第五話 世界は一つの牢獄である。
少なくともその典型を、ピラネージの一連の銅版画、「牢獄」シリーズに見る事が出来る。異様なまでに上方に伸び上がり、現実では有り得ない程巨大な、無限にも思えて来る、果ての見えない所まで続く、この無限回廊。
一つ一つの、これ又途方も無く巨大な建築物。螺旋を描きながら果て無く上昇して行く階段などが、所狭しと犇めき合い、正に牢獄その物が既に一つの世界と化してしまっている。
その中に在って、人々は、其の巨大に過ぎる存在に圧し潰され、心砕けて、自ら生きる気力を失い、行き場を失ったまま、ただ科せられる労役に勤しむだけの生きた自動人形と化して行く。
他の場所、此処ではない何処かを願ったとしても、それは無理な話。何故なら、牢獄の世界の外は、常に死の風が吹き荒れ、或いは、煉獄の炎の燃え盛る不毛の土地と化しており、人々は此の何処まで行っても変わる事の無い景観の世界でしか生きる術を持たない。
その事実が、徐々に人々の心を蝕んで行き、何時しか彼ら自身も気付かない内にその姿も心の在り方も、元の姿とは掛け離れた異形の者に変じて行く。
この、恐らくは無意識による警告、現実の世界が徐々に牢獄化して行く事態に危機感を抱いた者は少なくなく、それに対する在り方を模索した例が残されている。
例えば、ウィリアム・モリスの自然回帰。イェイツのケルト神話を通じての夢の世界への耽溺。ボードレールの耽美、倒錯への逃避。何れも方法は違えど、失われた(と彼等が感じていた)人間性の復活を目論んだ、必死の抵抗であった。
その試みが成功を収めたかどうかは別として、目の前の現実を前にして、架空の此処ではない何処かにそれを求めた事が、そもそもこの動かし難い現実としての牢獄の世界を認める形になってしまっているのは、何とも皮肉な話である。
今や、彼等の試みは、歴史的な出来事としての意味以上の物を持ち得ない。
今や個人の夢想だけでは避け得ない現実として、世界はその本質を変えつつあったのだった。
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