第35話 ハザマの国『遭難編』

 一日目——昼


 頭上にある太陽が山全体を照らし、キラキラと光る木漏れ日が僕の目に刺さる。

 僕は光に目を窄めながら、ひたすらに山中を進んだ。崖を登って進んで、小川を飛び越えて進んで、木々を縫いながら進んで、僕は木の根に腰を下ろした。

 

「はあ」


 僕は深い溜息を吐き、額に溜まった汗を拭う。そして、力無く首を折った。

 

 村を出て、北へ進むこと半日。何も変わり映えしない山々を何度も上っては、何度も下った。ずっと歩き続けている僕は、体力はまだまだ持つものの、精神的な疲労が限界にきていた。僕は水筒の水を飲み、腹を摩る。朝から何も食べてないから、お腹空いたな。飲み水は湧水らしき小川から汲んだものが残っているが、前の村で補充ができなかったせいで手持ちの食料は残り少ない。少ないけど……何かを食べないと心が持たなそうだ。僕は背負っていたバックから携行食——乾パンとドライフルーツを取り出す。そして、手のひらサイズの乾パンを半分にし、隣に腰掛けているトウキ君に手渡した。


「はい」 

「お、あんがとよ」

「これ、ドライフルーツもあるよ」 

「オウ」

 

 僕は昼食を摂りながら辺りを見回し、状況を確認する。

 いつの間にか、舗装されていた山道は草木が生い茂る獣道へと様変わりしてしまっている。辺りに人の気配は無い。というか、昨日村を出てから誰ともすれ違ってない。人はいないし、山道は舗装されていない獣道。これは、アレだよな。


 僕達——


「僕達、遭難してない?」

「オウ」

「オウって……」


 トウキ君は特に気にした素振りもなく、ボリボリと乾パンを食べている。

 僕はしばらく呆然とした後、手に持っていた乾パンを平らげた。

 そして水筒の水を半分飲み、木の根から立ち上がる。

 僕は辺りを見回した後、ググッと背伸びをし、座っているトウキ君に視線を送る。

 

「どうする?」

「んー、北に進む」

「だよねー」


 トウキ君は『当たり前だろ?』という顔で立ち上がり、残りのドライフルーツを一気に口に入れ、しばらく噛んだ後、ゴクっと喉を鳴らして飲み込んだ。そして立ち上がった彼はゴキッと首を鳴らし、北の方を指差して「行こうぜ」と言って歩き出す。

 僕はそれに「うん」と返事をして彼の後ろにつづいた。

 

「頼む……」 


 僕は夜になる前に人里に着きますように。と人知れず祈った——のだが、その祈りが届くことなはく、無情にも山の奥深くで夜を迎えた……。

 

 一日目——夜


「はい、乾パン」


 僕は昼にも食べた乾パンを、これまた昼と同じように半分にして、隣にいるトウキ君に手渡す。


「あんがとよ。肉が食いたいな」

 

 そんなこと言われてもなぁ。ここに肉屋はないし、酒場も食堂なんかもない。

 というか、周りには背の高い木しかない。

 人里はどこ? ここはどこ? 明日はどこへ?

 周りを見回しても、夜の暗幕が広がっているだけ。


 あぁ、ああぁぁ……。 僕は行き場のない不安でワナワナと震えだし——


「誰かああああああああああああああああああっっっ⁉︎」


 一気に爆発させた!


「こんな山奥に人がいるわけないだろ」


 僕の悲痛な叫びに返事をするのは山彦と、あっけらかんとしたトウキ君のツッコミだけ……。僕はそれに唸りながら頭を抱えた。明日、僕達はどうなってるんだ? 明日も徒歩で登山? 食料も底が見えているのに? 暖かい食事は? フカフカのベットは? あぁ——僕って幸せだったんだなぁ。僕は今までの何不自由のない日常に感謝を送り、今の何も無い苦しい状況を噛み締めた。

 

「着実に前に進んでんだから、いつか町に着くだろ」

「いやいや! 菊の町まで歩くつもりなの⁉︎ 前の村から二十日くらい掛かるんだよ⁉︎ 徒歩で⁉︎ 山でぇっ⁉︎」 

「オウ」

「オウっ⁉︎」


 なんだかんだで僕は横になった。魔獣対策の見張りをするため、二時間おきに起きなきゃいけないから、ゆっくりは休めないけど、まあ、寝られるだけありがたいよな。 ほぼ丸一日歩いてたわけだし、流石に疲れたよ……。

