本編
1
2024年7月某日,警視庁本部。ーー
「火野さん、最近夏場になると
何かと話題な【水の】事故って
どう思います?」
唐突に地域部の警部補である
水凪俊哉は年上の部下である
火野竜也にそう聞いた。
「何ですか、水凪主任。藪から棒に…
そりゃ、未然に防げるものなら
自分だって防ぎたいですよ。」
そういう火野に水凪は
「そう、そうなんですよ。だから…」
と言いながら丸めていた
ポスターを広げた。
今月から小中高の夏休みが始まる
為、水凪は警視庁の広報課に依頼して
都内の市民体育館で特別講演会を
開く事を企画した。
「『みんなで水の事故を防ごう
2024』って何すかコレ?」
「決まってるじゃないですか、我々
警察官は事故が起きる前にこうして
未然に起こらないように日々の
活動を全力で知らせるんですよ、
この講演会で。」
この人の下に就いて早3ヶ月、
それより前は捜査一課に在籍していた
火野は人事部からの異動辞令を受け、
地域課という事件よりも事故を専門に
扱う部署へと異動となった。新しい
上司である水凪は態度こそ柔和で
穏やか、それでいてクールさを
持ち合わせているが如何せん、こういう
事案には思ったよりも上な思考で
行動力を発揮する。
彼が年下なのもあるが
少々やりづらさもある。
「…まぁ、堅苦しいタイトルよりも
こちらは学生さんは気にいると思いますね。」
「そうですね、では早速、課長に伝えてきます。」
言いたいことだけ言って水凪は
火野を残し、部屋を出ていった。ーー
2
火野は残された部屋でとある
人物の写真を眺めていた。それは
自身が地域部(ここ)に異動となる前に
とある災害に巻き込まれ行方不明となった
事件関係者の人物の写真だった。
「大友さん…」
時は遡り異動前日。ーー
火野は昔、自分が新人だった頃に
担当した殺人事件の被害者遺族の
女性に当時のお礼と共に
とあるお願いをされていたのだった。
「火野さん、大友を探して
くださいませんか?」
「大友…?もしかして大友拓也さん
ですか?あなたの婚約者だった。」
「えぇ、殺人事件が解決したものの、
その彼がずっと婚約を保留状態に
されたまま数年経った今年に
東京の奥多摩で起こった洪水に巻き込まれて
行方不明になったんです。」
涙ぐんで言う彼女に続けてゆっくりと
火野は問い質した。
「奥多摩警察署には?」
「それがまだ大友が洪水の後に
巻き込まれた後に行方が分からなく、
署の方に確認を取ったら未だに発見に
至ってないんです。でも、
必ず生きていると思うんです。」
「何故、そう思うんですか?」
「彼、気象庁が管轄する子会社に
派遣されてて毎日天気のニュースは
隈(くま)無く確認を取ってるんです。だから、
そんな不用意に巻き込まれた事は
有り得ないと思うんです。」
しばしの思案の後に火野は
大友の婚約者の女性にこう言った。
「分かりました。私は明日から
今いる捜査一課から地域課への異動と
なるので名刺を貴方に渡しますね。
何かあれば直ぐにこちらへ連絡を
ください。」
そう言って火野はその女性に優しい
笑みを浮かべた。必ず彼を探し出し、
彼女の元へ送り届けると
固く誓ったのだった。ーー
3
水凪の妻である滝宮圭子(たきみやけいこ)
は都内の市役所に勤める地域課所属の
市役所職員だ。彼女はクールで無口な夫
とは違いパワフルで明るく御年寄から子供、
果ては同性や異性でさえも魅了してしまう
カリスマ的な魅力がある市役所のアイドル的な
存在だった。この日もとある件で相談が
舞い降りた。地域課だけあって街のご意見番
的な側面があるのか本当に些細な日常の
相談事を滝宮に相談者は訪ねてくるのだ。ー
「滝宮さん、旦那さんってどんな人?」
彼女の同僚である職員のオザワタカコさんは
食事時の昼にいきなり聞いてきた。
彼女とは普段から滝宮は色々と
雑談をするのだが一度も滝宮の夫の話を
聞いてないからだ。すると滝宮は
