第四部「晴斗・渚」
「あ、本屋――」
「それはハル君が貰って嬉しいものがあるところでしょ……っ!」
電車内でのトラブルはもう過去のこと。そう割り切っているのか、そもそも気にしていないのか、ハル君は通路を進んだ先にある本屋に意識が向いていた。
平日だというのに、多くのお客さんで溢れかえっている。
さすがは埼玉県が誇る大型ショッピングモール。
この中を歩くだけで、一体いくつの本屋を発見することになるのやら……。その度にこれだったら止めるのにも疲れてくるんだけど。
まぁそういうのは抜きにしても――こういうところで買い物するのは嫌いじゃない。
それにここなら、多彩な品物が並んでいるはずだし優衣ちゃんに似合いそうなものも発掘出来ると思う。
――が、人混みが少々苦手な彼には荷が重すぎたらしい。先程から「人多すぎ……」とぼやきながら歩いてる。
大勢の人から作られる人混みが、彼にここまでのダメージを与えるとは。もしかしたら、私を連れてきたのもこの状況にも一理あるからかもしれない。
「本屋行きたい……」
「今日新刊の発売日じゃないんでしょ? 一々散財してたら優衣ちゃんへのプレゼント買えなくなるし、今月ピックアップしてる新刊も買えなくなるよ?」
「そんなことは――……ある、のか?」
否定しようとしたらしいが、私の押し付けた現実問題に自分の意見に疑問を抱く。
言葉を詰まらせ、納得したように軽く頷いた。ご理解頂けて何よりです。
「それで、結局何買うのかは決めてないの?」
「……仕方ないだろ。1つ下とはいえど、今どきの女子が貰って喜ぶプレゼントなんて、想像もつかん」
「そうだろうねぇ。世間体とかあまり気にしないハル君に、そのお題は鬼畜だね」
だとしても外れすぎてると思うけどね。全国模試総合順位2桁で頭いいはずなのに、乙女心が問題となればすぐこれだ。どうしてこんなに疎いんだろう。謎だよね、本当に。
「……あぁ。だったら一之瀬、少し訊いてもいいか? 少しアドバイスが欲しい」
「アドバイス?」
……何だろう。つい先日にも同じようなやり取りをした気がする。
自力で考え抜きたくない問題が発生したときだけ、世間体に詳しい私に訊くのどうにかさせないとなぁ。
――まさかとは思うけど、日誌のときのような、丸投げ案件じゃないよね?
「この年頃の女子って、何を欲しがるんだ?」
……ほっ。とりあえず、その心配は無さそうかな。
「生憎だが、僕に一般的女子の見解とか求めても無駄だから。そういう、世間体とか流行りとかには、一切闘争心を燃やしたことがない」
「自慢して言うことじゃないと思うよ、そういうの。……本当、読書にしか興味ないよね」
「にしか……っていうか、興味を持てそうなものが少ない。の方だな」
……ということは、私に対しての興味心も少ない。ってことなのかな……?
「でも少なからず、今日のことに関しては興味を持ってるってことだよね?」
「……そうなるな」
「だったら簡単だよ。プレゼントっていうのは相手からの気持ちが籠ってるものでしょ?」
「……気持ち、ねぇ」
独り言のように呟く。
実の妹である優衣ちゃんの気持ちさえ汲み込めないとは……どんだけ周りに無関心なのか。さすがすぎて反論も出来ない。
――まだ私達が普通の幼馴染だった頃。ハル君と一緒にいる時間は今よりも断然短くて、彼のことも全く把握出来ていなかった。そしてそれは――逆もまた然り。
こうして関われなかった時間、私達は一緒に買い物をするってことが無かった。だからこそ親身に思う。……今までどうやってプレゼント選んできたんだろうか。と。
謎が謎を呼んだ瞬間だった。
「逆に聞こう。一之瀬はどうやってプレゼントを決めてるんだ?」
「どう……って。そんな大袈裟に考えなくても、相手に少しでも喜んでもらえるようなプレゼントを選んでるだけだよ?」
「……その発想の時点で、僕の領域を超えている」
別にそんな大胆なことはしてないと思うんだけど。
「でも、その点で言ったらハル君には買えなかった新刊とかあげればよさそうだね」
「んな手軽みたいに言うな……。まぁ……あながち間違ってないけど」
あながち? 絶対違うわね。絶対合ってるでしょ。でも、好きな人相手にそんな楽な思考のプレゼントはしないと思うけど。
「ってか今思ったけど、一之瀬ってラノベ読んだことないよな」
「え? ま、まぁそうだけど」
「時代遅れにもほどがあるぞ」
「そ、そうね……! 悪かったわね、流行に乗り遅れた小舟みたいな立ち位置でっ!」
「そこまでは言ってない。……というか、その言い方だと興味がないってわけじゃあないんだな。ならこの際だし、少し寄っていくか?」
「えっ……?」
……この場合だと、ただ単にハル君が寄りたいだけだとか、そういうカテゴリーに入ったりするのかな?
