第26話 初恋の君


「俺には、ずっと忘れられない女性ひとがいる」


 ヒース様にとってその女性は、もちろん『初恋の君』のことだろう。

 今日のパーティーで交流を深め、彼女への気持ちを新たにしたに違いない。

 テレサさんから話を聞いた私も、その恋を応援しているのだから喜ぶべき……なのに、なぜか胸がズキッと痛んだ。


「その人と親交を深めていくのに、その……君に協力をお願いしたい」


 言いにくそうに言葉を繋ぐヒース様は、先日私が提案したことを実行しようとしているようだ。


「わたくしでよろしければ、喜んで協力をさせていただきます」


 いまだズキズキと痛む胸に気づかないふりをして私が微笑むと、ヒース様は安堵したような表情を見せた。


「わたくしがヒース様のことを知り、その『人となり』をその方へお話しすればいいのでしょうか?」


「と、とにかく……まずは君に知ってもらいたいのだ、俺のことを。だから、今後も……会ってもらえないだろうか?」


「かしこまりました」


 ヒース様の人となりは、この三か月間ルミエールとして傍でずっと見てきた。

 眉間に皺を寄せる姿も、ユーゼフ殿下やランドルフ様へ怖い顔でお説教をしている姿も、意外と笑い上戸なところも、ルミエラの前での取り繕った表情も──


 私が知るヒース様の姿を、余すところなく『初恋の君』へ話をしよう。

 そうすれば、二人はきっと上手くいくだろう。


 私の向かい側に座るヒース様の顔をそっと見つめていると、彼と目が合った。

 穏やかなまなざしは、三か月前と何も変わっていない。

 

 ───変わったのは、私だった


 ヒース様が立ち上がり、私のところへゆっくりと歩いてくる。

 その姿を、したままぼんやりと眺めていた。

 

「俺は──」


 私の隣に腰を下ろしたヒース様が口を開いたその時、外が一瞬明るくなる。

 思わず視線を向けた先にあったのは、夜空に描かれた大輪の花……花火だった。

 そういえば、王妃殿下の誕生パーティーの日には最後に宮廷魔導師たちが火魔法で花火を打ち上げるのだと、シンシア様が仰っていた。


「綺麗……」


 前世では夏の風物詩だった花火を、現世でも観られるとは思っていなかった。

 ボーっと眺めている私に、ヒース様が立ち上がりサッと手を差し出す。


「ルミエラ嬢、手を。外のほうがよく見える」


 そっと手をのせると力強く握りしめられ、トクンとまた心臓が跳ねる。

 エスコートされガゼボの外に出た私は、それからずっと夜空を仰いでいた。

 