「はい、一言で言えば
【真っ直ぐすぎる男】です。」
オザワはその紹介に対し
「あぁ、所謂熱血漢みたいな人ですね。」
と言ったがそれに滝宮は首を横に振った。
「全然、結婚して数年だけど熱い一面、
殆ど私に見せないの。」
滝宮のその紹介に益々
オザワは?〈クエスチョン〉マークを
強くした。ーー
4
水凪は馴染みのある
消防署へ単身、駆け付けた。
警察官を志す前はここも
高校在学時代に考えて
いたほどだった。消防署の
剣崎省吾(けんざきしょうご)
隊長が水凪を
見かけ声を掛けてきた。
「お久しぶりです,水凪警部補。
今日は何用ですか?」
「あぁ、剣崎隊長、実は…」
~※~
「なるほど、消防署の
広報の一環で火と水の事故の
発生防止を訴える講演会で
うちの隊員を数名、
引き連れたいんですな?」
「えぇ、本当に面目ない。」
そう申し訳なさそうに言う
火野に剣崎は甲高く笑い言った。
「何を言っとるんだね,火野くん。
君の頼みだったら無碍に断るわけには
いかんだろ。了解した,隊員数名を
本庁地域部に派遣とする。」
「ありがとうございます。」
こうして講演会の日取り
は滞りなく進んだ。ーー
5
暑さがますます高まっていく
7月下旬の某日。
愛妻の圭子に優しく眠りから
起こされた水凪は穏やかな顔つきで
洗面台へ向かい、顔を洗った。
「あぁ、もうご飯出来たんだ、
圭子さん。」
「君は私の料理の腕前を侮ってるね、
俊哉君。」
そんな微笑ましい朝のやり取りの中で
ごはん、みそ汁、焼けた鮭の切り身を
三角食べをし、水凪はなる早で食べた。
「今日、朝から早いの?」
「うん、午後から講演会だから急がないと。
ご馳走様でした。」
食べ終わった水凪はネクタイを時短で
首に巻き、それを圭子に締めてもらった。
「いってらっしゃい。」
圭子はそう言い水凪の頬に自分の唇を当てた。
「うん、行ってきます。」
お返しに水凪は圭子の額に自分の唇を当てた。
何ともまるで新婚夫婦みたいな
微笑ましいやり取りだった。--
6
警視庁と消防庁が共同
で主催する講演会が
始まる数時間前。ーー
多摩での洪水に巻き込まれ
行方不明となっていた大友に
似た男性が目撃されたという
情報が東京都心の交番
による報告が災害特捜本部
の火野の耳に入った。
火野の驚きにも似た表情に
水凪は優しい表情で
彼の肩を軽く叩きながら言った。
「行ってください、今日は私一人
で大丈夫ですから。」
そういわれた火野は
『え、しかし…』と言いつつ
「じゃあ、お言葉に
甘えさせて失礼します、主任。」
と言って部屋を飛び出していった。
「さてと僕も行きましょうかね。」
コーヒーを一杯飲んでから水凪は火野の後に
部屋を軽やかに退室した。--
7
剣崎隊長の要請で水凪の助手
で来た若き消防官の
福留壮介(ふくどめそうすけ)は講演会という
自分には一生縁がないと
思われていた催しに緊張感が
迸っていた。
「福留消防官、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫であります!」
全く大丈夫と言えない緊張具合に
水凪は若干呆れつつ優しく言った。
「大丈夫です。私もこのような
催しの会は初めてですから
気負わずに行きましょう。」
福留はその言葉に安心した。
「はい、ありがとうございます。」
初めてとは思えないコンビの
息の合った一場面だった。ーー
8
火野は心の中で遂にこの日が
やってきたのだと心底に喜んでいた。
やっと自分を苦しめていた足枷となる
過去を払拭できるのだと安心していた。
大友が発見された場所は奥多摩から
数キロ離れた東京都心で発見された
という交番からの情報で明らかなっていた。
大友が保護されたとある交番で
火野はやっと彼と対面が出来た。
「大友さん、やっと見つけましたよ…。」
すると大友の口から信じられない
言葉が出た。
「あの…どちら様ですか?
