第55話 駆け引き
覚悟を決めてスカーレット邸へ潜入し、おそるおそる足を進めた。時間帯が時間帯なので当たり前なのかもしれないが、普段魔石に照らされていたはずの通路には一切の明かりがない。正直なところ、中に入れば多少は光源があると考えていたので、その落差から一層恐ろしい思いをする事態となった。
プリムに与えられていた部屋は四階の角部屋で、俺に与えられていた部屋の隣だ。騎士団たちに与えられた部屋と一定の距離を離すためという配慮があったのだと思うが、今この状況になってみれば裏目に出たと言う他ない。玄関から入っていけば、ただでさえ人が千人単位で済めそうなほど広い屋敷なのに、その中のどの部屋よりも長い距離を進むことになってしまう。屋敷には火もついていたため、少しでも早く合流し、屋敷を抜け出す必要があるのに。
先に潜入したミルたちの足音は既に聞こえない。丸投げしたくなる気持ちもなくはないが、彼女らがプリムの部屋を間違える場合もある。
登った階段の数と来た道だけはしっかりと記憶しつつ、暗闇の中を手探りで進んでいく。
「ここか……?」
そんなこんなでなんとか目的の部屋らしき場所へとたどり着くことに成功した。先ほどまでも十分に暗かったが、四階の突き当たりは猶更だ。構造上の問題により僅かな月の光すら完全に遮断されてほとんど光が届いておらず、真っ暗闇と言っても過言ではない。加えて先に潜入した者により廊下に敷かれた絨毯が荒らされた形跡などもなかったため、俺の懐疑心はつのるばかりだった。
そういう訳で目的の場所かどうか判別もつかない訳だが、ひとまず俺は扉を開けてみることにした。
丁寧に手入れされているおかげか、扉は軋むような音も木と木が擦れるような音も発さず、この無音の状況下でも実に静かに開くことができた。唯一耳に入ってきた音といえば、扉を大きく開けすぎたせいで取っ手が壁にぶつかったものぐらいだ。
問題は、その後だった。
「……」
音は扉を開いた後も聞こえてこなかったのだ。誰かが中にいるなら、少なくとも寝息ぐらい聞こえてきそうなものである。
可能性はぱっと思いつく限りで四つだ。一つは、俺が場所を間違えた可能性。これは正直考えにくい、というか考えたくない可能性だ。角部屋という一番わかりやすい位置にある部屋を間違えているようでは、俺は一生大きな宿に泊まることはできないだろう。
一つは、プリムが出火を察知して逃げ出した可能性。これが一番正解に近い気もするが、ミルたちの潜入した形跡がないというのが少し引っかかる。
そして一つは、先に到達したミルたちが実に手際よく跡を濁さずにプリムと合流した可能性。正直この可能性を信じ込みたい気持ちで心はいっぱいだが、事態は常に最悪を想定しておく必要がある。
その最悪の事態であり最後の可能性は、既にこの屋敷は敵の手中に落ちていたということ。ここから屋敷の外へ出るまで、この考えを軸にして行動する必要がある。
「……念のため、確認しておくか」
頭の中で思い描くのみでは、思わぬ間違いを引き起こすこともある。そう考えて俺は一つ目の可能性を検証しておくことにした。
部屋の奥まで進んでカーテンを開いてやると、外から月の光が入ってきて室内が白く照らし出される。久々にしっかり確保された視界の中で捉えられたのは、大きなベッドが一つに、慌てて飛び起きたことを連想させる乱れたシーツ。その場に残された私物が見当たらないことから、部屋の主は随分小さな荷物をしか持っていなかったことが予想できる。
これだけでも十分ではあったが、確実にしておくために俺はベッドへとゆっくり近づいていく。ダニでも探すかのように目を細めてベッドに近づけ、慎重にある物を探していく。
「あ、なんか良い匂いする……」
なんて変態じみたことを独りごちるぐらいには俺の緊張の糸はぴんと張っており、操り人形が関節をあらぬ方向へ曲げるかのように奇行に走ってしまったのだ。
そして、俺は探していた物をついに見つけ出した。手を滑らせて落としてしまうことがないよう慎重につまみ上げ、それを月光にかざして色を確認する。
「やっぱり、間違ってはなかった」
俺が手に持っていたのは真っ赤な髪の毛だ。それはプリムがプリムであることを証明する強力な証拠であり、同時に彼女がこの場から既に脱出したことを証明するものだ。
一つピースが埋まれば、そこから生まれる新たな可能性が次々浮かび上がってきて頭がはちきれそうだ。時間があれば色々と考えることもできるのだが、ひとまず今最優先すべきことは俺がここから脱出すること。ここで敵に見つかるなんてことがあれば、俺はただ臆病なだけの戦犯野郎に――
