第6話 民宿の夕食 宿泊客達と話す

木製のどっしりしたテーブルの上に並んでいるのは、夏野菜の浅漬け、新鮮なトマトと胡瓜の色が美しいサラダ、玄米のピラフ、梅干しや昆布の入った白米のおにぎり、焼き魚、魚のフライ、貝の味噌汁、卵焼き、野菜炒めなど。

取り皿が置いてあって、来た人から勝手に食べていいということなので、梢は少しずつ取り皿に入れて食べ始めた。

せっかくだから全部の料理を食べたいと思い、一種類の物の量は少しずつ。

料亭やホテルの料理のような豪華さや、凝った料理珍しい料理はは一つもないのに、どれも素晴らしく美味しかった。

海が近い事もあって新鮮な魚介類が豊富で、野菜も裏で作っていたりするから新鮮なのだろうと梢は思った。

材料が良ければ、むしろシンプルな料理法や味付けの方が素材の味が生きる。

今朝のカフェでのモーニングといい、ここの料理といい、何でこんなに美味しいのか。美味しいだけでなく、食べると身体中に活力がみなぎってくるように感じられる。

梢は、田舎にいた頃に祖父母が作ってくれた家庭料理を思い出した。

素朴で力強い食物の味には、きっと食べた人を元気にしてくれる何かのパワーがあるに違いないと思う。

そういえばここの食器の感じが、今朝行ったカフェで見た物と似ている。

そんな事を考えながら食事を楽しんでいると、今日の昼間会った男性が食堂に入ってきた。


ここで一緒に食べる人の一人が、今日会ったばかりとは言え顔見知りなのは嬉しかった。

そのすぐ後に、今度は女性が一人食堂に入ってきた。

背が高く細身で色が白く、ベリーショートの髪が良く似合うその女性は、化粧っ気もないのにとても綺麗でどこか中性的な魅力があった。

今日ここで一緒に食事をする三人が揃ったところで誰からともなく一応自己紹介が始まった。

そういうば男性の方とは今日話したけれどお互いに名前も知らなかったと、梢は今になって気がついた。

名前を知らなくても話は弾むわけだし問題はなかったなと、今日昼間のことを思い出した。


男性の名前は慶といって、年齢は30歳。

言葉のアクセントが関西弁で最初から親しみを感じた通り、住所は奈良だった。

女性の方の名前は薫と言って、去年、東京からこの近くに越してきたということだった。

薫は37歳。梢にとっては二人とも知り合って間もないし、自分よりけっこう年上だったが、なぜか緊張することもなく気を使うこともなかった。真ん中に置いてある料理も、誰からともなく直箸で取り始めた。

別料金を払えばアルコールも飲めるので、慶と薫はビールを飲んでいる。


自作のアクセサリーや鞄を作って売る事で生計を立てている薫は、東京から旅行でここを訪れたのをきっかけに、この近くに越してきたとのことだった。

東京へ行ったのは社会人になってからで元々出身は関西なので、この辺りに住むことには抵抗はなかったと言う。

「育ったのが田舎だったから東京ってずっと憧れだったんだよね。だから一回は住んでみたくて。でももう十年も住んだからいいかなって」

梢は、自分も都会に憧れて京都に出てきて暮らしているのでその気持ちは分かった。

「昔田舎に居た頃は、田舎ってあんまり好きになれなくてね。何か近所の人が皆んな知り合いで噂話とか多いし、自分のやってること何でも知られてる感じなのよね。どこどこの誰々がどこの大学に受かったとかどこの会社に就職したとか、誰が結婚したとかしてないとかうるさいんだよね」

それも分かる分かると梢は大きく頷きながら聞いていた。

梢の育った場所でも、やはりその点は同じだった。

田舎のいい所は、自然の景色が美しく空気が澄んでいて、車の排気ガスや騒音、人混みのストレスが無いこと、事故や犯罪などが滅多にないこと。子供の頃からずっと田舎にいるとそれは当たり前なのだが、都会に出て暮らすようになり、たまに帰ってみるとその良さが分かる。


慶は、高校で教師として働いていたが春に仕事を辞めて、今は家庭教師のバイトなどをして暮らしていた。

生徒達にも無理を強いる感染対策が始まった時に、ここには居られないと思ったと言う。

今の世の中では、ほとんどの職場がそういう状況なのだ。

そこで働いている限りはその方針に従うか、さもなければ辞めるか、この二択しかなかった。

梢は、自分の働いていたカフェがどれほど恵まれた場所だったのかを改めて思った。

マスターやママや唯、常連のお客さん達の顔を思い出すと、辞めたことを後悔しそうになる。

でもそれも自分で決めたことだ。

世の中の今の状況にうんざりしているのは梢も同じなので、慶が安定した仕事を捨てた気持ちも本当によくわかった。

ただでさえ、訳の分からない規則が多い学校という所はあまり好きではなく、早く社会人になって自分でお金を稼ぎ自由に暮らしたかった。


今日初対面の慶や薫とすぐ意気投合して話が弾むのは、ここにいる人が皆共通して持っている意識、それがすごく近いからだと梢は感じた。

京都では、マスター、ママ、唯さん、あのカフェに来ていた常連のお客さん達。

あの空間だけは、外の世界と違っている感じだった。

梢がその話をすると、二人ともすごくいい環境だねと言って楽しそうに聞いてくれた気を使って辞めてしまったのは残念だけど、その状況ならまた戻りたければ戻れるでしょうとも言ってくれた。


