11 黒猫ときさらぎ駅

線路の上を2人の男女が歩く。これが洋画ならとても感動的な場面だったことだろう。


(なんかそんな映画があった気がする)と土御門銀はぼんやりと現実逃避する。隣を歩く星見桜はずっと青ざめたまま「わぁ……線路の上って歩いちゃいけないんですよ……?」「電車来たらどうしよ」とかぶつぶつ呟いている。




 彼女には悪いことをしたなと銀は思う。1人で行っていい許可さえあれば、連れ出すことも無かったのだが。『怪異』が起きた現場のすぐ傍で即座に動けるのが銀と桜の2人しかいなかったのだ。




――ここまで全て銀の頭の中だけの事であり、一切桜に釈明していない。




 そのせいで桜からとてつもない怨嗟の視線を浴びているが、本人は甘んじて受け入れることにしている。どう言い訳しようと彼女を危険な場所へ連れ出していることには変わりないのだから。




「えっと……銀さん、こんなとこ歩いてて大丈夫なんですか? 電車来たり――」




「少なくとも、今この時、この路線で電車は動いていない。とはいえ……『怪異』の影響で走っていない筈の電車が来る可能性は0ではない」




 安心させたいのか不安がらせたいのか分からない返答に桜の顔が更に青ざめる。『怪異』の経緯はこうだ。




 桜達が使っている路線上で突然電車が一本消えてしまった。唐突に連絡が取れなくなった為、鉄道会社は事故の可能性を疑い、全線を止める判断に至る。




 が、問題はそこからだ。電子掲示板のお知らせに『〇〇線はきさらぎ駅で発生した人身事故により運転の見合わせ』と表示がなされる。当初、鉄道関係者はその表記に異変を感じたが、すぐにそれが『普通』であると認識、乗客にも「きさらぎ線での人身事故」を理由に電車が止まったこと説明し始める。




 人身事故ともなれば警察や消防が動く筈だが、一切の動きが無かった。当然だ。『きさらぎ駅』等、この世界には存在しないのだから、人身事故が起きようが行きようが無い。




 今回起きた『怪異』は、現実世界の人間の認識や概念にさえも影響を与えているらしい。いつもその線を利用している桜でさえ銀からの電話があるまで気が付かなかった程だ。『適合者』であれば『怪異』にはある程度抵抗力を持つ筈だが……。


 


 現在2人は、現陰陽寮の名の元、この路線を調査している。警察の同行は悪戯に犠牲者を増やすだけになるという現陰陽の判断により、1人もいない。




(……『十二天将』の誰かが言いくるめたんだろう)




 現陰陽の実質トップ層にいる人物達を思い浮かべ、銀は苦い顔になる。




「まるごと消えた列車がどこかで消えた。それが『怪異』の原因になっているのは確かだ」




「それは分かるんですけど、きさらぎ駅なんて聞いたことないですよ」




「俺も詳しくは無いんだが……そういった類の話は幾つか聞いた事がある」




 現世の人間がふとした拍子に、別世界へと入り込んでしまう現象は俗に『神隠し』と呼ばれれているが、中には電車や車、飛行機や船等、乗り物の中にいる状態で発生する怪談も存在する。




 酔っぱらった客が地獄行きの列車に紛れ込んでしまいそのまま帰ってこなかっただとか、霧に包まれた豪華客船の乗客が美しい歌声と共に全員残らず影も形も残さず消えてしまっただとか。東西の洋を問わず、そんな話が生まれるのだが『きさらぎ駅』もまた、その手の類だろう。




「この手の話だとどこかにそこへ行く為の『境目』があるんだ」




「さかいめ……?」




 ぽかんとしてる桜に対して、銀は「たとえば」と言いつつ、立ち止まった。




 彼らの先には古びたレンガ造りのトンネルがあった。風が吸い込まれ、奥では物寂し気な声のように音が広がり闇に溶け込んでいく。トンネルの上は橋になっており、もう少し早い時間帯であれば学生やら会社員が通っていただろう。




「どうやら当たりかもしれんぞ」




 銀は懐から取り出した方位磁石を見て呟いた。針が手元でグルグルと激しく回っていた。現陰陽寮から託された『怪異』や『彼方の世界』へ繋がる『穴』を探知できる装備だ。探知の範囲がかなり狭いのがネックだが、正確性は折り紙付きだ。




