味でも違った存在だ。

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