信頼という感情の話②

 その日は心配のためにあまり眠れず、私はぼぅっとしていた。寝不足で頭ははっきりしないのに、空のことが心配で、眠気なんて感じなかった。

 空はしっかりした子だし、他人の心に自然と溶け込む柔軟さもある。だから、多分、大丈夫だろうと思う。

 ただ、今までは空に何かあれば手助けできたのに、エルフの森ではそうはいかない。部外者である私の魔法は、結界に全て弾かれてしまう。だから、空が困難に陥っていたとしても、私には手助けする術がない。


「やぁ、シュヴァルツ」


 ニールがやってきた。私はぼぅっとした顔でニールを見つめる。


「どうしたの? 徹夜明け?」


「……徹昼明け。ていうか、寝不足」


「寝不足?」


 ニールは眉を顰める。

 まぁ、それもそうだろう。アルバムは作り上げたし、好みの水差しも既に売却済み。寝不足になる要因なんて、ニールには思いつかなかったんだろうと思う。

 私はニールの顔を見て、小さくため息を吐き出した。


 ニールの周りに銀の針が散らばった。感情の色、不愉快さの現れだ。きっと私の態度を失礼だと思っているんだろう。


「ごめん。ニールに対してじゃないよ。

 そうじゃなくて、空との通信ができないんだよ、今」


 私はニールに打ち明けることにした。


「今日の昼間にエルフの森に到着したらしいんだ。だけど、二人のエルフに招かれて森の奥に向かう途中で、監視の術視界のジャックが使えなくなった。多分、エルフの結界で魔法が断ち切られたんだと思う」


 空が困っていないだろうか。危険に晒されていないだろうか。不安で不安で仕方なくて、でも私は待つことしかできなくて。

 ニールはそれを聞いて、くすりと笑った。


「空のことなら大丈夫さ」


 ニールのあまりにも軽い調子に、私はムッとして眉間を寄せた。


「ああ、ごめんごめん」


 ニールは「ごめん」と言いつつ私の顔を見て、暫くは我慢していたようだけど、遂に声に出して笑い始めた。


「あっはは。シュヴァルツらしくないね」


「何が『らしくない』だよ。あの子は私の弟子なんだから、心配するに決まってるだろう」


「はははっ。そうだね。珍しく弟子をとって、珍しく溺愛してるんだしね。心配にもなるね」


 ニールは暫く大笑いしていたけれど、落ち着いた頃、私にこう言った。


「大丈夫だよ。エルフは空を歓迎する」


 ニールは自信を持って言っているようだった。 

 でも、私は心配で……

 

 空が粗相をしてしまったら?

 エルフの気まぐれで空が虐められたら?

 考え出すと、不安で頭が埋め尽くされてしまって……


 ニールは私の額に杖を向ける。気疲れしている私を気遣って、体力回復の魔法をつかってくれているようだった。頭の天辺がじんわり温かくなり、指先に、爪先に広がって、満たされる。


「君は、弟子だから守らなきゃ、助けなきゃって思っているようだけど、それは違う」


 ニールは杖を離してそう言った。

 少しだけはっきりした頭で、私はニールの言葉を聞く。


「弟子はいつか一人前になって、自分の元を卒業する。いつか離れなければならない時が来る。

 だけど、シュヴァルツみたいに常に助けてあげて、教えてあげてってやってたんじゃ、空は卒業できないよ」


 それは、そうかもしれない。


「でも、もし何かあったら……」


「君の教えは、不十分だったのかい?」


 言葉に詰まる。

 身の守り方、困難に立ち向かう方法、そのための魔法の数々……十分教えてきたつもりだ。だから、私は空に仕事を頼んだんだ。


「十分教えてきたよ」


「なら、信じてみたらいいんじゃないかな。弟子のこと」


 信じる……か……


「心配は程々に。空のこと、ちゃんと信じてあげて。

 あの子は、立派な一人前の魔法使いだよ」


 私は目を見開いた。

 私の目には、まだまだ甘えたな子供に見えていたけれど、ニールには一人前に見えていたのか。

 いや、私は空のことを、子供として見ていたかったのかもしれない。

 でも、一年で見違える程に大きく成長するのが、子供ってやつだ。私は弟子のことを見くびっているのかも。


「ニール、ありがとう。気持ちが落ち着いたよ」


「どういたしまして」


 ニールはそう言って、片手を振って店を去る。

 何も買わずに去って行った。つまり、私の様子を見に来るのが目的だったということか。

 仕事が忙しいだろうに、優しいヒトだよ、全く。


『……魔女さん』


 不意に、頭の中に声が響いた。

 空から、伝達の術でテレパシーが届いたんだ。でも、結界のせいか距離のせいか、ノイズが入っていて聞き取りにくい。


『魔女さん。グリムニルさんのお母さんが倒れちゃって……心配だから、エルフの森に泊まってもいいですか?』


 ニールのお母様が、倒れただって……?

 私は、星降堂のドアに視線を向ける。慌てて外に飛び出してニールの姿を探したけれど、彼の姿は人混みに紛れて消えていた。


「泊まる場所に、あてはあるのかい?」


 伝達の術で空に尋ねる。空はすぐに返事を寄越した。


『ジャスパーさんが泊まらせてくれるって。だから大丈夫です』


 ジャスパーという人物を、私は知らないんだけど……

 私は悩む。すぐにこちらに帰ってきなさいと言おうとしたけど、暗くなり始めた空を見ると、エルフの森に留まる方が良いようにも思える。

 夜の森は危ないからね。また幻獣に狙われてはいけないし。


「わかった。明日は早く帰ってくるんだよ」


『はい! ありがとうございます!』


 そうして通信は途切れた。


 ニールのお母様も心配だけど、それ以上に空のことが心配だ。

 でも、まぁ……あの子には、自分で物事を考える賢さも想像力もあるはずだ。エルフに歓迎されているなら、大丈夫、何も心配要らないだろう。

 ……多分……

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