ハル君の言う通り、私は基本的に文庫本は読まない。
一般的なミステリー小説とかを読むタイプ。だから、ライトノベルのジャンルにある『ラブコメ』というカテゴリーには、一切触れたことがない。全てが『恋愛モノ』として成立されているために、この間、優衣ちゃんから聞いたのが初めてだったりする。
正直、ライトノベルに興味がないというわけじゃない。寧ろ、好きな人の好みを知りたいというのは、女の子であれば当然の発想なんじゃないかと思う。
読みかねているのには訳がある。
――私のような一般小説のミステリーもので満足している人間に、果たしてライトノベルの何たるかが理解しきれるかどうか……。
勉強していけば済む話なんだろうけど……藤崎君とのやり取りで楽しそうにしているハル君を見ていると、イマイチ自信が無くなってしまう。
――私でいいのか。
――本当に、理解し合えるのか。
読んでこなかった差というのは、想像以上に深かったりするもの。
「……んん?」
ふと、我に返る。
……あれ? そもそも、ここに来ている目的って、本当に本屋巡りだったっけ?
と、ここで私は目的の履き違いをしていることを理解した。
すると、はっとする私をハル君はぷっと苦笑いをした。
「は、嵌めたのぉぉ~~!?」
「いやいやいや、勘違いはいけないよ美少女様。僕はあくまでも“自分の気持ち”を正直に暴露しただけだ。それに乗る用途はどこにもなかったはず。だが、お前は乗った。ただの引っ掛け問題に、な」
要するに嵌めたんじゃないっ!!
体内の熱が一気に噴射するように、私の頬はマグマのように赤く染まった。顔が熱い。そんな私を今のハル君には見られなくて、故意に視線を逸らした。
こ、こんな……こんな初歩的トラップが存在していたなんてぇぇ……。
「穴があったら入りたい……」
「別に僕は本心を言っただけで嘘はついてないぞ。本来の目的から逸れたのは、お前の落ち度だ。人間は誘惑に弱いっていうが、一之瀬を見ていると「あぁ、そうかも」と納得出来てしまうな」
「何よそれ……! どうせ私はすぐに脱線する女ですよ……」
「そう睨むなよ。……興味があるなら、帰りにでも寄っていくか?」
「とか言って、どうせまた嵌める気なんでしょ? そう何回も騙されないからね」
「ノープロブレム。今回はマジの誘いだ」
「……胡散臭い」
「困ったもんだな。いつから僕は信用性に欠ける人になったんだろうな」
「ついさっき……っ!」
私は今出来る精一杯の皮肉を込めて公言する。
誘惑に乗るのは……多分、乗せようとしてきた相手が、ハル君だったから。
――こんなに意地悪なのに……どうして、もっと好きになるのかな。
◆
顔の火照りは完全に収まってはいないものの、その場にしゃがみ込むのはさすがに迷惑だと思い、仕方なくハル君の後を着いて行くことにした。
途中何件か本屋を見つけては駆け寄ろうとする本心が丸出し状態のハル君を抑えながら、どんなプレゼントがいいかと、話し合いをしながら歩を進める。
まずやって来たのは、1階にある花屋さん。やっぱり誕生日のお祝いって聞いて、真っ先に浮かぶのはお花だよね。特に! プレゼントの定義を知らないハル君にとって、これ以上打ってつけな場所はないと断言出来る。
「いらっしゃいませー」
店員さんからの声かけを聞き、意外も意外、ハル君から先にお店の中へ入った。
「確かに綺麗だな。でも、何で花屋なんだよ」
「優衣ちゃんだったらお花喜ぶと思って。この間、優衣ちゃんが花瓶に花生けてるところ偶然見かけたから」
「……よく見てるんだな」
「そりゃあ、一応家庭教師とその生徒って関係だし。まぁその前提として、ハル君が大事に思う妹ちゃんだからね!」
というよりこの口ぶり……優衣ちゃんがリビングで生けてた花の存在知らなかったな?
