第50話 私が、壊れたときのこと③

「……そうです。私が命令しました」


 私と片倉と担任しか居ない小さな部屋で、私はそう告げた。


「なんで言うの、片倉」

「…………」


 言葉を失って目を見開く片倉と担任。

 それを見て、今まで混乱して訳が分からなくなっていた頭が冷静さを取り戻した。

 いくつかの言葉を頭の中に浮かべていた。


 担任が、私がやったと思っているなら、それでいい。

 片倉が私に命令されてやったって言うなら、そういうことにしてやればいい。

 全部全部、どうなってもいい。


「はぁ、せっかくいい感じだったのに。ふざけないでよ」

「…………」

「……嵐山さん……あなたは片倉さんに命令して、財布を盗ませたのね?」

「はい、そうです。でもお金は盗むなって言いました」


 一回自暴自棄になれば、驚くほどすっと言葉が出てきた。

 片倉は信じられないものを見る目で私を見ていて、担任はどこか納得した表情だったけど、もうどうでも良かった。


「……今回は、盗まれそうになった親御さんも大事にしないと言ってくれたわ。私も今後は起こらないようにする、と今回と前回の親御さんには伝えます。片倉さん、命令されたとはいえ、盗む行為は犯罪です。今後は何を言われても応じないように」

「……はい」

「……嵐山さん、盗んでいないとはいえ、盗みを強制するのは最も悪い事です。今後二度とこのようなことをしないように深く反省してください。二人には反省文を書いてもらいますし、親御さんにも伝えさせてもらいます。追ってさらなる処分は伝えますが、謹慎は覚悟してください」

