飯塚和也・嶋田拓実・菊田千尋 1
201✕年7月15日。昨日までの快晴とは打って変わって、空は厚い雲に覆われている。今のところ雨は降っていないが、天気予報アプリを見ると、後30分ほどで降り出しそうだ。
「カズくんどうしたの?」
「いや、雨降りそうだなって」
「え、マジで?」
拓実が和也のスマートフォンの画面を覗き込む。
「ああ、ホントだ……30分後くらいか、じゃあさっさと屋根のあるとこまで行こうか」
「そうだね。キクチさん、カメラと照明の準備オッケーですか?」
和也に声をかけられ、車内で機材のチェックをしていたキクチ──菊田千尋は顔を上げた。
「うん──よし、オッケー。カメラも照明もフル充電」
荷物を手早くまとめると、菊田は車を降りた。
「傘はどうする?」
「折りたたみ傘だけ持って行きますか」
「了解」
シートの上に置いてあった折りたたみ傘をバッグに放り込むと、菊田は車の扉をバタンと閉じた。
目的地である廃校舎は目の前まで車で行けるため、山奥や人里離れた場所にあるものと比較するとアクセスの良い廃墟だといえる。三人が『例の落書き』について再検証するのに、まずこの場所を選んだのはそういった単純な理由からだ。初めは三人の生活圏に近い神奈川県K市の廃病院が候補に上がったが、元の動画がお蔵入りとなっているため却下した。
「撮影許可取る時、落書きの話したの?」
門の鍵を開ける和也の背中へ拓実が問い掛ける。周りの森の中から虫や蛙、不明な動物の鳴き声がうるさいくらい聞こえてくる。
「いや、した、というかさ。担当の人が僕らの配信見てたみたいでさ」
「え? マジ?」
「『ヨモツヒラサカchっていう動画チャンネルをやってるものなんですが……』って話し始めた途端にさ『動画見ました! 〇〇病院の落書きですか!?』って」
「いやあ、嬉しいけど、電話越しにはめっちゃ恥ずかしいね」
二人の何気ない会話を聞きながら、カメラテストも兼ねて菊田はカメラの録画ボタンをオンにした。バッテリーは満タン、データの空き容量は十分、画像にも音声にも問題は無いようだった。
「でしょ? まあ最近はさ、あるのよ、時々。許可取りの電話で名前出して『ああ、あの』みたいな返しされること」
「俺らも有名になったねえ」
「ね。でもさ、今回みたいにグイグイに来られるとさ、やっぱりちょっと恥ずかしいよね」
「落書きについては何か言ってた?」
「うん。いやさ、その担当さん、僕らの配信見て、わざわざ現地まで確認しに行ったんだって」
「落書きを?」
「そう」
「一人で?」
「いや流石に同僚に頼み込んで昼間に行ったって」
「流石にね。で?」
「落書きまだあるって。でもね、1階の壁に、どうも新しく書かれた落書きを消したような場所があると」
「え、マジで?」
カメラを覗きながら菊田が思わず声を上げた。
「あれ? キクチさんもう撮ってたの? ……えっと、そう、担当さんさ、僕らの動画と比較しながら1階を回ってみたらしいんだけど、明らかに動画には無かった、何て言うのかな、掃除跡? があったんだって」
「てことは、やっぱり誰がが出入りしてる……?」
「もしかしたら僕らの動画を見た誰かが場所特定して、それでいたずら半分にやった可能性もあるけどね。だとしたら申し訳ないんだけどさ……よし、オッケー。中入ってオープニング撮ろうか」
外したチェーンをジャラジャラと引き摺りながら、三人は学校の門を開けた。
「キクチさん、今何時?」
念の為、内側から門にチェーンを掛け直した和也が振り返って言った。
「えっとね、11時ちょい過ぎ」
「了解。とりあえず1階の例の落書きを確認して、それから一応2階と3階の落書きもチェックしてだから……まあ1時終了目標くらいでいきましょうか」
「オッケー」
三人は各々の立ち位置に着くと、菊田のキューで動画のオープニングを取り始めた。
「ヨモツヒラサカchのカズヤです」
「タクミです」
「ええ、今回は例の落書きの件で、再検証にやってまいりました」
「『例の』ね。ここは動画差し込む感じ?」
「そうだね。グダグダ説明してもアレだし。……はい、その『実家で待つ 由紀夫』っていう落書きをですね、改めて見に行ってみようと思います」
示し合わせたかのように二人が背後の校舎へ振り向く。この辺りは埼玉県内でもかなり自然が多いエリアで、廃校になっている事からもわかるように、周囲に人家も疎らだ。その為、月明かりも隠れた今日のような日は、校舎は完全に暗闇に没してしまっている。撮影用のライトだけが頼りだ。
「まずは1階にある、例の落書きをね、確認したいなと」
「前回行ってから半年以上経ってるけど、消されてたりしないかな?」
「一応、管理会社の人が見に行ったらまだ残ってたって言ってたから大丈夫かと」
「それから上の階?」
「そうだね。1階ももう少ししっかり見て回って……何にせよ今回は、1階にしても上の階にしても、えっと、人が入った痕跡とか、不自然な点。それと、他の落書きについても注目していきたいと思います」
「はい」
「それでは調査の方、開始します──よし、オッケー」
和也の声に合わせて、菊田は指でOKサインを作って見せた。録画は問題なく出来ている、という合図だ。
「ええっと、カメラはどうする? このまま回しっぱなしで行く?」菊田が和也に聞く。
「そう……ですね。たぶんそんなに2階3階で撮れ高無いと思うんで、保健室までの道中、ちょっとトーク挟みつつって感じですかね。まあ打合せで話した通り、今回は短めの尺でいこうと思うんで」
「了解」
「じゃあ行こうか」
三人が校舎内に入ると、狙ったかのように雨音が聞こえ出した。
「降り出したね」拓実が呟く。
雨が降り出したことで空気が少しだけひんやりとし始める。汗ばんだ首筋が冷える。和也は不快そうに手で汗を拭った。
「やっぱり1階は片付いてますね」
和也が言うように、昇降口を抜けた先のスペースには、前回来た時と同じで目につくようなゴミなどは落ちていない。校舎は建物の正面向かって右端に昇降口があり、左手に真っ直ぐ廊下が続いている。保健室は廊下の一番奥にあり、校舎の裏手──校庭の方からも入れるようになっている。保健室以外の部屋は全て廊下の左手側に位置し、右側は窓や柱が並んでいる。3階建てではあるがそれぞれの階はそれほど広くなく、偏見かもしれないが『田舎の学校』という表現がしっくりくる。
「まあここはね、門に鍵もかけてあって、そこまで不法侵入する人は多くないと思うんですね。廃墟によっては、その無法地帯というか、地元の肝試しの定番スポットみたいになっちゃって、マナーの無い人達がですね、食べ物、飲み物のゴミとか捨ててったりするんですよ。酷いところだと、バーベキューの跡を見つけたこともありますからね」
「あったね」
二人はゆっくりと廊下を歩きながら、特に声をひそめるでもなく、何気ない様子で会話を始めた。割れずに残っている廊下の窓達が、雨に打たれて音を立てている。
「そういう行為によって、火災を起こしてしまった例なんかもかなりあるんですよ。それと、やっぱりそういう侵入しやすい廃墟って、不法投棄もかなり多い。場所によっては、明らかに外部から持ち込まれたってゴミで完全に埋もれてしまってる場所もあるんですね」
「それでお蔵入りにした動画とかもけっこうあるよね。行ってみたらもう入れるような状態じゃなくって」
「ありますね……ちょっと話が逸れちゃったかな。トーク酷いな、要編集で……。ええと、で、何が言いたいかというと、ここは不法侵入も少ない、無いわけじゃないみたいなんですけど少ない、なのでそもそもゴミとか不法投棄が無くてもおかしくはないんです。でも、ここの異常なところは、2階3階にはけっこうゴミがあるのに1階だけは綺麗ってところなんです」
「あれだね、上の階のゴミ調べたら『これ1階にあったやつじゃない?』みたいなのあるかもね」
「ああ、そうですね、その辺は見た方が良いかも。さすがにゴミ持って帰りはしないだろうし、1階のゴミを上の階に移動させたって方がしっくりくるね」
「ええっと、調べるのは、1階は保健室と?」
「保健室と、職員室もあったかな。後は……教室が少しって感じですかね。ちょっとわかんないです。あの、室名標示っていうんですかね、プレート、壊れたのか持ち去られたのか、ほとんど残ってないんですよね……っ!?」
その時突然、誰かの『咳払い』の様な音が廊下に響いた。
「カズくん……」
「しっ!」
三人に緊張が走り、反射的にしゃがみこむ。廃墟で自分達以外の人間とニアミスするのは初めてでは無かったが、それはすれ違いで駐車場から出ていく車を見たとか、まだ火の点いた煙草が落ちていたとかそういったレベルのもので、建物の中で遭遇したことは無かった。
「聞こえたよね……?」
拓実が乾いた声で囁く。和也と菊田は震えるように頷いた。三人は示し合わせたかのように手持ちのライトを消す。
「どうする?」
菊田はカメラを二人に向けたまま聞いた。緑がかったナイトモードの画面には「どうする?」の答えを必死に考える二人の顔が映っている。
「いや……ホントに誰かいるんだとしたら、このまま進むのはマズイでしょ」和也が二人に顔を近づけて言う。「だって……そうだよ、だってさ、外から校舎見た時、明かりとか見えなかったよね?」
「見えなかった。え、じゃあライトも点けずに、ずっと……?」
「僕らが来る前からいた可能性はあるよね。あ、でも校庭側から……?」
「でもさ、車とかも無かったよね? 校庭の向こうは森みたいになってるし、停めるとしたら僕らと同じで校門前しかなくない?」菊田がカメラを回していることを忘れて言った。
「近所の人が歩いて来たとか?」
「それでもライト点けないでいるのはおかしいでしょ。だってさ、こんな天気──ライト無かったら真っ暗じゃん? おかしいよね。ちょっと、普通じゃないでしょ」
「とりあえず車に戻ろう」拓実が言った。
「そうだね……ちょっと、何にせよ、出よう出よう出よう」
三人が立ち上がろうしたその時『ガラガラガラ』と、扉が開く音が廊下に響いた。音のする方──保健室の方へ、ゆっくりと6つの目が視線を走らせる。
真っ暗だ。何も見えない。
しかし、真っ暗闇の向こうから『コツコツ』と硬い足音が、はっきりと聞こえてきた。誰かがいる。
「あの、すみません」
その『誰か』は、場違いなほど気さくな様子で話しかけてきた──。
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