「どうやら、私の勝ちみたいですねぇ――もう、容赦はしない」
ここにいるはずのない嫌味ったらしい声が、俺の背後から響いてきた。今ここで相手したくない人間だ。
言葉の節々には怒りが込められており、殺意が全身へと突き刺さってくる。俺としては徹頭徹尾被害者でしかないので、理不尽な逆恨みもいいところなのだが。
「ツイてねぇ」
小さく自らの不運を嘆きつつ振り返ると、やはりレイモンドが扉の前で仁王立ちしていた。当然彼一人ではなく、従者らしき人影が隣に控えている。体格はレイモンドより頭一つは小さく見えるが、威圧感は彼よりよっぽどある。魔力カツカツの今では、やり合って勝てる未来が想像できない程度には実力が空気を揺らして伝わってくる。
アンビスという至高の九人の一人がこの場にいないことは不幸中の幸いといえる。
油断すれば、今する意味のない後悔ばかりが頭を埋め尽くしそうになる。しかし、今そんなことに頭を悩ませるのは無意味どころか、悪手でしかない。
頭を振って余計な考えを余所へやってから、自信ありげに微笑を浮かべつつレイモンドと目を合わせた。
ここから交わす一言一言が、世界線の分岐点となる。
「丁度良かった。ここでお前も処理できるなんて、俺は運が良い」
強気を全面に出し、俺はそんなことを言った。もちろんそんな余力は残されておらず、精々少し怪我をさせるぐらいが関の山だ。
しかし、俺とやり合ったエクスマキアはこの世にいないのだから、レイモンドに俺の余力の情報は渡っていないはず。この駆け引きに勝てば、無傷で生還することだって夢じゃない。
「私に勝てると思っているのですか? 王宮で随分酷くやられたようですが」
短い笑いと共に、レイモンドは僅かに視線を下げた。わざわざ奴の視線をなぞる必要もなくわかる、俺の右腕を見ているのだろう。
しかし、レイモンドが僅かに声を震わせたのを俺は聞き逃さなかった。読み通り、奴は俺の情報を掴みきれていない。今ここでやり合うかどうか慎重に判断しようとしている。
「ちょっと油断しただけだ。多少出力が落ちたとて、人間相手なら申し分ない威力が出せる。ただ……」
「ただ?」
「一瞬で殺すというのは少し慈悲深すぎるとは思わないか? せっかくなら苦しんで罪を悔いて欲しいからな……そうだ、さっきこの屋敷に火をつけたのはお前だよな? ここでやり合うってんなら、その炎に包まれてもらおうか」
「面白いことを言いますね。見た目に反して、随分余裕があるようだ」
「まあな。だが、エクスマキアの件で学習した。俺も無傷って訳にはいかないだろうってことをな。だから、今はお互いに見逃すって選択肢も俺は持ってるぜ。互いに十分な準備期間を設け、いつか必ず来る瞬間に雌雄を決する。そっちの子は強そうだし、今失うのは辛いんじゃないか?」
「……なるほど」
レイモンドは考え込むような仕草を見せる。間違いない、奴は大きく揺らいでいる。一度揺らがせてしまえた段階で、全体の七割は成功したと言ってもいいはず。後は、ここからどうやって着地させるかだが……
しばらくしてレイモンドは顔を上げ、一言。
「わかりました。では、一旦帰らせてもらいます」
俺が誘導して着地させるまでもなく、レイモンドは俺の思うように動いてくれた。安堵感につられてしまわないよう、気を引き締めて奴の姿を捉え続ける。
大胆にも振り返って無防備な背中を晒し、レイモンドは悠然と扉へ向かって歩き始める。
一瞬、歩みを止めてレイモンドは隣にいる人影へと声をかけた。
「行きましょう。ローラ」
「……はい」
名前を聞いただけで、自分が自分でなくなるほどの衝撃を受けた。レイモンドに応じるその声を聞いた瞬間、俺の心は大きく揺らいでしまった。ひどく心臓が冷えたような錯覚に陥って、めまいすら覚える。
「ローラ、なのか?」
追い求めるように掌を突き出し、去ろうとする人影向けて問うていた。自分の意志を突き破って、意思が出てきてしまっていた。それが、俺の積み上げてきた状況を破壊してしまうことなど、容易に予想がつくはずなのに。
「なんで、ここに……」
もはや動揺を隠しきれず、彼女の元へと歩いていく。
そして、手を伸ばす。なんでもいい、彼女が彼女であることを証明する何かを掴もうと、震える手を差し伸べて――
「残念です」
ローラの代わりに聞きたくない男の声がした直後、反応する間もなく大きな衝撃音とともに、俺は窓から吹き飛ばされることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます