1 黒猫、潜り込む

 2001年1月1日(月)――21世紀は幕を開けた。20世紀からここ100年、科学技術の進歩は、宇宙に手が届く程にまで発展したのだった。


 


 それが、1年も経たずにこうなるとは誰にも想像できなかっただろうと、土御門銀つちみかどぎんは思う。ぴったり着込んだスーツを整え、左手でネクタイを締める。


 彼は『穴』と呼ばれる異空間を繋ぐ通路を通り、現実世界から異世界に降り立っていた。最早慣れたものだ。


『穴』の向こうに広がるのは、現実とは違う異世界――通称『彼方の世界』だ。


 現実世界と同じ建物や地形だが、元のままというわけでもなく、異様に長くなってしまってるビルや、さかさまに生えた自販機、ドアや窓の配置がおかしくなってる一軒家等、物理法則までもがおかしくなっている。


 一年前こそ、手探りであった『彼方の世界』


 普通の人間であれば、現実とは違う世界の空気に対して、酔いにも似た感覚を覚え、酷いと立っていることもままならない者もいる。


 だが、この世界に適合でき、この世界に触れた事で、超常現象を自分の意思で発現させることができる者達が現れた。


 銀の所属する非政府超常現象対策組織『現・陰陽寮』では、彼らのことは単純に『適合者』と呼称している。




『適合者』は『彼方の世界』で時間制限付き(超常現象を発現させるか否かや個人差で変わってくるが、半日程)ながら行動が可能であり、そしてこれは最も重要なことだが『彼方の世界』の住人である『鬼』への対抗できる唯一の手段を持つ者達でもある。




「見つけたぞ――ちっ。おい、星見」




 銀の眼が、獲物を狙う狐のように細められる。右手に持っているのはリボルバー式の拳銃だ。現実世界であれば銃刀法違反となるところだが、ここは『彼方の世界』だ。


 加えて、彼が持つ銃はグリップには金色の装飾、回転式弾倉も星のような形をしており、どことなく、現実味が無い。これは彼が有する能力で作った『彼方の世界』でしか使えない銃だからだ。『霊力を持った武器――略して霊器と呼称される』




「は、はい!」




 隣にいた少女が緊張した様子で返事をする。薄い赤色のふわふわとした髪、学校帰りなのか、高校の制服に鞄と、あまりに日常的な姿で、この異常な空間には不釣り合いだった。


 星見桜ほしみさくら、彼女もまた『適合者』の一人だ。




 『適合者』の出現はまちまちであり謎に包まれているが、今のところの統計上では子どもに多いとされている。




「あいつをどうにかしてくれ」




 顎でしゃくった先にいるのは、頭から血を被ったかのように真っ赤な肌、筋骨隆々とした成人男性の3倍はあろうかという体に、幾人もの人間をすり潰してきたであろう巨大な棍棒を持った世にも恐ろしい鬼――ではなく。




「夜宵やよいちゃーん、そこ危ないのでどいてくださーい!!」




 桜は、ぶんぶんと手を振って必死に(おっとりしすぎて、傍目にはそうは見えないのだが)叫んだ。




 何人も食い殺して引き裂いてきたであろう鬼の目の前には、1人の少女がいた。桜と同じく学校帰りなのか、セーラー服風の制服を着ている。真っ黒な長い髪は一部を顔の横に束ねストレートに。銀色に輝く三日月の髪留めが印象に残る。だが、そんな外見の事はどうでもよくなる程に、彼女は異常だった。




 沖夜宵おきやよいの瞳は黒く混沌としていた。深い沼のような濁り、捕らえられたら二度と抜け出せないような底の知れない眼力があった。




「この鬼、発生原因は飲んだくれ親父だね。数日前に離婚、家を追い出されちゃって自棄酒で大暴れ。その時の負の感情が穴を通じてここに流れ込んで自我を持ち始めたんだ」




 夜宵は、1人でぶつぶつ誰に言うでもなく話し始めた。『鬼』が唸り声を上げる。不思議と夜宵の話を聞いた後だと、その声がどことなく酔っ払いぽく聞こえてきてしまう。




「よーし、分かった、もう十分だ」




 危険を顧みず……というか、危険すら楽しんでるようにさえ見える夜宵に対して怒鳴りたいのを我慢し、銀は冷静に告げる。




「そこを離れろ」




 言われてから2秒程の間、不意に彼女は対象に興味を失くした猫のように視線を逸らして踵を返す。俊敏な動きでその場を離れたその瞬間、『鬼』は夜宵のいた空間へ棍棒を振り降ろした。




「……全く勘弁してもらいたいね」




 銀は引き金を引いた。鈍色に輝く銃弾が鬼の脳天を貫く。風穴から血飛沫を散らし、鬼は膝から崩れ落ちた。完全に大地に伏せるよりも先に燃え尽きるように体が崩壊してしまった。