「うーん、確かにこのトンネル……なんか嫌な感じしますねぇ」




「警戒しておけ、この先は未知の――」




 銀の言葉をかき消したのは電車の警笛音。振り向いた2人の視線の先にはこちらに向かってくる電車。咄嗟のことに固まって動けない桜の腕を取り、銀は走った。一瞬、横に飛び込もうと思ったが、線路の幅が急激に広がり、電車もそれに伴って巨大化していく。




 唯一、目の前にあるトンネルだけは大きさが変わらない。




「こ、こここ、電車来ないんじゃ」




「『怪異』だ! 止まったら死ぬぞ!」


 


 『怪異』は物理法則の捻じ曲がった事象すら巻き起こす事がある。それが単なる幻覚で済む場合もあれば、実際の出来事として起こる場合もある。銀にはこれがどっちのケースかは判別つかないが、それを試すのはあまりに馬鹿馬鹿しすぎる。


 もしも後者であれば、どれ程物理的、科学的にありえない事象でも『電車に轢かれた』という事実は現実に残るのだから。




 圧縮された空気から放出された警笛音が鼓膜を劈いた。電車が後数メートル、トンネルが目と鼻の先。




「じっとしてろ!」




「へ?」




 銀は桜の体を抱え、トンネルに向かって跳んだ。背中に鋼鉄の塊が触れ、押し込まれたような気がした瞬間、2人の体はトンネルの『穴』の中へと引きずり込まれた。




 体から思考が引き離され捻じ曲げられ再び体に戻るような感覚が繰り返される。色彩が反転し、長いトンネルを通り抜けていく。




 ふと頭の中に声が響いた。




――あいつと出会わなければ、今頃私は。




 ホームの雑踏、黄色い線。




――あいつのせいで彼は……。




 スピーカーから流れる音声と線路の振動。




――あいつを――――――。




 足元のブーツが、虚空へと踏み出し……。




「あいつだけは許さない」




 はっきりとした声が耳元で聞こえた次の瞬間、2人は電車の中にいた。




 銀に抱えられたまま桜はさめざめと泣いていた。


 


「うぅ……お父さんお母さんさようなら」




「人生を諦めるにはまだ早いぞ」




 雑に桜を電車の床に降ろし、銀は周りを警戒する。その手元にはいつもの装飾の派手なリボルバー拳銃があった。これが具現化するということは、ここは『彼方の世界』ということで合っているだろう。




「い、一体どうなったんですか?」




「俺達は無事、事件現場に到着したらしい……が、肝心の乗客達はどこにいる?」




 車内は無人だった。横幅は一般的な通勤電車と同じだ。先程の巨大化した電車とは別の車両か、もしくは巨大化は幻覚だったのかもしれない。とりあえず、他の車両や運転席も見ておこうかと思ったその時だった。




『次――きさ、ら、ぎ、き、さ、らぎ――終て……で』




 壊れたスピーカーのような不協和音と共に掠れた声が流れる。ガタン!と駅に止まるにしてはあまりに乱暴な挙動に、立ち上がりかけた桜が前に転ぶ。銀はかろうじてつり革に捕まって転倒を阻止した。




 電車の外は暗いが、人影が幾つか見えた。銀は閉まったドアに向けて銃を構えいつでも発砲できるようにしておく。




 空気が抜けるような音と共に自動ドアが開いた。そして……。




「あれ、2人とも、こんなところで奇遇だね」




 あまりに聞き慣れた言葉に、銀は舌打ち、桜は秒で立ち上がって目にも止まらない早さでその体に抱きついた。




――沖夜宵は、当然のように2人よりも先にきさらぎ駅にいた。今日もまた、長く黒い艶やかな髪を頭の右に結んで流し、前髪は月状の髪留めで左右に分けられている。星見桜と同じくセーラー服であるところを見るに、通学途中だったのだろう。




「夜宵ちゃぁん、なんでメールの返事くれなかったんですかぁ!」




(この状況で言うのがそれか)




 銀は桜の反応に呆れつつとりあえず『霊具』である銃を下した。2人が降りて数秒後、ドアが閉まり、列車が出発する。トンネルの先に吸い込まれるように去っていく。




「お前はなんでいつもいつも行く先々で俺達よりも先に『怪異』に遭遇しているんだ……」




「いやぁ、事件がボクを引き寄せちゃうのかな?」




 銀の苦言に、夜宵は嬉しそうな笑顔で答える。全く持って何を考えているのか分からない、掴みどころのない返答。銀は更に色々聞こうとして、彼女の後ろにいる大勢の人間の姿に気づいた。