 目を閉じて、意識を暗闇に落とそうとした、その時——       


『ワオオオオオオオオオオオオオオオン!』


「ッッッ⁉︎」


 遠くから聞こえてきた聞き覚えのある遠吠えに、僕ばガバっと飛び起きた。

 この声、あの時の犬型魔獣とそっくりだ。僕は無意識に左手を力ませて、遠吠えのした方向を凝視する。焚き火の光が届かない所には夜の暗幕が視界を阻んでおり、先を凝視したところで見えるのは暗闇だけ。空から降る月明かりは背の高い木々になる木の葉のせいで僕達のいる場所まで届いておらず、無意味と言っていい。

 僕は視界を閉ざし、耳に神経を集中させた。……——コッチに来てる。

 音は最小限のくせに、かなりの速さで近づいて来ている。

 何で僕達に気付いて——あっ、焚き火の光!


「トウキ君、焚き火を!」

「いや、消したらアイツらの思う壺だ。目を潰されれば、ソラだと攻撃を食らう」

「——!」


 そ、そうか。アイツらは鼻が効くから、目が無くても僕を追えるんだ。

 いや、もしかしたら、アイツらはこの暗闇が見えているのかもしれない。

 コッチに走ってきているのなら障害物を避けている訳だし、目が見えてても不思議じゃないんだよな。気付かなかった……あ、焦ってるぞ、僕! 

 落ち着け、落ち着け……よしっ。

 僕は、ふぅーと深く息を吐き、手元に置いていた短剣を取る。

 そして、僕は音のする方向を注意しながら、ゆっくりと抜剣し構えた。

 トウキ君も手元に置いていた刀を抜刀し、僕と同じ方向を睨んだ。


「「……」」


 パサパサと軽く落ち葉を踏む音が僕達の近く。この感じだと、大体二十メートルくらい先で止まった。じーっと、音のした方向を凝視すると、キラキラと光る眼光を確認できた。その数は十六。あの時の魔獣は眼が四つあったから、今僕達の目の前にいるのは四体のはずだ。アイツらは群れで行動するタイプだった。まだ近くに仲間がいる可能性は高い。前の僕なら、この数を相手にすることはできなかっただろう。けれど、今の僕はあの時より強い——と思うし、何より、今回は超頼もしいトウキ君が味方にいる。そう、今の僕に怖いものは無い!いつでも来い!


『『ウゥゥゥゥ……』』


「ま、またお前らかよ……」


 暗闇から唸りながら出現したのは既視感のある、二体の焦茶色の犬型魔獣。

 体高は九十センチと巨大で、前足から生えている爪は何でそうなった? と思えるほどグネグネと歪な形をしている。超大型犬——いや、猛獣の類と言えるそいつは口の端から凄い量の涎を垂らし、低い姿勢でジリジリと僕達との距離を詰めて来ている。腹を空かせているのか、前のヤツほどではないにしても、並ではない殺意の込もった目をしていて——お前を喰い殺す! という魔獣の意志をヒリヒリと肌で感じた。そしてジリっと、僕が足を後ろに動かした瞬間、二体の魔獣が僕達に飛び掛かった——!


『『ガルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼︎』』

「ソラ! お前は左を殺れ!」

「わ、分かった!」


 僕達は左右バラバラに飛んで魔獣の攻撃を回避。

 飛び掛かって来た魔獣は、さっきまで僕達が居た場所に着地後、僕とトウキ君を合流させないよう一体づつに分かれた。これは、トウキ君の狙い通りだよな?

 さっき、ソラは左を殺れって言ってたし……。

 それぞれが魔獣を一体づつ狩っていく——ってことでいいんだよね⁉︎

 いやもう考えてる余裕がない! やるしかねえ! 


『ガルァアアアアアアアアアアアアアアアア!』

「——っ! 来いっ!」


 一瞬だ。一瞬で片を付ける。もしコイツに手こずって僕が隙を見せたら、暗闇で待機している残りの二体が僕に飛び掛かって来るはずだ。こんな山奥で負傷はできない。だから、三対一だけは絶対に避ける……!