「おー、お見事です!」




 桜が自販機の横から顔だけ出して拍手する。『彼方の世界』は多少なりとも物理法則や次元が歪んでいる為、全く同じ配置とはならないが、現実世界にある建物や物体が存在する。




「ま、この程度なら余裕だよね」




 銀の真後ろに音もなく現れる夜宵。それが彼女の能力によるものなのか、単に忍び足が上手いだけなのかは分からない。




「……沖君、キミは自殺願望でもあるのかな?」




 対する銀の反応は淡白だ。




(こいつは鬼をいともたやすく滅してしまう光景に見慣れてしまったんだろう)




 危険な兆候だと銀は感じた。だから敢えて厳しい態度で接している。尤も彼は普段から愛嬌のある性格ではないのだが。




「お堅いなぁ……ボクに自殺願望なんて無いよ」




 口調は茶化してるが、その瞳は相変わらず混沌としており、何を考えているか察することすらできない。




「……ここが危険な世界だという自覚が無いようだな、戻ってからみっちり説教してやるから、覚悟しろよ」




 その後、『穴』を通って3人は出てきた。都市部から少し離れた鬱蒼と生い茂る森の廃墟。取り壊しが決まったまま何年も放置されている家屋にあるドアがそれだった。




 外には中へと入らないように見張る『現・陰陽寮』の監視が1人。『穴』から出てきた夜宵の姿に驚いたが、銀から「俺が家まで送る。説明は後でする」と告げて、ひとまずその場は収めて、3人はその場を立ち去る。




『穴』は『鬼』が発生する場所に出現する。『鬼』がいなくなると同時にその場にある『穴』は時間経過で消失していく。それまでは監視が必要なのだ。




 宣言通り、銀は夜宵に説教を垂れた。『穴』の中に1人で入ったことに始まり『鬼』の眼前に立つことの危険性とか、そもそもこんなことを今更話さなくても知っているだろとか云々。




「そもそもそんなに『鬼』に興味があるならウチにくればいい」




 15分くらいの説教の後、銀がそう告げた。彼の所属する非政府超常現象対策組織『現・陰陽寮』は、便宜上では奉仕活動――平たく言えば「ボランティア」活動とされる。その実態は『鬼』と戦う「義勇兵(volunteer)」なのだが。




 その「ボランティア」組織は結成してから1年足らずの未熟な物であり、とにかく人手が足りない。活動がそもそも胡散臭いの一言で片づけられてしまう。とりわけ『適合者』は稀少で、その稀少な『適合者』の力の発現も多くが十代に見られる。未成年である以上、本人だけでなく保護者の承諾を得なければ、活動に参加はできない。




 そもそも『適合者』として覚醒するきっかけが『彼方の世界』や『鬼』に関係した事件であることが殆どであり、命の危機を身を持って経験した彼らに『彼方の世界』を探索し『鬼』と戦う組織に入ってくれと言うのは酷なことだった。




 その点、沖夜宵は逸材とも言える人物だ。彼女にとって『彼方の世界』も『鬼』も興味対象であり、銀がこれまで見た限りでは毛ほどの恐れも抱いていないように見える。本人が「うん」とさえ言ってくれれば、すぐにでも引き入れるのだが。




「あー……、ボク、そういう組織?とかで動くの苦手なんだよね。色々面倒な縛りがあるんでしょ?」




 ここまでがいつもの流れだ。初めて出会った時からその才能の高さに目を付けてそれとなく勧誘を続けたのだが、悉く躱されている。




「なら、もう二度とこの世界に関わるな、いいな?」




「あー……うん、はいはい」




 念押ししておいたが、暖簾に腕押し。響いた様子は無かった。




 夜宵がこんな危険を冒してまでこの世界に来るのか。その理由を銀は察していた。ここ数日、夜宵の身辺に調査が行われていた。


(組織が協力してやれると言ったら、彼女は興味を示すだろうか?)


 だが、調査されている事を彼女は知らない。ここで下手な事を言えば、二度と口を利かなくなるかもしれない。




 結局、この場でこれ以上言及することはできなかった。


 


「ねぇねぇ、夜宵ちゃん」とここにきて、桜が切り出した。




(何かこいつを説得できるような話してくれるか?)




「帰りにプリクラ、やっていきません?」




 少しだけ期待して損したなと銀は肩を落とす。対する夜宵は意外にもこの誘いに乗り気なようだった。




「あ、行く行くー! 銀さんも来る?」




「あ、は? 俺も?」




「あ、いいですねー!」




 2人の女子高生の圧に負け、銀はゲームセンターへと連行されるのであった。








土御門 銀


四・一異変の際に『適合者』として覚醒。某国大統領の娘が鬼にさらわれた際に適合者に覚醒したエージェントが『彼方の世界』で銃型の霊器で鬼を撃破したエピソードに憧れている為、彼の霊器も銃。


心には様々な想い、考えがあるが、それを決して口にしない。その癖、直球な言葉は飛ばす為、周りから誤解されがちな人物。


現在19歳、大学生。

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