まったく……。兄妹であるはずのハル君より、お隣さんの私の方が知ってるってどういうことよ……。さすがにもう少し周りに関心を持った方がいい気がする。
でもこれでよくわかった。――ハル君がどれだけ周りに目を
「まぁそういうこともあるからここに来たわけ。ハル君だったらどれを贈りたい?」
「優衣が生けられる花だろ?」
「別にそれだけに視点を向ける必要はないと思うよ。例えば、これとかは?」
そう言って、私は花瓶から1輪の花を手に取る。
取り出したのは、アルストロメリアの花。白を基調とした豊富なバリエーションがあることからプレゼントとして贈る人は多い。私は白派かな。
「その心は?」
「優衣ちゃんの誕生花だから、かな。安直な理由かもしれないけど。でもアルストロメリアって花もちもいいから、結構人気あるんだよ?」
「ふーーん……」
その微妙な反応の『うーーん』は確実に考えてないな。
選ぶ気があるのか、はたまた無いのか。そんなの、今気にしても仕方ないか。
「……誕生花、か」
おっ? 微妙な反応を返した割には結構気になったりしてる感じかな?
「そういえば、誕生花ってさ、どうやって決められたの? ハル君博識だし、その辺知らない?」
「……誕生花の由来とか、そういうのは国や地域によって違うらしいから、はっきりとした答えは言えない。ただ昔、ギリシア・ローマの人々は『自然界にはそれぞれを司る神様がいる』と信じていたらしい。そしてその考えは時代を超え、考え方にも工夫がされていった。次第に『時間や月日といった『時』にも同じように神様がいる』と、そう考えられるようになった。その2つの考えが重なって『各月に咲く花には、その月の神からのメッセージが込められているに違いない』という発想になり、そこから誕生花が生まれたとか何とか」
「……博識のレベルが相変わらずスゴいねぇ。最早人間ウィキ」
「やめろその言い方」
「ごめんごめん! 本心からの言葉がぽろっと、ね?」
「ね、じゃない」
ハル君は軽くため息を吐くと、私が取った花を取り、そのまま花瓶へと戻した。
あれ……気に入らなかったかな? まぁでも、あの花は私の独断で選んだやつだったし、何より今日はハル君自身が選ぶことに意味がある。
すると、私の考えを汲み取るかのように、ハル君は言った。
「……花も悪くないと思うけど、今年は無理だ。あいつの生活上と合わないし」
「どういうこと?」
「あいつ今受験生だろ? リビングにもご飯以外は滅多に降りて来なくなったから、そういう世話は結局僕がする羽目になる」
「やってあげれば…………って。なるほどね。そういうこと。つまり――花の世話をするのが嫌だと。面倒だと言いたいわけね?」
「……それも、一理ある」
寧ろそれしかないのでは?
まぁ確かに、ハル君が花の世話をしてるところとか想像も出来ない。今のハル君の判断は、ある意味正しかったのかもしれない。
本人がこんな感じでは仕方がないため、一旦花屋さんを後にすることにした。
その後も思いつく限りの店内を見て回ったものの、ハル君が納得出来る商品はなかった。
そして今は、通路に設置されたベンチに腰を降ろしていた。
さすがに1時間も歩き回っていれば疲れも溜まってくる。クラストップカーストなんて呼ばれているけど、実際のところ、最上位カーストにいる女の子達とそれなりの会話は(仕方なく)するけれど、ハル君以外に放課後を過ごした同級生はいない。
だからこうしてショッピングモール内を楽しく回ることにも慣れていなかったりする。
「……ねぇ。プレゼント、探す気ありますか?」
「無かったら人混みに紛れてとっくに帰ってる」
「それもそっか。じゃあ早く決めようよ! いつまでもここにたむろしてるわけにもいかないし。うっかりしてたらケーキだって買えないよ!」
「……もういっそ、ケーキをプレゼントにしないか? そっちの方が僕らしい」
「…………反論出来ないのが悔しい」
「だろ? よし、決まりだな」
何故か押し切られた私はハル君と一緒に店舗の一角、ケーキ屋へと足を運んだ。
1店舗構えるお店とは違い種類は少なめだが、棚に並ぶケーキは魅惑を感じられるものばかり。ショーケースの中には、ワンホールから切ってあるものまで。ざっと15種類のケーキが並べられていた。
色映えがとても鮮やかであり、中にはもう5月に向けてのシーズンケーキまでもが販売されていて、見ているだけで大満足すぎた。
これは……甘いものが好きな人にとっては、堪らない場所かも。
