第一章 自己嫌悪
出逢い
彼女と出逢ったのは、少し涼しくなってきた頃の夕暮れ時。死期の近い人間を探していたときだった。
死神を認識するのは死期が近い人間によくある特徴だ。だから俺自身が死神だとわかるようにわざと鎌を手に持って、寂れた横道への入り口で、建物の壁に寄りかかっていた。
ぎこちなく歩いていた子どもが俺の目の前で転んだ。途端大声で泣きだしたかと思えば、その子どもの親であろう人間が泣く子どもの頭を撫でる。すると、子どもは徐々に声を小さくし、やがて頬を流れていた涙は止まっていた。
そんな光景を、首を傾げながら眺めていたとき、ふと視線を感じそちらに目をやる――と、彼女と目が合った。
顔を丸く包むように肩まで伸びる黒髪は、風に靡き夕日に照らされ、透けるように茶色がかる。
俺を真っ直ぐに見るどこか虚ろな目は僅かに潤んでいて、それが光を反射し輝いているように見えた。
俺の目の前で歩みを止める彼女。確実に俺を認識していた。
彼女は俺を見て、少しの間固まった。
そして恐らく俺が死神だと頭で認識した瞬間、――彼女は笑顔を浮かべた。
まるで希望を見出したかのように、濁っていた瞳に光を宿らせ、枯れた花が息を吹き返したかのように、笑顔を咲かせた。
そして、声を弾ませて言った。
「わたしの命あげる!」
俺を怖がることなく、それどころか笑顔すら浮かべ、その命を差し出してきた奴なんて初めてだった。
しかし彼女の時間はまだ多く残されていた。時々死が迫っていなくとも死神が見える人間もいるからその部類かと思ったが、それだけではないようだった。
彼女の寿命は、この世の時間の流れに逆らい、増減を繰り返していた。突然2日減ったかと思えば1日増え、さらに半日増えたかと思えば1日減る。そこに決まった法則はなく、彼女の寿命はあまりに不明確で不安定であった。
変わった人間がいるんだなとしか思わなかったものの、その変化と笑顔、そして彼女の言葉が、未だに印象深く残っている。
「貰いたい気持ちは山々だが、残念ながら寿命が尽きていない人間の命を刈ることはできねぇ」
「命じゃなければ刈り取れる?」
「あ? どういうことだ?」
「感情は? 感情ならできる……?」
必死に懇願するように、彼女は俺にそう言ってきた。
死神に感情なんてものはない。しかし死神の仕事上、喜怒哀楽の表情だとか、愛や憎しみの定義だとか、基本的なものは知識として学び頭には入っている。ではそもそも死神にも感情があればいいのではと思ったのだが、前に一度調べたところ不必要どころか邪魔になるらしい。“知識”で十分だということだ。
だが実際問題、人間の言動には理解できないことが多い。嘘を言って周りを惑わしては自身を破滅に導く奴もいるし、欲が強すぎて死ぬ奴もいる。かと思えば、他者を優先して自分の命を落とす奴もいる。
もっと器用に生きればいいのにと、馬鹿馬鹿しいとさえ思う。
しかし、泣きながらも笑みを浮かべ、死者の頬を撫でる人間と、その生きている人間には見えないにも関わらず、そっと抱きしめる死者の姿は、理解はできないものの興味深いものだった。そして彼らは同じことを言うのだ――“愛してる”と。
感情と言語を併せ持つのは、人間の特権だと俺は思う。だからこそ、その俺にはない“感情”がどんなものなのか、興味が湧いた。
「できないことはない。だが、条件がある」
死神にとって人間の魂を常世(とこよ)に送ることが仕事ではあるものの、それと同時に“存在するための糧”にもなる。生命の死を司る神である死神は、常世に送った魂の数が多ければ多いほどその神格が高くなる。そして神格が高ければ高いほど死神の能力は強化される。
現世(うつしよ)には、いわゆる悪霊と呼ばれる魂がある。生命の死を司る死神は、生者を守ることも“死を守る”という意味で1つの仕事になる。しかし、死神が弱ければ凶暴な悪霊によって消されてしまう。
悪霊は、人間の負の感情の固まりだ。俺ら死神は、人間のその感情に負ける。だからこそ、俺はその感情に興味を抱いているのだ。
しかし、感情を奪うというのは死神の掟的にグレーゾーンだ。バレればそれなりの罰則はあるかもしれない。ただその危険性を踏まえてもなお、感情を手にするというのは魅力的だった。
「お前の魂と契約させろ。お前の命が尽きたとき、その魂は俺がもらう」
そう言うと、彼女は微笑んだ。それは、さっきの花が咲いたようなものとは異なり、むしろ花が散っていく様を想起させた。夕日がひどく眩しかったせいだろうか、その光に照らされた彼女は、すぐにでもその光に溶け消えてしまいそうだった。
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