第一章 初恋、交流、それから別離③


『親愛なるラヴィ

 お菓子を喜んでもらえたようで、安心したよ。弟君と母上にもちゃんと分けてあげるラヴィは、優しくて気前がいいね。父上にも、もう少しその優しさと気前のよさを発揮できたらいいんじゃないかな。

 それから、絵について褒めてもらったけれど、実はあれはオタマジャクシではなく、時々学校に迷い込んでくる猫なんだ……可愛らしいから、ラヴィにも見せてあげたいと思って絵にしてみたのだけど、どうやらあまり上手く伝わらなかったみたいだね。オタマジャクシに見えても、可愛いと思ってもらえたならよかった。

 あと、なんだっけ、可愛いと思う女の子、だっけ? ちょっと質問の意図がよく判らないのだけど、女の子というものはみんな可愛いのではないかな。

 僕は一人っ子だから、姉妹のいる友人から話を聞いて、時々羨ましかったんだ。でも今は、ラヴィが僕の妹になってくれたようで嬉しく思ってる。中にはもうすでに婚約が決まった友人もいるけど、僕にはまだそういうのは早いんじゃないかと──』


 ラヴィはその手紙を握りしめ、父親のもとに走った。

「ど、どうしたんだい、ラヴィ」

 母の状態も落ち着いてきたことだし、そろそろまた王都に戻るつもりで準備をしていた父は、血相を変えて駆け込んできた我が娘を見て、目を白黒させた。

 ラヴィは震える手で、父に向かってシリルの手紙を差し出した。その様子を見て、何か尋常ではないことが起きたのかと、父が急いでその手紙にざっと目を通す。

 そして、首を傾げた。

「えーと……それで、これが何か?」

「何を言っているのですか、お父さま。中身をよく見ましたか」

「見たけど。シリルさまは、八歳の子ども相手でも礼節を忘れない、よくできた人だね、としか……それにしてもラヴィ、猫をオタマジャクシに間違えるのはあんまりじゃないだろうか」

「そんなことは問題ではないのです。シリルさまの絵はどう見てもオタマジャクシか謎の生命体にしか見えなかったのだから、しょうがないではありませんか。ヤモリや毛虫に間違えなかっただけマシです。それより、ここです、ここ!」

 もどかしげにラヴィが指で示す文章を覗き込んで、父はさらに首を捻った。

「もしかして、妹に見られているのが不満なのかい? でもそれは仕方ないんじゃないかなあ」

「それは大いに不満ですが、違います。ほら、この『もうすでに婚約が決まった友人もいる』という部分です!」

「うん。そりゃあ貴族だから、珍しいことじゃないよねえ」

「何を呑気な。だとしたら余計にグズグズしておれません。お父さま、わたしがシリルさまの婚約者になるには、どうしたらいいですか」

「……なんて?」

 首を変な角度で傾けたまま、父の動きがピタリと止まる。

 ラヴィは地団駄を踏んだ。

「ですから、婚約です、婚約! お父さまは、シリルさまが他の女の人と婚約するのをこのまま指をくわえて見ているつもりなのですか!? 商人は機を逃さず素早く行動するのが第一だと、いつも言っているではありませんか!」

「いや……あのね、ラヴィ」

 父はようやく首をまっすぐに戻したが、今度は額に手を当てた。

「もしかしたらそうなんじゃないかなーと思ったけど、ラヴィはシリルさまのことが、異性として好きなのかな?」

「逆に、それ以外の何があるというのです。『お友達』から『お嫁さん』にステップアップしようと努力し続けているわたしの姿が目に入らないのですか。お父さまの目は節穴ですか」

「あ、うん、そうだね……その年頃の女の子によくある、年長の男の子に対する憧れみたいなものかなと思おうとしたけど、そういえば君は思い込みの激しい、猪突猛進型の性格だった……」

 ふうー、と長いため息をつく。

 そして父は表情を改め、正面からラヴィを見つめた。

「前もってきちんと言っておかなかった僕が悪かった。あのねラヴィ、シリルさまは貴族で、君は平民だ。まだ難しいかもしれないけど、その二つには、決定的な立場の違いというものがあるんだよ」

「そこはお父さまのお金の力でどうにかしてください」

「なんてことを言うのかな、僕の可愛いお姫さまは」

「地味で見た目の冴えないお父さまが、元貴族で美人のお母さまを妻にすることができたのは、お金がたんまりあったからだって、以前従業員たちが陰でこそこそ話していました」