現に隣では、中腰状態でショーケースの中を眺めるハル君がいる。その目は、まるで幼い子どものような――純粋さに溢れた瞳をしていた。普段のハル君からは想像も出来ない姿で、なんか……こういうハル君も悪くないかもしれない。
暫くショーケースの中を眺めていたハル君だったが、スマホを取り出して優衣ちゃん当てにメッセージを送っていた。
そしてその返事は即座に返ってきた。
「ケーキ、優衣ちゃんからのリクエストとかあった?」
「いや――『任せるっ!(絵文字付き)』って。それだけだった」
さすがはハル君の妹……肝心なところは手抜きなところ、本当にそっくり。
「そうだなぁ。だったら、無難にショートケーキにする? それとも、チョコケーキ?」
「ワンホールはデカすぎだろ……」
「ちょっと? まさかとは思うけど、2人で、何て思ってなーい?」
「えっ……。なに? お前も来るの?」
「お隣さんだもん、当たり前じゃない! それに、私がそっちに行かないでいつ優衣ちゃんに誕生日プレゼント渡すと思ってるの?」
「……わかった。わかりました。ワンホール……の、少し小さめでいいか?」
「許す!」
「……ったく。すみません」
店員さんに自ら声を掛けにいったハル君が非常に珍しいと思ってしまった。失礼かな。
ショーケースの中から選んだのは四号サイズのフルーツケーキ。みかんにリンゴ、キウイやマンゴーなどなど……多種なフルーツが盛られたケーキだった。
またもや珍しいものを見てしまった。……フルーツケーキを選ぶハル君の図。
私の瞳には不器用ながらもケーキを注文するハル君が映る。
いくら“根暗ぼっち”だろうとも、誰かと話すコミュニケーション能力が欠けているわけじゃない。じゃなきゃ小説なんか買えないし、お店の中に率先して入ることも躊躇うに違いない。
とはいえ、中身が少し暗めなのは揺るがない事実なのかもしれないけど。
……今にも時々、不思議に思う。ハル君のことを好きになったことを。
だけど、私は幼馴染で少し不器用で天然で……実はスゴく優しいハル君を――好きになってしまったんだ。
変えることも、覆しようもない事実。
普段は何を考えているのかよくわからないミステリアスな部分があるというのに、こうして私の前だと如何に可愛いかを見せてくれる。
学校内でも、電車内でも……あんなにもハル君の『特別』になりたくて仕方なかったというのに――こうして考えると、私は十分、ハル君にとって『特別』だった。
ただの自己解釈かもしれない。
だけどこんなにも嬉しくて、こんなにも泣きそうになるほどの喜びを感じてしまった今――私はもう、これ以上は望まない。
この胸の内に仕舞っていた本音は、そっと海の中へ投げ捨てようかな。誰も潜り込めない、深い深い海の底へ……誰にも、気づかせないために。
呼び方1つでここまで振り回されたのに、本当に呼ばれることになってしまったら……私のことだ。絶対にまた意識するに決まっている。
もっと、もっと――もっと、って。
私の独占欲がどこまで抑えられるかわからないけれど、そこは頑張ってみるしかない。
……これでいい。これで、いいんだ。
「待たせて悪い。って、どうした?」
「……ううん。何でもないよ」
あくまでも何でもないフリを
「…………」
「さぁて、ケーキも買ったことだし、さっさと帰ろ!」
「……あ、ちょっと待ってくれ」
「どうかしたの?」
意外な方面からのストップの合図に、私は思わず停止した。
「……少し寄りたいところがあるんだけど。帰る前にそこに寄ってもいいか?」
「なぁに? 本屋?」
「違う。……ただ少し、買い直しをしたくてな」
◆
「「ハッピーバースデー!!」」
その夜――私は宣言通りにハル君の家へとお邪魔し、一緒に優衣ちゃんの誕生日を祝うことにした。
帰宅し、準備をしてから優衣ちゃんをリビングに呼び、私とハル君は同時にクラッカーを鳴らす。狭いリビング内に響くクラッカーの強烈な音と紙吹雪、更に少し火薬の匂いが混じり合う。
私はともかく、ハル君は少し後悔したような顔をしてたけど、まぁいっか。
それよりも問題なのは優衣ちゃんの反応の方。
リビングに入ってきてからというもの、優衣ちゃんはその場で立ち尽くし呆然としていた。さすがにここまでのことは予想してなかったのか、少し気の抜けた顔をしてるし――というかこれ、まさかとは思うけど、自分の誕生日忘れてたとか……そういうオチじゃないよね? だって、しっかりケーキの確認とかしたはずだし……!