「電車の中にいた皆、巻き込まれたんだ」




 通勤途中だったのであろうサラリーマン、赤ん坊連れの母親、そして学生達。だが、その大半が床に座り込み、目を閉じている。中には完全に倒れ込んでいる者もいる。ざっと数百人か。




「あ、あの、沖さん、その人達……」と夜宵や桜とは違う制服を着た学生が恐る恐る声を上げる。




「あ、この人達は『現陰陽寮』の『適合者』だよ」




 友達でも紹介するかのような気軽さ。苗字で呼ばれているところ、一般人が固まっているところを見るに、この場で彼らの避難を誘導したのは夜宵だろう。先日、桜から聞いた話を思い出す。元々彼女は誰とでも仲良くなれるくらいのコミュニケーション能力があるという話は嘘ではなさそうだ。




「駅に誘導したのは君だな。これで全員か?」




「この状況でも動ける人達にも手伝ってもらってだけどね。少なくとも同じ車両にいた人は全員避難させたよ。けど他の車両の人達は分からない……駅で降りた人もいたけど、車両に残った人もいるみたいだし」




 満員電車の人口は路線にもよるが三千程度。恐らくここには元の半分もいないだろう。




「……ここに来た列車はどうなった?」




「さっき君たちが乗ってきたのと同じ。ある程度降りたところで出発しちゃったよ」




 駅から出発してからしばらくしてトンネルに入ったところで『異変』が発生したらしい。窓の外には霧が立ち込め、『きさらぎ駅』へ到着する旨のアナウンスが流れたとのことだ。他には少女の恨み節のような声も聞こえたらしい。




 パニックになりかける車内で、駅に降りるよう促したのが夜宵だったということだ。見たところ怪我人らしい怪我人もいない事に銀は感心した。が、悠長に話をしてもいられない。




「どこかに『鬼』が要る筈だが……この状況では彼らを避難させる方が先か?」




「そうしたいとこなんだけどねー……」と夜宵はホームの黄色い線の外に出る。と、トンネルの向こうから風が吹く。さっと下がる夜宵の鼻先で鋼鉄の車両が疾走していく。




「『穴』がトンネルの先なんだけどさ、出ようとすると妨害されちゃうんだよねー」




「俺達をここから出すつもりが無いってことか……?」




 普段の『彼方の世界』と違う。明確な何かが意志を持ってここに閉じ込めているのだろうか。




『鬼』には本能的に人間を襲う以上の知能は基本的に無い。『穴』から這い出て現実世界で人間を捕まえて引きずり込むことはある。が、それは現実世界だと彼らが実体を長時間保てない為だ。だがそれ以上の知能……例えば獲物が逃げないよう『穴』への出口を塞ぐといったことはしない。その為、一般人が入り込んでも運が良ければ逃げ出すことが可能だったりする。尤も、殆どの人間は連れ込まれた時点でこの世界に適応できず動けなくなるのだが。




「……もしかしたら、思った以上に不味い事態かもしれないな」




 何事にも例外は存在する。『鬼』は人間の負の気から生まれ、自らの存在維持の為に負の気を取り込む。負の気とは、怒り、恨み、憎しみ、妬み等、強過ぎる感情のことだ。そして強すぎる感情とは直感的でまとまりが無い事が多い。だが、その負の感情に具体性があり説明ができるものだった場合はどうか。




『鬼』は人間を喰らい、同化することで負の気を摂取し、人を知る。――そして『異変』はより鮮明になっていく。




「ボク達……というか、これは」




 夜宵が何か知っているのかそう呟いたその時だった。電子的な鈴の音がホームに鳴り響く。




「沖夜――、宵様――、今すぐ――」




  名指し。雑音に紛れ途切れ途切れの放送は、目の前の少女を求めていた。




「この声……」と桜が困惑する。なにか知ってるかと聞こうとした瞬間だった。




 スピーカーから流れる雑音が唐突に消える。




――そして、




「ホームから飛び降りろ」




明確な悪意を持って沖夜宵の耳元で囁いた。




※沖夜宵の避難誘導


車内がパニックになる寸前で声を上げ、避難を誘導。突然押すと危ないので「ゆっくり降りてください」と何度も念押し。手慣れてるのは、以前学校で『怪異』に巻き込まれた時含め、場数を踏んでいる為。多分銀や桜が知らないところで何度か似たようなことしてる。

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