 行けるか? いや、やるしかないんだぞ僕! 

 

 出来るか出来ないかじゃない——やれっ!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」

『ガルァアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼︎』 


 僕は目をカッと見開き、雄叫びを上げながら低い姿勢いで突進してくる魔獣に剣を振りかぶった。


「——っ!」


 僕の右からの横薙ぎを、魔獣は上に飛んで回避。

 僕の頭上で一回転した魔獣は、僕の背後に着地。

 咄嗟に振り返った僕に構えさせる余裕を与えず、魔獣は凄まじい脚力で跳躍するような突進をし、首を狙った攻撃を行う——が、僕はそれに動じることなく、あの時のトウキ君のように軽く右肘を引いて——突き出す!


「ふっ‼︎」

『——⁉︎』


 凄まじい速さで魔獣の頭部へと進む僕の豪突は、ボウッという音を鳴らし、魔獣の頭部を貫いた! 頭部から鮮血を散らした魔獣は、グリンと白目を剥く。


『ガァ——……』

「ふぅー」


 頭部を貫かれた魔獣は僕の足元に倒れ落ち、ビクビクと微動している。

 間違いない即死。僕は魔獣の死を認め、暴れる胸を落ち着かせつように一度、息を整えた。 そして、僕は後ろを振り返り——三体の魔獣を討伐し終え、焚き火の前で座って休んでいるトウキ君を見た。


「やったな」

「…………え?」

 

 トウキ君は嬉々とした表情で僕に手を振った。

 僕はそれを見て、唖然としてしまう。

 

 は、速すぎんだろ——と。


 * * *

 

 遭難二日目——早朝


「はぁ〜〜。おはよう」

「オウ」

「蠅がすごいね」

「そうだな」


 僕達は魔獣との戦闘後、力を示せば魔獣は寄ってこないだろうとのことで、魔獣の死骸を木の棒で串刺しにし、焚き火近くに突き立てて休息を取った。

 時折、血生臭い匂いが流れてきたせいで僕はあまり気が休まらなかったが、実際あの後、魔獣は一度も僕達の所に寄ってこなかった。

 

 トウキ君は空腹が限界だったのか、串刺しにした魔獣を見て「食ってみるか?」と僕に言う。僕は真面目な顔で「それは無理」とキッパリと断った。

 魔獣肉とか口に入れた瞬間、僕なら吐く気がする。万が一、魔獣肉を食べて食中毒にでもなったら大変だ。一応、カカさんからもらった食中りの薬はあるけど、毒があるかもしれないし、絶対に止めておくべきだろう。うん。トウキ君は空腹で気の迷いを起こしたに違いない。これは早急に人里を目指さなくては……! 

 

「よっと。よし、終わり!」

「お疲れさん」

「さてと、魔獣を埋葬した後に言うのも何だけど、朝食にしようか」

「オウ」


 串刺しの魔獣二体を埋葬し終え、僕達は朝食として残り少ない携行食を口にする。

 昨日と同じ乾パン——やや食い飽きてきた食事を終えて、僕とトウキ君は軽く水を飲んだ。そして支度を済ませてすぐに、僕達は北への移動を開始した。


「水が無えから川を探さないとだな」

「だね」


 移動中、僕は密かに決意した。もし走っている馬車を見つけたら、全財産を払ってでも人里まで乗せていってもらおう——と。

 まあ、全財産と言っても僕の所持金は一万ルーレンちょっとと、まあまあ少ない。

 旅を初めてから一ヶ月。爺ちゃんからもらった二万ルーレンは、あっという間に半分になってしまった訳だ。このまま所持金が尽きれば、移動するための馬車に乗れないし、夜を明かすための宿にも泊まれない。腹を満たすための食事も買えないし——あ、国に入るときに入国料を取られるから、国を出ることもできないのか。

 そうなったら母さん探しの旅どころじゃない。

 前々から考えてたけど、少ない所持金が尽きる前に何か仕事を探して路銀を稼がないといけないよなぁ……。


 そんなことを考えながら、山を進むこと十数時間。

 

 遭難二日目——夕方

 