「……っは!! そっか。今日私の誕生日か……」
やっぱりハル君の妹だ……。
この兄妹、どこまでも似すぎてて怖さを感じる。
「さっきメッセージ送っただろ。ケーキ何がいいって」
「いや~、普通にデザート気分で買ってくるのかと思ってたからさ~。そっかぁ。だったらちゃんと注文付けとけばよかったなぁ……」
「今頃後悔すんなって。見苦しいから」
「それ実の妹に言う台詞かなぁ?」
「実の妹だから言えるんだろ」
そういうもんなんだろうか。きっと優衣ちゃんもそう思っているに違いない。
「優衣ちゃん。はい! これ、私から。お誕生日おめでとう!」
私は机の上に置いてあったプレゼントの包みを手に取り、それを差し出した。
完全に独断で決めちゃったプレゼントだし、余計なお世話……にはならないか。ハル君と違って、この子は性格歪んでないもんね。……時々、腹黒い一面はあるけど。
「あ、ありがとうございます! 開けてもいいですか?」
「どうぞ!」
「……これ、ピアス?」
「高校生にもなる前からは早いかなぁーとは思うんだけど、それ穴開ける必要がないやつだから、それだったら日常使い出来るかな? と思ってね」
「で、でもこれ、高かったんじゃ……」
「そんなでもないよ。一般的なアクセサリーショップで買ったやつだから。それに、今日は高校生に向けての第1歩だからね。遠慮しないで!」
「あ、ありがとうございます! 大切にしますね!」
にこっと、まるで天使が微笑んだかのような表情で笑顔を見せる優衣ちゃん。
血筋なんだし、ハル君も笑えば天使のような笑みを浮かべられるんだろうけど……
「それと――ハル君から」
「えっ……晴兄からもあるの?」
「……何だその目は」
私からのプレゼントを貰うときとは格別に違う、兄に対してのこの信用の無さよ。
まぁ、去年が去年なだけに、信用性が失われてしまっていても何も言えないけど……。
優衣ちゃんは「いやいやいや」と手を真横に大きく振りながら言った。
「だって、去年貰ったプレゼントとか活用的すぎて思わず叫んだもん。絶対また活用的しかないものでしょ……」
「実の兄に言う台詞か、それ」
「実の兄だから言えるのよ!」
……何だかこのやり取り、スゴいデジャヴ感があるなぁー。
やっぱり本質は兄妹だと改めて実感した。
「……安心しろ。人間は学ぶ生き物だ、同じ失敗を繰り返さないために日々努力し、実践する人間だっている」
「何の話よ……」
「……とにかく、とりあえず受け取れ」
「なに、これ?」
ハル君が優衣ちゃんに渡したのは、リボンで包装された小さな紙袋だった。
「いいから、開けてみろ」
ハル君に促された優衣ちゃんは、少し困惑しながらも紙袋を開封した。
その中身は――鈴のついた小さなキーホルダーだった。
去年のようなものだと期待していなかった優衣ちゃんにとっては意外な中身だったらしく、腰を抜かしていた。この兄妹、本当に見てて飽きないなぁ。
「キーホルダー……しかもこれ、勉学の祈願譲受のやつじゃん」
「その……今どきの女子中学生が欲しそうなものとか、僕にはわからなかったから。去年のこともあるし、まともなものを試行錯誤してたら、祈願譲受ならいいかと思って……」
そう――帰る間際に『寄りたいところがある』とハル君に言われて行ったところ。それが小物系を売っていたお店で、そのキーホルダーはそこで購入したもの。
……何か、才色兼備なハル君らしいと思ったのは内緒。
そんな私とは裏腹に、去年との格差が激しかったのか、優衣ちゃんは数秒間停止した。
気持ちはわかるよ。私も、ハル君がキーホルダーを買いに小物屋に入ったときなんか――『な、何を買う気なんだろう……』って心配になったし。だってそうじゃない? あの1時間、まともな案が出てこなかったくせに帰り際になった途端にあれだよ? ……さすがに、少し心配したよね。
そして、時が止まった優衣ちゃんは動き出した。
「……へ、へぇ~。本当に意外なものが出てきたね。今年はシャーペンかと思ってたよ」
それは、心の片隅に置いていた私にも同感だった。
「んなに信用ないか。だったら明日、ご所望通りに買ってくるが?」
「い、いい! 要らないから!」
いつもであればハル君を扱き使う優衣ちゃんだけど。今は、元の兄妹関係が戻ってる気がする。でも本来であれば、この図が当たり前なんだけど。