 治まらない胸の痛みにも、知りたくなかった自分の気持ちにも、最後まで気づかないふりをして──



 ◇



 ヒース様は名代としての仕事がまだ残っているとのことで、私だけを先に屋敷へ送るよう御者に指示を出す。

 動き出した馬車の窓から後ろを見ると、ヒース様がこちらを向いたまま佇んでいる。彼の姿が見えなくなるまで、私はずっと見つめていた。


 屋敷へ戻り着替えを済ませた私は、夜遅くに家へ帰った。


 そして……熱を出したのだった。



 ◇



「ルミエール、本当に学園へ行くの? 大丈夫なの?」


 ベッドにせっている私は朝から何度も同じ質問をし、兄は「大丈夫だ!」と返す。その繰り返しだった。


「せっかく、おまえが無遅刻・無欠席をしてくれたんだ。それに、試験前だからな」


 そう言って、兄は自分用のキク坊に乗って出かけていった。


 窓から見送った私は、再びベッドに寝転がると目を閉じる。

 ヒース様と顔を合わせずに済んで、ホッとしている自分がいた。

 昨日あんなことがあって、今日どんな顔で彼と向き合えばいいのかわからなかった。


 ルミエールとして、私はヒース様の前では自然体でいられた。

 会話があってもなくても、ただ穏やかな時間が過ぎていくのが、一緒にいてとても心地良かったのだ。

 貴族である彼に嫌な感情は全くない。どちらかと言えば、好ましくさえ思っていた。

 しかし、それは本当に淡い気持ちで、恋愛感情ではないとはっきりと言い切れた……昨日までは。



  ―――私は、ヒース様が好きだ……



 自覚さえしなければ、彼とのことは良い思い出として終わることができたと思う。でも、私は自覚してしまった。

 それでも、この気持ちを押し隠し、『初恋の君』との恋が成就するよう協力をしていく。

 私がルミエールだったと、自身の『運命の人』であるとは絶対に気づかれてはならないのだ。 


 つらつらと考え事をしている内に、私はいつの間にか眠ってしまった。



 ◇



 目を覚ましたとき、兄はもう家に帰っているようだった。

 昼食も食べずぐっすりと眠った私は、お腹がすいたこともあり起き上がる。

 多少ふらつくが部屋を出て居室に向かうと、父と兄が話をしていた。

 父は半月ほど前から徐々に仕事へ復帰し、今日は学園へ行った兄の代わりに陣頭に立っていたのだ。


 学園での様子が気になった私が兄へ声をかけると、彼はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

 何だかとっても嫌な予感がするのは、気のせいだろうか。


 母が昼食を持ってきてくれ、家族四人でテーブルを囲む。

 三人はお茶菓子にコーヒー、私はかなり遅い昼食を取りながら、兄の話を聞くことになった。


「なかなか、面白かったぞ」


 兄の第一声は、そんな言葉で始まった。


「面白かったって、どういうこと?」


 怪訝な顔で尋ねた私に、兄は今日の出来事を話してくれた。

 引継ぎのために私が作成した学園内の見取り図、同じクラスの学生・担当講師など深く関わる人物の特徴(髪色、瞳の色)などを書き綴ったメモは、大変役に立ったらしい。

 私としても、一生懸命作ってきたメモがようやく活用され感慨深いものがある。

 事情を知るシンシア様にも助けてもらったそうで、何ら不便はなかったようだ。


「クラス、いや学園内の者が俺を見る目がおかしくて、終始笑いを堪えるのが大変だった。それにしても、おまえはどれだけ皆から恐れられているんだ……」


「それは、私のせいではなく、すべてユーゼフ殿下のせいなんだから!」


 苦笑交じりの兄に、これだけは強く抗議したい。


「そうそう、そのユーゼフ殿下と昼食をご一緒させてもらった。もちろん、ヒース様たちもいらっしゃったが」


「えっ?」


「別におまえに聞いていたようなこと……は何もなく、普通に話をしただけだったが」


 兄が一部言葉を濁したのは、私がユーゼフ殿下に気に入られていることを両親には知らせないためだ。特に母は、私が兄の代理で学園へ通うことに最後まで反対をしていた。

 ダンスパーティーのためにヒース様のお屋敷へ泊まりこむことにもあまり良い顔はせず、野心家の父と兄の説得でようやく許可を得たくらいなのだから。


「シンシア様は?」


「かなり緊張されていたが、ランドルフ様が一緒だったからな」


「そう……」


 ランドルフ様がいたのなら大丈夫だろう。私はホッと息を吐く。


「そうだ! カナリア様は?」


「彼女は、今日は一緒じゃなかったぞ」


(ああ、カナリア様はタイミングが悪かったんだ……)


 なんのかの言いつつも、彼女なりに私たちのことを心配してくれるカナリア様に、せめて一度だけでもユーゼフ殿下との昼食の機会を!と思っていたが、なかなか上手くいかないものだ。


「それでだな……」


 兄は私の顔を見る。


「ヒース様から、ルミエラのことを尋ねられた」


(!?)


「な、何を?」


「おまえを気遣って俺に尋ねてきたという感じだったが……何か、気になることでもあるのか?」


「べ、別に……」


(さすがに、ルミエールへ『初恋の君』の話はしないか)


「今日は熱を出して寝込んでいると伝えたら、大層心配をされていた。シンシア様もな」


「ヒース様と話したのは、それだけ?」


「そうだ」


「そっか……」


 父と母が退室したあとも私はまだ昼食をもそもそ食べていて、兄はそんな私を眺めながらコーヒーを飲み寛いでいた。


「ねえ、研究会はどうだったの?」


 私が一番不安視していたのは研究会だ。

 すっかり忘れていたが、ドアは魔力登録をした者しか開けられないし、そもそも野心家のルミエールが無事に部屋までたどり着けるか非常に怪しかった。


 しかし、今日の研究会は突然休みになったとのこと。

 なんでも、昼食時にランドルフ様が部屋のドアに不具合があると言い出して、その話を聞かされていなかったヒース様も怪訝な顔をしていたらしい。

 明日、再登録をするとのことで、今日は授業が終わるとすぐに帰ってきたようだ。


(試験もあるし、もうこのままルミエールと入れ替わったほうがいいのかも……)


 すっかり冷めてしまったスープを口に運びながら、私は考えを巡らせていた。


「……ヒース様と、何かあったか?」


「!?」


 何の前触れもなく兄から問いかけられ、動揺した私はスプーンを床に落とす。

 静まり返った居室に、カチャン!とスプーンの落下音だけが響いた。


「どうしたんだ? さっきから、様子がおかしいぞ」


 じりじりと自分そっくりの顔が近づいてくる。

 同じ赤褐色の瞳が私の心の内を読み取ろうとしているのがわかり、慌てて目を瞑った。


「まさかとは思うが……お屋敷でお世話になっている間に、彼と既成事実でも作ったのか?」


「ル、ルミエール!!」


「アハハ! 冗談だ。ヒース様の人となりは、俺もわかっているからな」


 腹を抱えて笑っている兄をキッと睨みつける。「言っていい冗談と悪い冗談があるくらい、わかるでしょう!!」と厳重に抗議したが、聞いていない。

 笑い過ぎて目が潤んでいるし、「そうなってくれたほうが、都合がよかったのにな……」と相変わらずな兄には呆れてため息しか出ない。


 いつまでも自分を睨んでいる私を放置して兄が部屋を出て行こうとしたとき、ドアがノックされた。

 入室してきたのは父で、私宛にお見舞いの品が届いたとの知らせだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る