 僕は残り少ない水を飲み干し、空になった水筒を振る。 一滴も水が出てこない水筒を確認し、僕はガクッと首を折った。もう水が無い。食料もそこが見えてる。

 このままじゃ喉が渇いても潤せないし、腹が減っても満たされない。

 早く食糧と水を調達しないと、このままでは僕達は飢えてしまう……。

 なんだかんだで、トウキ君は木の根を食べてでも生き永らえそうな気がするし、大丈夫なのかもしれないけど。僕も、もしもの時は虫でも何でも食べる覚悟はあるが、もしも、もしも少ないけどちゃんとした食料が手に入ったとして、それが二人で分けられないほどの量だったら? トウキ君は空腹でおかしな事を言い出していたし、食料を巡っての戦いなんてことも、可能性としてはあり得るのかもしれない。

 そうなったら僕は確実に死ぬ気がするな。あのトウキ君に僕が勝てるわけないし。

 もし事が起きたら、どうにか僕が死なないように穏便に決着をつけないといけないな。よし。今からでもイメージトレーニングを——って、これは何の想像なんだよ。

 あの優しいトウキ君が食料のために僕を殺すとか有り得ないよな。

 ……有り得ないよね? あぁ、僕も気がおかしくなっているのか。

 

「ソラ」


 トウキ君の突然の呼びかけに、僕は思考を中断して返事をする。


「——? なに?」


 トウキ君は足を止め、山のとある方向を凝視している。

 僕はそれに首を傾げ「どうしたの?」と再三問いかけた。

 彼は何かを見つけた様な顔をした後、視線の先を指差して僕の視線を誘導した。 

 彼の示した方向には四足で地に立つ、動物らしき影があった。

 この感じ、あの影は魔獣じゃないな。野生動物?

 トウキ君——野生動物……はっ!

 僕は、まさか——という表情を浮かべて彼に視線を戻す。

 僕の視線を浴びたトウキ君は僕と目を合わせて、ニッと笑った。

 

「狩るぞ」

「マジ?」

「オウ。肉食いたいからな」


 マジかぁ。本気の目をしたトウキ君は空腹が限界なのか、有無を言わさない空気を醸し出している。これは……やるしかない。ということか。 


「え、でも、狩ってさ、弓とか必要なんじゃないの?」

「必要ない。ソラ、その短剣貸してくれ」

「い、いいけど」 


 もしかして剣で狩るってこと? トウキ君は昨日の戦いで超速いってのは分かったけど、野生動物との距離は五十メートル以上あるぞ。野生動物は魔獣達から生き延びてるって訳だし、狩るのは容易ではないと思うけど。

 僕はうんうんと悩みながらも、トウキ君に短剣を渡した。

 

「あんがとよ」

「うん。でも、それでどうするの?」


 トウキ君は僕の不思議を探るような視線を浴びて、不敵な笑みを浮かべた。

 彼は僕の疑問を解くように、ググッと剣を持った右腕を引き、剣を投げるような構えを取り始めた——! 

 僕が彼の構えに「え⁉︎」驚きで目を見開くと、彼は気合を入れるように「ふっ」息を吐き、右腕が霞むほどの速さで野生動物に向けて剣を投擲した。 


「うわあっ⁉︎」

「当たるぜ!」


 予想だにしない衝撃的な出来事に、僕は素っ頓狂な声を上げる。

 そんな驚きに染まる僕に向けてか、トウキ君は自信に満ち溢れた一声を発し、ニッと笑みを作った。


 投擲された剣はグルグルと凄まじい回転を帯びながら、一直線に動きを止めている野生動物の元へ爆進する。そして、ものの数瞬で剣は野生動物に直撃し、ドンっという小爆発にも似た音が山に響く。その爆発音の影響で、ギャアギャアと山にいた鳥が一斉に空を飛び立ち、辺りは一時騒然とした。僕は目を見開いた形で硬直し、トウキ君は拳を振り落として「よしっ」とガッツポーズを取った。


「行くぞ、ソラ! 肉だ!」

「え、ええっ⁉︎」


 僕は走り出すトウキ君の後を追い、仕留めたであろう野生動物の元へ向かう。

 

「おっ、鹿だな!」 

「これが鹿か。本では見たことあるけど、実物は初めて見たよ」


 頭部に剣が直撃し、脳髄を派手に地面に散らした鹿をマジマジと見る。

 息絶えた鹿の近くに落ちていた、血がべっとり付着した短剣を摘むように拾い上げ、僕は洗わなきゃ——とガックリと首を折った。そんな僕を尻目に、トウキ君は嬉々として鹿を担ぎ上げ、「川を探そう」と言った。僕も血で汚れた短剣を洗うために水が欲しいと思っていたので、一つ返事で彼の後に続く。