どうして私の名を」
「えっ、大友さん?」
しばらく交番内で火野と大友の対峙が
短くも長く彼らは感じていた。--
~※~
大友の身柄を交番から警察病院に
移した火野は彼の担当医に聞いた。
「先生、大友さんは一体…。」
「はい、恐らく奥多摩での洪水の際に
頭部を強くどこかで強打した事による
逆行性健忘症、一般的に言う所の
記憶喪失でしょう。しかし幸いにも
自分の名前とこれまで経験してきた
事と知識に関しては何の問題もありません。
ただ…」
「ただ?ただ何ですか?」
「あなたを含めた大切な人に関する
記憶を失っています。」
「それじゃあ、婚約者の方もですか?」
「恐らく…そうでしょう。」
火野は数分前に感じた希望が
一気に絶望へと変わった。--
9
同じ頃、水凪が行っていた
講演会は滞りなく進み、終わりが
見えてきた頃、本庁の災害特捜本部に
気象庁から届いたダイレクトメッセージで
台風4号が都心に近付くという情報が
水凪のスマホに受信され、彼は急いで
本庁がある霞が関へタクシーを走らせた。ーー
~※~
火野にもその情報が同時期に届き大友に
後ろ髪を引かれるも彼は本庁に帰還した。
「火野さん。火野さんにも届きましたか?」
「はい、大友さんは、彼には申し訳ありませんが
各省庁と連携を取る為に本庁に戻ってきました。」
「そうですか…、まずは消防庁の剣崎隊長と
合流をしましょう。まだ近隣の体育館への避難
が完了していない都心の住宅街に住民がいないかを
確認しに行きましょう。」「了解。」
水凪と火野は本部で充電していた
トランシーバー、小型無線機を手に取り、
雨具を身に着け部屋を出た。--
~※~
「剣崎隊長、状況は?」
「あっ、水凪警部補、いえ、まだ
ここに避難してきた住民は半数しか
おらず、避難勧告が届いてない近隣の
農村地域の住民がまだここに
集合しておりません。」「そうですか…」
すると水凪はある事に気付き聞いた。
「そういえば市役所職員の
滝宮圭子さんは…、いえ、あの
私の妻はここに来ていますか?」
「はっ、そういえば数分前に避難住民の
ご家族の依頼でまだこちらに来ていない
避難住民を探しに外へ出ていきましたが…」
それを聞くと水凪は不安に駆られつつも
剣崎に冷静に指示を出した。
「剣崎隊長、ここに避難してきた住民が
再度、外へ出る事ないように拡声器で
支持を促してください。」
「はい、わかりました。水凪警部補は?」
「私は妻と避難住民を助けに行きます。」
そういって水凪は瞬く間に体育館を出た。--
10
圭子は恐らく【あの場所】にいると確信した
水凪は途中で足を挫きそうになりつつも辿り着いた。
「圭子さん!」「俊哉君…」
圭子が立ち寄るであろう市役所の受付に
心配で堪らなかった水凪は圭子を
ぎゅっと強く抱き締めた。
「よかった…、圭子さん、無事で。」
「ごめんね、俊哉君に心配かけてしまって…」
「何を言ってるんだ、心配かけていいんだよ、
僕は圭子さんの夫だよ。」
「俊哉君…、ありがとう。」
水凪はすぐに切り替え、圭子に聞いた。
「ところで圭子さん、ここにいるってことは…」
「うん、私の同僚の息子さんがいるはずなの…」
「同僚の息子さん?名前は?」
「小沢昭介君、小沢貴子さんの息子さんで
小学3年生なの。」
「分かった、探そう。」「うん。」
水凪と圭子は大声で市役所内で昭介を探した。
すると圭子は彼が母親の机付近にいると
思いそこを探した。すると案の定、昭介を
発見した。彼はかなりずぶ濡れで
低体温症に近い身体の状態だった。
「俊哉君、いたわ、昭介君が!」
水凪は俊足で圭子と昭介の前に近付き
持参してきたバッグの中に入れていた道具の中に
入れていた未使用のタオルと温かいホットミルク入りの
水筒を出し、タオルで彼を包み、水筒のコップに入れた
ホットミルクをゆっくりと昭介の口へと運ばせた。
それを飲んだ昭介はゆっくりと息を吹き返した。
「よかった…、ありがとう俊哉君。」
「ううん、圭子さんが彼を見つけてくれたおかげだよ。」
するとそこへ火野と福留が三人の前へ現れた。
「大丈夫ですか!?主任。」
「はい、ありがとうございます、火野さん、福留さん…」
五人はそのまま嵐が止むまで市役所に雨宿りしていた。ーー
~※~
翌朝、台風4号は去り、東京はいつもと変わらない快晴で
朝を迎えていた。
「長かった夜が明けましたね、主任。」
「そうですね、火野さん。」
ふたりはお互いに顔を見合わせ、
いつの間にか笑顔になっていた。
するとそこに火野へ病院から連絡の電話が入った。
「えっ、大友さんの記憶が…、戻ったんですか?」
二人は急いで警察病院へとそのままタクシーを
走らせた。--
~※~
病院へ着いた水凪と火野は大友がいる病室へ
二人同時に入った。
「大友さん、記憶が戻ったんですね。」
「火野さん…、私…ーーしたんです。」
小声でいう大友に火野は笑顔で聞き返した。
「はい、何をおっしゃってるんですか?
もう少し大きな声でお願いしますよ。」
「私…、人を殺したんです。」
その言葉に水凪と火野は
衝撃と戦慄を受けた。
火野がずっと探していた人物は
とある殺人に関わっていたのだった。
すると水凪は何故か不敵な笑みを
浮かべていた。--
THE END
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