第3話 江戸へ

 あくる日の朝早く、宿場を後にした三人は伊勢参りの人々に紛れるように伊勢街道を上がった。

 途中東海道との分岐で一旦山道に入り、農家を見つけて金を握らせ三日ほど滞在し、追手がないことを確認した久秀達は、再び東海道に出て江戸を目指した。

 まだ幼い新之助も歯を食いしばり歩を進めたが、大人の足で三日の旅程は五日となり、五日の距離は十日となってしまう。


「先生、申し訳ございません。私の足が遅いばかりに」


 新之助が悔しそうに言うと、久秀は小さく頷いて答えた。


「新之助様はよく耐えておられます。ご立派ですよ」


 自分一人なら何とかなるが、女子供を抱えての関所破りは無理だと判断した久秀は、蒲原宿で剣友柴田研吾に便りを出し助けを求めることにした。

 蠟燭の灯りを頼りに文机に向かう久秀が、横に座る新之助に言う。


「関所を通過する為の算段を友人に頼んだのですよ。助けが来るまではこの宿に居りますので、今のうちにゆっくりと疲れを癒してくだされ」


 しかし一週間が過ぎても返事は無く、さすがの久秀も焦りを隠せないでいた。

 

「参ったな……」


 明日からは野宿だと覚悟を決めた日の夕方、久秀を訪ねて来た者がいた。


「待たせたな。なかなか段取りがつかなくてな。まあ、許せ」


「柴田……よく来てくれた。助かったよ」


 柴田が久秀たちの隣に部屋をとり、久秀がそちらに移ったので、この部屋には咲良と新之助だけとなった。

 久秀の前では姿勢を崩さず、気丈に振る舞っていた新之助だったが、侍女として世話を焼いてきてくれた咲良には、つい甘えが出てしまう。

 咲良の膝を抱えるようにして顎を乗せた新之助。


「ねえ咲良、江戸に入ったらどうするの?」


「そうですね。今それをご相談なさっているのだと思いますので、新之助様は安心してお眠りください」


「咲良は江戸に行ったことがある?」


「一度だけございますよ。随分前のことでございますが、父方の婚儀に招かれ上京したことがございます。お屋敷に奉公に上がる少し前でしたでしょうか」


「ふぅん……江戸ってどんなところなの?」


「そうですねぇ、人ばかりで埃っぽい印象というでしょうか。大名屋敷や大店の家以外は本当に小さくて。なんと申しますか、町民がみな中間長屋のような家に住んでおりましたね」


「中間長屋……三沢の家のと同じ感じ?」


「ええ、あれより少しだけ間口が広い程度だったと記憶しております。それが何軒も連なっているのを見ました」


「想像ができないな……」


 いつの間にか新之助がうとうとと舟を漕ぎ始めている。

 クスっと笑った咲良が、新之助を布団の中に誘導し、自分も布団に潜り込んだ。

 明かりを消すと暗闇の中に浮いているような感覚になる。

 今自分が目を開けているのか閉じているのかさえ不確かな中で、咲良は両親に何も伝えず出奔した事を心の中で詫びた。


 咲良の父は三沢家に勘定方として出仕しており、この度の騒動で失職している可能性が高い。

 咲良は次女で、行儀見習いとして三沢家に上がっていたが、幼いころからの勉学好きが功を奏し、子供たちの専属侍女となった。

 三沢家の子供たちに初歩の読み書きを手ほどきしたのは咲良だ。

 勘定方は奥向きに近い部屋だったので、まさか父親が巻き込まれているとは思えないが、母の内職だけで暮らしていけるとは思えない。

 弟はまだ幼く、病弱な姉の薬代も儘なるまいと思うと、心が重くなっていく。


「母上……」


 新之助の声がして、咲良は我に返り家族を憂えた自分を恥じた。


「そうよ。新之助様はご両親とご兄弟を一瞬で失われたのだわ。あれほど良くしてくださったご主人様と奥様へ御恩を返すのは今しか無いんだもの。父上も母上もきっと頑張って下さるはず。新之助様をお助けできるのは安藤様と私しかいないのだもの。身命を賭してお仕えせよと父上も仰っていたじゃない。しっかりしなさい咲良」


 そしてあくる朝、四人で朝餉の膳に向かっている時、久秀が今後の予定を口にした。


「明日にはここを出て江戸へ向かいます。手形はありませんが、柴田が剣客を連れ帰るという態で行きましょう。咲良殿は我が妻女、新之助様は息子ということでよろしく頼みます。急なお家断絶で職を失った安藤久秀の話を聞き、剣友である柴田研吾が師範代として迎えたということです。三沢家の騒動は耳に届いているでしょうから問題なく通過できるはずです。急なことなので手形が無いで押し通しましょう」


「それなら最初からそうなさればよろしかったのではございませんか?」


「いや、それがなかなかそうもいかないのですよ」


 久秀の代わりに柴田が答えた。


「侍が一家で江戸へ移り住むとなると、藩の手形を持っているかを必ず確認されます。もし無い場合は、江戸での身元引受人が同行している必要があるのです。私はこれでも一応道場主という肩書がございますし、後ろ盾になって下さっている大名家からの承認書も持参しております」


「左様でございましたか。それは私共のためにお手数をおかけしてしまいました。緊急の折なればどうぞご容赦下さいませ。何も知らぬおなごが口を挟んでしまいました」


 三つ指をつく咲良の横で、新之助も居住まいをただした。

 柴田は大きく頷き、明るい口調で言った。


「いえいえ、お気になさらず。新之助様も、どうぞご安心なさってください。必ずお守りいたしますので」


 二人の会話など気にするそぶりも見せず、久秀は飯に汁をかけてかきこんでいた。

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