「今はほとんどの人がテレビの情報信じてるとしても、中にはそうやない人もいる。まだ希望あるやろ」

慶がそう言って、梢も薫もそうだねと同意した。

「この近くはね、何かそういう人が多いみたいなんだよね」

この近くに引っ越すことを決めたいきさつを、薫が話した。

最初は数年前に一度、同じ関西出身の同級生の紹介でここを知り、一泊だけの旅行に来たことがきっかけだった。

一度来ただけでここが大好きになり、だんだん宿泊日数を増やしながら毎年訪れ、一昨年は一ヶ月滞在。

その時にはもう引っ越しを決めていた。

一昨年まではデパート催事やイベントでの販売が多かったので東京にいるメリットもあったが、オンラインで注文を受けて発送する形がほとんどになった今は東京にいる意味もなくなった。

なので住みたい場所に住もうと決めたという事だった。

「東京より家賃もずっと安いしね。何かここは、普通の田舎と違うって言うのかなあ。私が昔感じたような煩わしさは全然無いんだよね」

環境がいいとか安く暮らせるなどの田舎に住むメリットはありながら、隣近所からの干渉という煩わしさが無いならそれ以上にいい事はない。


薫の住所はここから自転車で20分ほどの借家で、越してきてからもここに時々数日間泊まるのは、ちょっとした贅沢、息抜きだと言う。

梢は、そんな生活が心底羨ましいと思った。

慶も、仕事を辞めようと決めたあたりからこの近くへの転居を考えていた。

オンラインでの仕事と、この近くでも出来そうな仕事を何か考えて、来年には引っ越すかもしれないと話した。

薫も慶も、自分一人で出来る職業を持っている。

「ええなあ。私は自分で出来ることってなんも無いし羨ましいわ」

ひがんでいるわけではないが、正直な気持ちだった。

「出来ることなんも無いってカフェで一年も働いてたわけやろ?」

「そやけど雇われやし」

「関係ないって。俺もつい最近まで雇われやったけど自分のやりたい方向に行くって決めたら何とかなる。それは皆んな一緒や」

シンプルに考えれば、誰もが自分の得意なことを提供し合い、暮らしていくということが出来るのではないか。

二人の考え方はその方向らしく、色々話しているうちに梢は元気が出てきた。

ここで働く人達も、ここに泊まっている人達も、素朴で美味しい料理も、ここでの会話も、全てが明るいエネルギーに満ちている。


最初見た時はちょっと量が多いかなと思った料理は、三人で綺麗にたいらげてしまった。

真夏でもこの時間になると外はけっこう涼しく雨も降っていないので、三人は飲み物だけを持って外のテーブルに移動する。

ここも自由に使っていいらしい。

外に出て見上げると、空に散らばる星と綺麗な半月が見えた。


さっき三人が食事をしていた場所と、もう一つ奥のスペースはつながっていて、スタッフのための休憩所、さらに奥の厨房まで全部オープンだった。

この造りもなんか好きだなあと、梢は思った。

振り返って食堂の奥の方を見れば、ここのスタッフ達も片づけを終えて手が空いたようで遅めの夕食中らしかった。

オーナーの喜一とスタッフの若い二人の、話し声と笑い声が外まで聞こえている。

三人とも声が大きいので話している内容まで丸聞こえだったがったが、いつもの事らしく慶も薫も気にしていない様子。

別に静かなのを求めてもいないのだろう。それは梢も同じだった。

皆が仕事を楽しみ、日常を楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。

それがむしろ心地よかった。

そんな人達の作る料理だから、食べた人を元気にするパワーがあるんだろうなと梢は思う。

三人の側には犬のファルコンの姿もあり、どこから来たのか他の犬が一匹、猫が三匹居た。

今朝のカフェでもそうだったがここの動物たちは、どこでも自由にウロウロしているらしい。

梢が育った田舎でもこれに近い感じがあったので違和感はなく、見ていると懐かしい気がした。

この夜、三人は眠くなるまで’話し込んで、それぞれ好きな時に適当に部屋に戻った。


時計を見るのをそういえば忘れていたと、梢は次の日になってから思い出した。

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