「その話、後でじっくり聞かせてくれるかい? いや、それはともかく、僕とミリーの件とはまったく違うんだ。今のご時世、貴族と平民の結婚は特に珍しいものではないけど、一つだけ、絶対に不可能という場合があってね」

「絶対に……不可能?」

 嫌な予感でざわざわする。ラヴィは眉を下げ、胸に手を当てた。

 父は少しだけ憐れむような目をして、真面目な顔で頷いた。

「貴族の嫡子と平民。このケースについては、両者の結婚は一切許可されない。平民として生まれた人間がその後、貴族籍に入ったとしてもだ。ディルトニア王国の法律で、そう定まっているんだよ」

 つまり、今後父親が何かの間違いで爵位を得たとしても、お金を積んでラヴィがどこぞの貴族の養子になったとしても、シリルのお嫁さんになるのは絶望的、ということだ。

 ──なんてこと。

 ラヴィはショックのあまり、手紙を握ったまま倒れてしまった。



 ラヴィは生まれてはじめて現実の厳しさと、どうにもならない身分の壁というものに直面して、打ちひしがれた。

 この時、父が「妻は無理だけど愛人なら平民でもオッケー」と口にしなかったのは、非常に賢明な判断だった。それを聞いたら、八歳の少女は迷うことなくそちらに目標を定めて突き進んでいただろう。

 もちろん、ラヴィとて、シリルのお嫁さんの座をすんなり諦めたわけではない。うんうん考えて様々な案を巡らせては父親に提示した。

「いいことを思いつきました、お父さま!」

「なんだい?」

「お母さまの実家は元貴族だったのだから、わたしも貴族の血が半分流れているということでしょう? だったらまたその家を復活させたらいいではないですか!」

「いやあのね、一度爵位を返上した貴族はもう復活できないんだよ」

「そこはお金の力でなんとか」

「八歳で賄賂を推奨するのはどうだろう。いや、それでも無理だから」

「じゃあ、じゃあ……あっそうだ、いいことを思いつきました!」

「聞きたくないなあ」

「わたしがどこかの貴族のご落胤ということにすればいいのです。お母さまが昔の恋人との間につくった子で……」

「それは実の父に向かって言うことじゃないね!」

 さすがにこのアイディアには、普段は優しい父が怖い顔をした。その後、母にもガミガミとお説教された。しまいには、ラヴィが「あっ、いいことを」と言いかけただけで父は耳を塞ぐようになり、そそくさと逃げるように王都へ出発してしまった。

 ラヴィはしょんぼりした。

 シリルのお嫁さんになる夢は、出会って半年も経たないうちに完全に破れてしまった、ということになる。

 かといって、今後の交流をやめるという選択肢はラヴィにはなかった。貴族と平民の二人を繋いでいるのは一本の細くて脆い糸であり、こちらが手を離してしまったらもう修復はできないと判っていたからだ。

 そんなわけで、ラヴィは泣きべそをかきながら、傷心を押し殺し、シリルへの手紙を書いた。


『しんあいなるシリルさま

 しばらくお手紙を書けなくてごめんなさい。とても悲しいことがあったのです。今も■■■■できないことを思うと、胸がつぶれそうです。シリルさま、この世は、お金があってもどうしようもないことがたくさんあるのですね。わたしが生まれた時からうちにはお金がたくさんあって、欲しいと言えばたいていのものが手に入ったので、知りませんでした。せけんではそういうのを、「はいきんしゅぎ」と言うのだそうです。とてもみっともなくて、おろかなことだと、お母さまが言っていました。これからは心を入れかえるので、シリルさま、わたしを嫌いにならないでくださいね。たとえ■■■■■になれなくても、シリルさまのお友だちでありつづけたいのです。できたら、お友だちの最上位にあるという「しんゆう」の立場になれたらいいなあと願っています。もしもこの先、シリルさまに■■■■■■ができたとしても──』


 金銭ですべてが解決するわけではないということを知ったラヴィは、ほんのちょっぴり精神的に大人になった。

 だが、あちこちが黒々と塗り潰された奇怪な手紙を読んで、至極常識的で真っ当な思考の持ち主であるシリルは大いに戸惑ったらしく、ラヴィの頭の具合を心配する手紙を送り返してきた。

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