すると、改めて貰ったキーホルダーに視線を落とし、口元を緩めた。
「……ありがとう、お兄ちゃん!」
「……誕生日、おめでとう。優衣」
――羨ましいと思う。
こうやって、兄妹関係にある異性ならば、普通に会話出来て、不自然なく名前を言い合えるのだから。
決意はしたつもりだったけど……やっぱり、少し寂しいかな――。
「さっ! 早くご飯食べよ! ケーキ、ハル君が選んだんだから!」
「えっ、晴兄が選んだの? ……おかしいよ。晴兄、やっぱどっか頭打ったんじゃないの? 病院に行った方がいいよ!」
「実の兄に言う台詞か、それ」
◆
それから約1時間――いつもよりも長い晩ご飯の時間を過ごした。
夕食後に出てきたフルーツケーキを見て、またもや優衣ちゃんが「やっぱどっか頭打ったんじゃないの!?」と、普段ならありえない兄らしい行動に困惑していた。
頭をぶつけた可能性があるとすれば……行く途中の電車の中だろうか。
でも、ハル君の記憶力がそこまで異次元ではないと確信していた私は、少しだけ優衣ちゃんに悪ノリする形でからかった。
余計に怒られはしたものの、いつもより楽しいひと時を過ごせたと思う。
そんな時間はいつまでも続くはずがなく、あっという間に時は流れた。私とハル君は後片付けを。本日の主役はいち早くお風呂へと入った。
いつもであれば晩ご飯後は、部屋に真っ先に飛び込むって聞いてるけど、今日は早く寝るのかな。
「悪いな。片づけ手伝わせて」
「別にいいよ。私が好きでやってることだからね! それにここは、私にとっては第2の家族みたいなものだから!」
「それはそれでどうなんだ……?」
「さぁ~、どうなんだろうね」
私とハル君で洗う側と拭く側に分かれている。つまり今、私はハル君と台所で隣同士に並んで立っていることになる。水と洗剤、スポンジを使って食器を洗う私と、その横で無表情・無関心でお皿を拭くハル君。
……何かこうやってると、家族みたいだなぁ。
それに、さっきまで気にしていたことを吹っ切ったお陰か、さっきよりも落ち着いてハル君と“いつも通り”の会話が展開されている。
いつも通りの……幼馴染らしい会話。
そうだよ。たった1つ、それも呼び方ぐらいで嫉妬して……。ハル君にとっては、それが当たり前なはずなんだから。
――だから、これでいいんだよね。
気にしたって……どうせこれはただの自己満足で、ハル君には単なる無理強いでしかない。そんな思いをしてまで呼んでもらう名前は……私にはない。
「案外、喜んでもらえるもんなんだな。ああいう、ちょっと子どもっぽいものでも」
「だから言ったじゃない。優衣ちゃんなら、何貰ったって喜ぶって!」
「だな。一之瀬の言う通りになった。ちょっと悔しい」
「何で張り合ってんのよ……。それに、最終的にプレゼントの中身を決めたの、ハル君じゃない。私は、単にアドバイスしただけだよ」
「そうかもだけど……礼ぐらい、言ったっていいだろ?」
「皮肉込めた礼だったけどね」
ぷっと、私は軽く吹いた。
するとハル君は、照れくさかったのか頬をピンク色に染めていた。純粋に礼出来ないとか、本当にハル君らしい。
ありのままの……そんなハル君が、私は好き。
「……そういえばなんだけど」
「ん、なに?」
皿洗いの最中だったために、ハル君に視線を合わすことなくそのまま聞くことにした。
ハル君から疑問が出ること自体珍しい。そういう面倒くさいことには一切関わらない人だし、何かと頓着しないから、そういうのとは無縁だと思ってたな。
少しの間を置いて、ハル君は言った。
「――お前さ。最近何かあったか?」
一瞬――ハル君のその言葉に身体の神経が反応しビクついたが、何事も無かったようにすぐに手を動かした。
「…………。別に、何もないけど。どうしたの、急に」
「いや……お前ここ最近、ずっと僕と透の方見てたっぽいし、そのときの顔があんまり見たことないような顔だったから。何か、言いたいことでもあんのかな、と思って」
…………見られてた?
嘘……絶対バレないようにしてきたのに……っ!
いや違う。――これは気づいてるんじゃない。疑ってるだけ。
だったら……まだ、私の一方的なわがままで押し通るはず。私の一方的なわがままで、またハル君を縛るのは、絶対にダメ! あのときの二の舞になる……。もう、ダメだってわかってるから。――だから!