 

「鹿鍋だな」

「鹿鍋って。鹿肉しかないよ?」

「十分」 

「ええ、そうなの……?」

「オウ」


 遭難二日目——夜

 

「あったぁ」

「やっと見つかったな」

 

 川を探しながら歩くこと二時間。僕達はとうとう小川を発見し、その横で焚き火を始めた。トウキ君は手慣れたように鹿を捌き始め、僕はそれを見ながら焚き木を拾って回る。そんなこんなで鹿を捌き終わり、極大の肉ブロックが僕の目の前に置かれて、僕は「お〜」と感嘆の声を漏らした。


「食うぞ!」

「どうやって食べるの? 鍋とか無いけど」

「串に刺して食うぞ。丁度いい枝を拾いに行こうぜ」

「分かった」


 僕達は拾った枝を鋭く研いだ後、それに肉を刺し、焚き火に当てるように焼き始める。僕は焼いている間に、小川で血塗れの剣を洗った。よし、綺麗になったな。

 ……あんな勢いで投げたのに罅も傷も入ってない。

 やっぱり、使い手次第で武器って変わるんだなぁ。

 岩の隙間に刺して剣を折った僕が本当に馬鹿みたいだな。

 いや、馬鹿なんだろうけどさ。

 トウキ君と比べるのはアレだけど、ちょっとショック……。

 

「おーい。焼けたぞー」

「分かったー!」


 僕はトウキ君に呼ばれ、彼の対面に焚き火を囲むように座る。


「ほらよ」

「ありがとう」


 しっかりと火の通った鹿肉の串焼きを受け取り、息で冷ましながら食す。

 ハフハフと熱い鹿肉を噛みながら、しっかりと味わう。 野生動物なのに獣臭さは殆どなく、すごく美味しい。久方ぶりの肉の油が、僕の口内と胃を幸福で満たした。

  

「おいっしいぃ〜〜〜っ!」 

「ククッ。よし、俺も食うか……うめえ〜!」

「ね!」


 僕達は数日ぶりの肉を満腹まで食べて、満足したまま就寝した。


 * * *


 遭難四日目——昼


「ソラ、見ろ! 木の実がなってるぞ!」

「え? ——あ、本当だ!」

「取って食うぞ」

「うん」


 僕は下で待機。トウキ君が木に登って、成っていた木の実を取りに行く。

 見た事ない木の実だけど、食べられるのか?


「よっと。ほら、ソラの分」

「ありがと。これ、なんて木の実?」


 トウキ君が投げて僕が受け取った木の実は何と言うか、毒々しい紫色をしていて、表面がトゲトゲしている。

 

「知らね」

「え? 食べられるの?」

「大丈夫だろ、多分」

 

 おいおい! ちょっと不安そうな顔しないでよ!

  

「まあ、食ってみるわ」

「大丈夫?」

「多分」

「オウって言ってよ……」


 トウキ君は毒々しい木の実を、そおっと齧った。ゾリ、という音を鳴らした果実は齧られて露出した果肉の部分から、真紫色の果汁を垂らしている……。

 ていうか、果肉も紫色じゃん。「うっ」て言って倒れないよね? 