「はい、分かりました」


 呆れたように息を吐いて、担任は私達を解放してくれた。

 でも結局クラスに戻ることは叶わずに、私と片倉はそれぞれ別の部屋に移されて、そこで反省文を書かされた。


 5,6時間目をかけて反省文を書いたんだけど、正直何を書いたのかはよく覚えてない。

 でもやってないことを想像で書いて、それに対して反省して謝罪するんだから、それまでも、そしてそのあともない体験だった。


 反省文を書き終えて、職員室で微妙な顔をする桜先生に提出して、そしてクラスに戻った。

 もう放課後だったからクラスメイトもまばらだったけど、数人は残ってた。

 彼らは私の方を見て、噂話をしていた。


『結局嵐山さんが片倉さんに命令してたんでしょ?』

『うわー、まあ嵐山さんならやってもおかしくないよね』

『前から怖い人だと思ってたんだよねぇ』


 男子も女子も、同じように噂話をしていた。

 同性だからだと思うけど、耳に残っていて覚えているのは女子の声ばかり。


 そして最悪の一日を終えて、私は家へ帰った。

 本当にくだらないと思って、帰って寝ようって思っていた。

 寝てちょっとは気持ちを楽にしようって。


 そして家について、いつものように自分の部屋に行こうとしたけど、その日だけは違った。

 リビングからお母さんが出てきて、声をかけられた。


「莉愛……さっき中学校から連絡があったけど……」

「…………」


 ああ、そういえば担任が連絡するって言っていたな、と思ったとき。


「本当に……財布を盗めって言ったのね?」


 一言で、頭の中が真っ白になった。

 お母さんの表情に私に対する恐怖のようなものを見たからっていうのもある。

 でもそれよりも、お母さんのその一言が、私がやったことを受け入れているように思えちゃったから。


「……さい」

「莉愛?」

「うるさい。関わらないで」


 自分でも驚くくらい低い声が出た。

 これまでもお母さんとは精神的な距離があったけど、このときが見えないけど確かにある壁の始まりだった。

 私はそのまま驚いて黙ったお母さんの脇を通り抜けて、自分の部屋に向かった。


「……私は言ってない」


 最後に小さくそう呟いたのは、せめてもの抵抗だった。

 私は自室に戻って、そのまま何も食べずに全部忘れようと思って眠りについた。

 こうして、私の人生で最悪だった一日がようやく終わった。


 翌日から、私は謹慎処分を受けた。

 学校には登校するけど別室に通されて課題を行った。

 誰とも話したくなかったし、片倉に命令したと知ったクラスメイト達の中にもわざわざ話したいもの好きはいないだろうから、ちょうど良かった。


 でもここら辺は学校のミスだと思うんだけど、普段の生徒達と登下校の時間は被らないけど、片倉とは被ってた。

 時折校舎で鉢合わせることがあったけど、当然私達は一言も話さなかった。

 私としても、もう片倉に興味はなかったから。


 その一方で片倉の様子は少しおかしかった気がする。

 私の方を遠くからチラチラと見て、少し何かを気にしているような、恐れているような感じだった。


 とはいえ当時の私からしてみれば、いまさら声をかけられたところで応じるつもりもなかった。

 むしろ冷たい目で一瞬だけ見て、そして興味なさげに目線を外すくらい。

 わざとそうしているというよりも、もう片倉の事を友人とも何とも思っていなかった。


 そして地獄のような出来事が起きたほんの数日後。

 担任は私が課題をしていた教室に入ってくるなり、少し困ったような顔をしていた。

 その日の事はよく覚えているから、担任の開幕の言葉も覚えている。


「……片倉さんが、親御さんの都合で昨日をもって転校したわ」


 突然の担任の言葉に、私は何を思ったかというと、別に何もだった。

 片倉が転校したという事を聞いても、どうでもよかった。

 その後、担任は立ったままで、右手で頭を押さえて口を開いた。


「昨日、片倉さんの親御さんから連絡があったの。財布を盗んだのは片倉さんが自分の意志で行ったことで、嵐山さんは関わっていないと……」

「…………」


 今更白状したのかと思ったけど、特に何かを言うつもりもなかったから黙って聞いていた。

 やがて担任は小さくため息を吐いて、私に避難するような目を向ける。


「嵐山さん、あなたね……やってないならやってないって言わないとだめでしょ」

「…………」


 私は何度も言った。

 何度も何度も訴えたけど、聞かなかったのはお前じゃないか。

 耳を傾けもしなかったくせに、今更なにを言っているの。


 色々な感情が胸から湧き出てきたけど、でも最後にはそれらがすっと消えた。

 魔法のように一つの言葉が残り、それ以外が消えた。


 でも、もうどうでもいいや。


「次からは気を付けてね。クラスには私の方から説明しておいたから、もうクラスに戻ってもいいわ」


 一切口を開かない私にしびれを切らしたのか、担任はそう言って教室を出ていった。

 担任が閉じた扉を見ながら、私は自分の筆記用具を片付けて鞄の入れて、席を立って……特に何かを言うことなく、数日過ごした教室を後にした。

 きっとその教室に入ってから出るまで、私は顔色一つ変わらなかったと思う。


 その後クラスに戻ったけど、担任の説明で私が片倉を脅して命令した、という部分については否定されたのか、雰囲気は少しだけ違っていた。

 謝ってくるクラスメイトもほんの僅かに居たけど、彼らに対してもそっけない態度を取った。

 結局その日もいつものようにただ学校で時間だけを過ごして、家へと帰った。


 家に帰ると担任が連絡を入れたのか、お母さんが玄関で待っていた。


「莉愛……先生から聞いたわ。片倉さんが転校したって、あなたは何も悪い事をしていないって」

「…………」

「お母さん、先生に怒るからね。莉愛は何も悪くないですよねって、強く言うから」

「……は?」


 その時はお母さんの話は話半分に聞いていたけど、それだけは聞き逃せなかった。

 もうどうでもいいと思っているのに、蒸し返されたらたまらないって、そう思った。


「いい。しなくていい」

「で、でも……」

「いいって言ってるでしょ。……そんなことしないで」

「り、莉愛……」

「余計なことしないで!!」


 大きな声で叫んで、私は部屋に駆け込んだ。

 もう、放っておいて欲しかった。

 だからヘッドフォンをして、大音量でV系の音楽を聴いて、ベッドの中で眠りについた。

 そうしていることが、幸せだった。


 それから私は、何の面白味もない中学生活を送った。

 誰とも話すことなく、誰とも一緒に行動することもない。

 担任と大多数のクラスメイトは、結局謝ることは一度としてなかった。


『なんで受け入れたんだよ』

『めんどくさいことになったじゃん』

『でも本当は命令したんじゃない? やっててもおかしくないでしょ』


 そんな言葉を後に聞いたことだってある。

 辛いとか、悲しいとか思うこともあるけど、その時はどうでもいいやって、そう思ってた。


 お母さんと話をする回数は元々少なかったけど、この時を境にほとんどなくなった。

 勉強も、習い事も、全部やめた。

 どれだけ学校の成績が下がっても、誰も何も言わなかった。


 中学の卒業式までただ時間を過ごして、適当に受験勉強をして、適当に受験して合格したこの高校に入学を決めて、そしてすぐに家を飛び出した。

 お姉ちゃんとは仲が良かったから、泊めて欲しい、家に帰りたくないって言ったら、マンションに泊めさせてくれた。


 お母さんやお父さんからの連絡は、全部お姉ちゃん経由。

 私から何かを伝えるときも、お姉ちゃん経由。

 そうして私は、高校二年生を迎える今までお姉ちゃんのマンションに住んでいる。


 中学を卒業して以来、実家にはほとんど帰っていない。

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