第28話 鳴り止まない拍手
「――わたしは、」
膝の上の拳を見つめていた晴香はようやく口を開いた。
「なんでもそうやって相談してほしかった。あなたはいつも自分ひとりで抱え込むでしょ。そして解決してからやっと話してくれる。家族に愚痴ってもしょうがないってよく言ってたけど、それって家族として正しいことなの?信用されていないってどれだけ傷つくか考えたことある?」
晴香が繰り返してきた「性格の不一致」という言葉の輪郭をようやく掴めた気がした。人として、妻として、何も共有してもらえない寂しさを何十年も積み重ねさせてしまった結果、晴香は「性格の不一致」という言葉を選んだ。
「わたしにとって家族って何でもシェアできる存在だよ。あなたと両親のことについては薄々気付いていたけど、どうしてわたしまで信じてくれなかったの?あなたはいつも大丈夫ってわたしを追い払ってきたけど、家族に心配をかけたくないってそんなに偉いことなの?あなたがコロナでマジシャンを辞めなければならなくなったときどれだけ悲しんだと思っているの?わたしと違って夢を叶えたあなたを誇りの思っていたよ。子供たちだってそうだよ。でもあなたはいつだってマジックのタネみたいにわたしたちには何も教えてくれなかった。わたしたちはあなたの観客なんかじゃない!家族なんだよ?」
言い返そうと葉介は息を吸い込んだが、結局そのまま静かにうなだれた。
葉介にとって家族は自分だけの劇場だった。すり減りながらも、彼らにたくさんの笑顔を届けることが役割だと信じてきた。だからこそ散らかった楽屋など見せるわけにはいかなかった。どんなに道化だウソだと指刺されようとやりきるより他はない。楽屋で疲れ果ててうずくまっている姿などさらすわけにはいかなかった。
でも、人を楽しませることはそんなに悪いことですか?
わたしの選択や人生を否定する人たち全員に問いたいです。
あなたは全力でたったひとりでも楽しませたことがありますか?
しかし葉介が本当に隠したかったのは、いつも拍手喝采に飢え、牙からよだれを垂らしている妖怪としての自分の姿であった。
子供の頃から親に徹底的に否定され、マジシャンという道を選んでからも「イロモノさん」としてなかなか目抜き通りを歩かせてもらえなかった。人に認められたい。感情を持ったひとりの人間として誰かの役に立ちたい。そのどうしようもない渇きに葉介は常に飢えてきた。
しかし笑顔や喜びを運び届けるということは、決して自分ひとりの犠牲だけでは足りない。誰もが寂しさを抱えて生きている。寂しさが明日を作り、人と人とを繋げる物語や世の中を作り出している。寂寞とは独りぼっちの状態のことではなく、人に囲まれながら誰にも居場所を与えられない痛みと苦しみのことだ。そこを救えない笑いや芸術など品のない冗談と変わらない。
夫として父親として、彼らに動揺を与えないよう葉介はたったひとりで荒波に耐えてきた。しかしそれは晴香にとって決して秘密を明かさないマジシャンそのものの姿であった。
夢を叶えている人を見ている方がいいの――。
晴香なりに思い描いていた葉介の隣という居場所を、葉介の責任感とエゴが追い出してしまった。 葉介は舞台で拍手を浴びる自分の姿に興味を示さない晴香をずっと苦々しく思っていた。コロナで活動ができなくなった時も、どうせ密かに喜んでいるのだろうとすら思っていた。
もちろん晴香の中にも変わってほしいという気持ちはあったに違いない。しかしそこに「彼から夢を奪ってしまったら」という苦悩があったことに、葉介は初めて深い後悔を覚えた。
「自分を救うことで精一杯で、誇りに思ってくれていたあなたの気持ちに気付けなかった。痛いとか苦しいとかもっとあなたに打ち明けていればよかった。本当にごめんなさい」
罪の重さに耐えられず、葉介は下を向いたままつぶやいた。
家族として、芸人として、誰ひとり救えなかった。観客が誰もいないことにも気付かず、鳴り止まない拍手の幻聴ばかりを追い求めていた。
消えてしまいたい――。
「話を聞いてくれてありがとう」と席を立つと、葉介は薄暗くなった自分の部屋へと引き上げていった。
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