 ちょっと不安なんだが。


「んん」

「んん?」

「まあまあ、美味いな」

「毒はないよね?」

「ちょっと渋いけど、毒はなさそうだな。ソラも食ってみろよ」


 僕はトウキ君に促されるまま、手に持っていた木の実を齧る。

 口に入れた瞬間、広がったのは僅かな渋みと、柑橘系のような酸っぱさだった。

 ……まあ、悪くない味だな。

 久しぶりの果物だから、ちょっと美味しく感じる。これ果汁が渋いんだな。

 果肉の部分は酸っぱい柑橘系のような味わいだ。

 食感は少し硬いと感じる程度で、林檎のような感じだ。うん、美味しい。


「ああ、思ったより悪くないね」

「な」

「毒ないよね?」

「多分な」


「「……」」


 僕達は他にも成っていた木の実を少し取ってから、北へ出発した。 


 遭難五日目——夜


「ここ、どこら辺なんだろうね」

「北ら辺だろ」

「そりゃそうだ」

「だな」


「ブフッ……」

「ククッ……」


 僕達二人は寝転がるながら空を見上げ、煌めく星空を観測している。

 暗い暗いう山奥では、時折こうして誰かと喋っていないと孤独感が凄いのだ。

 まあ、トウキ君は平気そうなんだけど、僕がキツイから積極的に喋りにいっているだけなんだけどね。


「明日はどこら辺なんだろうね……」

「北だなぁ……」

「そっかぁ……」


「「……」」


 この五日間、僕のことを色々と喋りすぎたせいで、もう僕が持ってる話のネタが尽きてしまった。トウキ君は何故か自分のことを話してくれないし、これからは天気ことしか話すことがなさそうだなぁ。

 

 完全に準備不足だった状況からは想像もできないくらい、今の遭難には余裕を感じる。いや、遭難に余裕を感じるとか流石に笑っちゃうけどさ。

 何か『大丈夫』って思いが強いんだよな。平気というか、飢えて死ぬ。みたいな漠然とした将来? の不安は無くなってる。トウキ君が頼もしすぎるってのはあるけど、僕も何だか強くなっているような気がする。

 

 初日にあった魔獣戦から、何度か他の魔獣とも戦った。

 全部同じ犬型だったけど、全て余裕で勝利できた。

 魔獣との戦闘で手傷を負うことはなかったし、二回目くらいからは魔獣を一撃で倒せるようになったし。恐怖で目を瞑らなくなって、魔獣の動きがはっきりと見えていた。こんな遅い動きで僕に当たるわけがない——という余裕があったし、もしかしたら僕って、まあまあ強くなっているんじゃないか?エリオラさんやトウキ君ほどではないけど、魔獣には負けないくらい強くなっている——ような気がする。

 確信はないけど、そう思っちゃうくらい。今の僕には自信がある。

 

「……寝た?」

「……」


 トウキ君は、もう眠ったようだ。

 見張りの僕は二時間ほど警戒を続けて、二時間経ったら彼と交代だ。 

 

 僕は空を眺めながら二時間警戒を続け、就寝した。


 遭難七日目——昼。希望は突然、僕達の元にやって来た。

 

「えっ、この音って……!」


 その音は、黙々と北へ進んでいる僕達の鼓膜に飛び込んできた。

 耳の奥を確かに揺らすその音は、僕がひたすらに待ち望んでいた車輪の音にそっくりであった。ガタガタと荒い道を跳ねながら走ってる音が、一週間の遭難で研ぎ澄まされた僕の耳には確かに感じ取れる。僕は同じ音を共有しているだろうトウキ君に顔を向ける。 すると、彼は僕と視線を合わせ、コクッと頷いた。

 僕は顔を晴れさせて、その音がする方へ全速力で向かった。


「み、道だーーーーーーーーーーーーーーっ‼︎」 

「みたいだな」

「あっ、馬車が来たよっ! おーーーーーーーーいっ!」

 

 僕達は山道を走ってきた馬車を止め、こんなところに人が⁉︎ と驚く御者さんにお願いし、近くの村まで乗せて行ってもらった。

 

「僕、生きてるよね?」

「オウ」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ! よっしゃーーーーーっ!」


 長い長い遭難の末、山の奥深くを北へ進み続けた僕達は、とうとう人里に辿り着いた——


          * * *


 僕達は乗せてもらった馬車の御者さんにお礼を言って、少ないながらもお金を払う。御者さんは「お金はいらないよ」と手を振って断ったのだが、僕は感謝のあまり「もらってください!」と無理矢理五百ルーレンを押し付けた。

 お金を押し付けられた御者さんは困ったような顔をした後「あんがとよ」と言って村を出て去っていった……。

 

 そんな彼は見えなくなるまで、僕は頭を下げ続けた——


「ソラ、飯食いに行こうぜ」

「うん! 僕、魚が食べたいな」

「俺は米」

 

 僕達は嬉々として村にある飯屋に——いや、待てよ?

 僕は冷静に、着ている服の匂いを嗅いだ。

 服からは山で寝転がった時に付いた土の匂いと、殺した魔獣を埋めるために死骸を抱えて運んだせいか、血と獣の匂いがする。あと、普通に汗臭い。

 こんな不衛生な状態で飯屋に入ったら、追い出されるのでは?