「……別に。見てたのは確かだけど……本当に、何もなくて――」
「その顔で嘘を突き通すのは、さすがに無理があると思うけど?」
「えっ……?」
「今、お前――誰かに悩みを打ち明けたいって顔してるし。何かあるなら言え。大した協力は出来ないかもしんないけど、隠されると余計に腹立つから」
――どうして。
――ねぇ、どうして。
どうしてハル君は……ただの幼馴染でしかないはずの私に、そんな真剣な目つきをしているの?
ハル君の目はまるで
他人のことはどこまでも他人事。それが、緊急時か否かも判断出来るからこそ、ハル君は他人との距離を一定以上に詰め寄らない。
中々信頼出来る友達も作らない。いや、違うな。作れないんだ。私のせいで――。
……だというのに。
ハル君は、私から全てを聞くつもりでいるようだった。
…………言ってもいいの? こんな、ただの一方的なわがままを。また、迷惑をかけることになるかもしれないのに……?
今私はどんな顔をしているのだろうか――泣いてる? 困ってる? ……それとも、懇願するような顔をしてる?
実際確かに、私は溜め込むことが苦手。いつまでも耐え続けるのが、とてつもなく嫌い。
だけど今私は、彼から逃げようとしている? 何も言わず、逃げている?
……いいんだろうか。言っても。
でも、いつもなら深入りしない彼が――こんな目をしていたら、もう引けない。どこにも逃げられない。そう、教えられているように思えた。
私はそっと静かに口を開いた。
「…………して。……どうして。……何で……何で、藤崎君のこと――『透』って名前呼びするの……?」
そして自然な形で――疑問が言葉として出てしまう。
「えっ、透? そりゃあ、あいつは友達だし……」
「……友達はよくて、幼馴染の私はダメなの?」
「一之瀬……?」
不安や劣等感。醜い嫉妬、零れ出る本音。
今、ハル君に言っていることは本音だけれど……私の中の、醜い部分でもある。
「嫌……嫌なのっ!! ハル君が藤崎君のことを『透』って名前呼びしてるのも、私だけ名前で呼んでくれないのも!! 私が……私自身を
投げ出した言葉は、そのほとんどが最早八つ当たりだった。
――自分には訪れない、好きな人からの愛称という証。
不安や劣等感、それらを今すぐにでも抹消したいはずなのに……本音で、本心で。そうやって認めてしまっている自分に腹が立つ。
そして……心が優越感に飢えていると知ったときの、自分の独占欲の高さに失望した。
……どうして言っちゃったんだろう。
……どうして心理から消えてくれないのだろう。
あまりにも自分が惨めで、掬い上がってくるものは全て醜い嫉妬が産んだ自己嫌悪――もう、隠すことにさえ疲れてしまった。枯れ果ててしまった。……私の、初めての叫び。
「…………」
ほら見なさい、過去の私。ハル君が困ってるじゃん。……だから、セーブしてたのに。
迷惑をかけることが、どんなにハル君を傷つけるか――もう知っていたはずなのに。この
それに、私の言い方にも問題があった。
いくら自己嫌悪に陥ったからって……こんなぶつけ方をする必要が、一体どこにあったというの? 言う手段だって対策だって、一言一句整理していれば、幾らでもあったはずなのに。……何で、それを口に出して言えないのだろうか。
……こんなにも溺れた自分が恥ずかしい。
こんなにも嫉妬する自分が恥ずかしい……っ!
――そんな後悔で
「………………あれっ?」
突如、温かく、冷たく、そして塩っぱいものが降ってきた。
雨漏り……なんてことはない。今日は1日中晴れだったし、ここ最近も雨は降っていない。
それに、凪宮家は雨漏りするほど古い建築物でもない。
……じゃあ、これって……?
「……おい、一之瀬?」
「……へっ?」
私はそのとき、必然に俯いたままの視線を上げた。それと同時に気づいた。
目の前に広がる広々としたリビングの景色が歪んで見えた。
そして何故か目元は熱く、そしてまた、私の手の甲に粒が落ちてきた。
――これって……私の、涙……?