「トウキ君。飯屋に行く前に服と体を洗った方がいいかも。これだと追い出されちゃう気がするし」

「あ〜」


 トウキ君は僕の指摘に、なるほどなと気づいたような顔をした後、自分が着ている服の匂いを嗅ぎ始めた。自分の匂いを嗅いだ彼は眉間に皺を寄せ、僕にうんうんと頷く。僕達は目的を新たにし、飯屋に行く前に宿を借りた。そこで持っている替えの服も全て洗濯。その後、宿屋の女将に話を聞き、僕達は村の西側にあると言う風呂屋へと向かった。


「久々に湯に浸かれるな」

「温泉なんだっけ? 僕、大きなお風呂は初めてだなぁ」

「温泉はいいぞ〜。溜まった疲れが一気に取れるからな」

「お〜」


 僕達は見つけた風呂屋に行き、番台の人に十ルーレンを支払って男湯に入る。

 男湯には数多くの冒険者らしき人が先客としており、全員が肩まで湯に浸かっていた。


「くあ〜、久々の湯だぜ〜」

「ねぇ」


 身体の芯まで温めてくれる温泉は、一週間の遭難で溜まりに溜まった疲れを癒す。

 僕は肩まで湯に浸かりながら、身体を洗ったり、鼻歌を歌いながら湯に浸かっている冒険者の人達をキョロキョロと見る。冒険者の人達は背中に大きい古傷が入っていたり、謎のタトゥーを全身に入れていたりと様々で、見ていて飽きなかった。

 トウキ君は湯に浸かりながら目を瞑って動かず、まるで眠っているようだ——いやこれ、寝てないか? 

 風呂で眠るって、逆上せそうだけど、ま、トウキ君なら大丈夫か。

 僕はもう十分温まったし、そろそろ上がろうかな。

 

「トウキ君、僕もう上がるからね」

「……」


 反応無し。やっぱり寝てるなぁ。僕は風呂から上がり、唯一汚さずにバックに入れていた、クレジーナさんから頂いた、高級服に着替える。

 肌触りはしっとりサラサラで、まるで空気を着ているように軽い。

 服を着た僕は男湯から出て、番台の横で売られていた牛乳を購入した。

 瓶に入っている牛乳は水に漬けられていて、いい感じに冷えており、湯で温まった僕の体を気持ちよく冷ましてくれた。

  

「美味しいぃ。牛乳ってこんなに美味しいのか……っ!」 


 久方ぶりに飲む味のある飲み物に、僕は感動で震えながら瓶を呷り、一気に飲み干した。


 ——三十分後


「遅いよ」

「わりいわりい。飯食い行こうぜ」

 

 やっと風呂屋から出てきたトウキ君に苦言を呈しつつ、僕達は飯屋へ向かった。

 僕は山で食べられなかった魚料理を所望し、トウキ君は米料理を所望した——のだが、着いた飯屋には魚料理がなく、僕は仕方なく三角の形をした「おにぎり」という米料理を三つと、ジャガイモと牛肉を煮た「肉ジャガ」という料理を注文した。

 トウキ君はお腹が空いているのか、僕の五倍の量のおにぎりを注文し、味噌汁を鍋で持ってきてくれと言い放った。僕は、さすがトウキ君だなぁ〜という呆けた顔で料理が出てくるのを待つ。テーブルから見える厨房では、ホカホカの白米に白い砂——塩? を手に付けた人が、器用に三角に握っていた。しかも山のような量を……。

 

 しばらく待っていると、飯屋の従業員の人が頼んでいた料理を運んできた。

 

 僕の前に並んだのは、真っ白なおにぎりが三つと、白い湯気を上げ、食欲を唆るいい匂い放つ肉ジャガ。トウキ君の前に並んだのは、山のように積まれたおにぎりと、大きな寸胴鍋に並々と入っている茶色の味噌汁。食べ切れるの? と戦々恐々とした表情を浮かべる僕とは裏腹に、トウキ君は待ってました! という生き生きした表情で料理を見つめた。


「ええ、と——それじゃあ」


「「いただきます!」」  


 僕達は手を合わせて、出てきた料理で腹を満たした。

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