目元が涙で溢れていることにようやく気づいたものの、私は思考が回らない。
とりあえず、目元を袖で擦るものの、涙は拭えば拭うほど止まらない。
醜さから溢れた――自分の哀れな欲望と、嫉妬から産まれた涙だ。
「……な、なん、で……涙なんか……」
「おい。そんなに強く擦るな、跡になるし目が腫れるだろ!」
「い、いい! 自分でやるから!」
見ないで欲しい……。これ以上、こんな醜い私を、見て欲しくなんか――。
「――渚!!」
瞬間、ハル君から聞いたことのないような怒声で、彼は私の名前を呼んだ。
……今、私のこと……初めて名前で……。
「……ごめん。お前が、そこまで溜め込んでるって気づかなくて……ごめん」
彼はそっと、私の目元を服の裾で触れる。
だけど今の私は――そんな現実よりも、起こった事実に驚愕していた。彼は何も触れてこないけれど……間違いなく、私は聞いた。
――はっきりと、ハル君の口から『渚』と呼ぶ声が……。
「………………そ……そんな、こと」
「……勘違いしないでほしいから言うけど、別にあいつを名前呼びしてるからって、お前を嫌ってるわけじゃない。あいつが、無理に言わせたから……その影響で呼んでるだけだ」
「そう……なの……?」
「ああ。それに、名前呼びにしてほしいなら言ってくれればいいのに」
「だ、だって……! ……ハル君のことだもん。絶対引いた目で見るでしょ……?」
「誰だその
私の、脳内でのハル君――それは、誰よりも落ち着いてて誰に魅了されることもない。“学園一の美少女”と呼ばれる私より、遥かに可愛い幼馴染。そして――私なんかよりも、断然頭がいい、私にとって唯一無二の、好きな人――。
「……まぁ、一之瀬のことだから絶対に言うわけないよな」
「う、煩い……っ!」
「お前って妙に頑固だよな。その上、執着するものにはトコトン執着して……。でも――絶対に欲しいと思う者には、わがままを言わない奴だもんな」
「~~~~~~~っ!!」
図星を突かれた。否、彼は知っているだけ。
確かに私は、大事にしたい・大切にしたいと思う人を困らせるようなことは、絶対にしたくない性格をしている。
現に『名前呼び』のことがそうだし、先日の『お泊り』のことだってそう。
たとえ出張だったとしても、それが両親の仕事で大事なことだから……「1人は嫌だ」と言えなかった。
「その溜め込む癖、いい加減に克服しろよ? じゃないと、今回みたいに気づいてやれないんだからな? まぁ、それがお前なんだし無理にとは言わないけど――僕にだけは、気を使う必要はないんだからな」
「……………」
少しだけ、彼は視線を逸らしてそう言った。
……ほら。普段は言わないことを言うから、そんなに真っ赤になるんだよ?
誰かを意図して助けることが少ないから、少しだけ照れてしまったのだろう。
そんな彼を見て、私はふっと小さく吹いた。
……なんだ。……そうだよね。
あのときのことがあるからって、無理に溜め込む必要はどこにもない。その証拠に、こうしてハル君は私のことをちゃんと聞いてくれた。提案までしてくれた。
――言ってみれば軽くなる。
かつて、小学校の頃の先生に言われたことが、今になってようやくわかった。偶にはこんな風に、他人の言葉を当てにしてみるのも……悪くない。
「……じゃあ、さ。試しに私のこと『渚』って呼んでみてよ」
「な、何だよ、急に……。それに、過去15年間も幼馴染やってきて今更呼び方変えるとか……恥ずかしいだろうが」
「『気を使わなくていい』ってハル君が言ったんじゃん」
「そ、そうだけど……それとこれとは話が違うっていうか、その――」
「頼めば呼んでくれるんでしょ?」
「お前なぁ……」
顔を腕で半分覆い隠しながらも、
「…………な、なぎ、さ」
「うん。くるしゅうないです……!」
「そうですか。それは大変結構でございましたね……」
この日――照れながらもハル君は、私のことを初めて名前で呼んでくれた。
お互いに恥ずかしくて、それ以上の会話は出来なかったけど……私にとって今日という時間は、おそらく一生忘れない。多分、記念日にしちゃうかも。
醜い嫉妬も、愚かだと思った感情も、全てを晒した行為だったけれど――この『嬉しい』という気持ちは、決して嘘じゃない。
まだ半分泣いている状態の私を、ハル君は何を思ったのか優しく抱き締めてくれた。
つい数時間前にも感じた、あの電車の中の温もりと似ているけれど少し違う……とても温かい胸元。ドクドク、と心臓の鼓動が聞こえていたけど、少しは意識してくれてるのかな? まぁでも言ったところで――「せ、性欲なんだから仕方ないだろ!」なんて言われるのは明白だし、言わないでおこうと思う。
――大切だから、私のことを覚えていて欲しい。
――大切だから、彼のことをもっと知りたい。
これは、そんな大事な契約を交わす儀式のようなもの。
いずれ、ハル君が私のことを「好き」だと言ってくれるまで――。
この温かい体温を肌で感じて……いつか、このときの気持ちを聞けるような関係になれたら――。いつか、本当のことをうち解け合えるようになるまで。
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