第27話② そんなの、ゆ、許さないから

「どうしよっか?」

 迷う時間はあるが、しかし早く決めねば昼の時間が迫る。そうなれば店が混みだし、ついには行列が出来て空腹を堪えながら待つしかなくなる。されど慌てて決めるのも宜しからずで、慌てて選んだ店に限って美味しくないのだ。

 お昼ご飯の選択は極めて難しいのだ。

「そ、そうっ! なら、私が……わ、私が決めるわ」

 二人の顔を交互に見ていた静奈が急に言いだした。

「この近く、知ってるお店あるの。案内してあげるから、しっかり感謝してね……しなさい、しろ、して下さい?」

 多分きっとそれは自分の美味しいと思った店を紹介できて嬉しい気分なのだろう。静奈は手の甲を口元に当てながら言った。威張っているつもりらしいが、嬉しそうな様子が見え見えだった。

 いろいろ言いたい事は頭の中にある。あるがしかし、慎之介はそれを言葉として出すまでの整理がつかなかった。

「あー、それはどういう店かな」

「は、母とよく行く。父も美味しいって褒めてた。私も、そう思うの」

「場所は?」

「近くのホテルにある。場所は……分からないけど、けど大丈夫。だ、だっていつも車まで迎えに来るから。連絡すれば迎えに来てくれる、と思う」

 各所の美食を口にして舌が肥えてい筆頭家老が美味いと言う店で、お出迎えまでしてくれる店だ。格式高き高級店だろうことは想像に難くない。

「お兄、お腹空いたー。あたし、もうどこでもいーから」

 通路の脇に突っ立っていると、じろじろと露骨に見られる。女子高生ぐらいの少女二人だけでも目立つのに、それに年齢のいった男が一緒なのだ。どういった関係かと興味を掻き立てられる者は多いらしい。


「その店、ちなみにお値段は?」

「ういっ? 大丈夫、お金は必要ないんだから」

「……やっぱり、そういう店か」

 格式のある高級店は店で会計をすることはない。代わりに後日請求書が送られてきたり、または勝手に引き落としがされる。そういうものだと小耳に挟んでいた。

 お嬢様である静奈はそこまで把握していないのだ。

「どこか他の店に行こう。それに僕が払うから」

「そ、そう? な、なら。これ渡しておくから払って」

 静奈は小さな鞄から札束を取り出した。帯封がされているので、まず百枚あるだろう。周りは大勢が行き交い、札束に気付いて凝視していく者もいた。

「必要ない。しまってくれるか」

「うぇっ!?  ど、どうして……っ!? も、もしかして。もう私、用済み。捨てられる……の? 私、もう要らなくなった?」

「違うから、それは」

「な、なら……このお金……全部あげる、あげるから捨てないで。お願い、捨てないで。そんなの、ゆ、許さないから」

 ようやく慎之介は成瀬家老と似た不安を抱いた。

 この静奈はちゃんと見張って注意しておかねば、将来変な男に貢ぐだけ貢いで大変なことになりそうな気がする。

 ただし気にすべきは将来でなく今だが。

 通りかかりの人が足を止め、野次馬となって見だしていた。凄く居心地が悪い。なぜだか野次馬たちは慎之介に対し冷ややかな目を向けてくるのだから。

「はいはい、静奈はそれを仕舞って落ち着こうよ」

 陽茉莉は深々息を吐いて、険のある目つきで辺りを見回した。両手を振り回して威嚇すると、ようやく野次馬たちは散っていく。

「とにかくさ、他の場所行こうよ。ここはもう駄目でしょ」


 そのとき慎之介は良い考えを思いついて手を打った。こんな時に頼る相手がいるのはありがたいことだ。

「そうだ、咲月に良い店を聞いてみるとしよう」

「お兄、それ止めて。本当に止めて。どうしてそんな発想出てくるのよ」

「そりゃ咲月なら、若い女の子が好む洒落た店を知ってるだろ」

「うぁー、この発想。自分の考えがおかしいって気付いてよ。それ全方向に喧嘩売ってるのと同じなんだよ」

 陽茉莉の眼差しは、意味不明な言葉を発する人を見る目だ。

「どうしろと?」

「あたしが探すから。お兄は……そっちをお願い」

 軽く指し示された先で、静奈が肩を落としている。これを宥めるのかと思うと慎之介こそ肩を落としたい気分だ。ただ、そうした宥め役も陽茉莉相手で経験を積んできている。

「あー、いいかな?」

「な、なによ。どうせ私なんて用済み……つ、都合の良いときだけ利用して、陰でいろいろ言うんだ。もう、いい。知らない」

「今までそういうことがあったんだな」

「……うぃ」

 静奈は悲しそうな顔で呟いている。

 家老の娘であれば何不自由なく恵まれた生活に違いないと、疑うこともなく思っていたが、改めて考えてみるとそうではないかもしれない。

 地位や権力を気にするのは大人たちで、その大人が静奈に気を使えば子供は拗ねて嫌がらせをする。しかし成長すれば、今度は小賢しく露骨に媚びたりおもねったりしだす。

 ――辛かったろうな。

 そういった環境の中で、静奈がどれだけ傷つき哀しんできたのか。想像した慎之介は父性や母性ならぬ兄性が掻き立てられた。


「大丈夫だ、僕は違う。静奈を見捨てたり裏切ることのない味方だ」

「ぅあ……で、でもどうせ私なんて……」

「私なんて、なんて言うんじゃない。静奈は良い子だ」

「はぅぁぁっ。そんな、そんなこと言うな、言わないで……言わないでください」

「もっと自分に自信を持つといい、静奈はとても素敵な――」

 その時だった、慎之介が頭に衝撃を受けたのは。

 振り返ると背伸びした陽茉莉が、丸めたパンフレットを手にしている。それで叩かれたらしい。もちろん陽茉莉相手に怒ることはありえない。ただ文句は言う。

「いきなり酷くないか」

「どうして悪化させるようなこと言ってるの!?」

「悪化って何だよ。静奈の事を思ってだな」

「この分っからんちーん! 馬鹿馬鹿馬鹿、お兄のたーけ!」

 普段はあまり使わないお国言葉を陽茉莉が使うので、どうやら自分が相当悪いことをしたらしいと慎之介は悟った。だが、何が悪いのかは理解できない。

「分かった、分かったから落ち着け」

「お兄は分かってない、分かってないのが一番問題なの!」

「そうか。よしっ、気をつけよう。それより店が決まったなら、行こう」

 これ以上見世物になるのは勘弁こうむるため、慎之介は二人を促し歩きだす。

 陽茉莉はまだ文句を言っており、静奈は妙に御機嫌だったが、それもまた良いと思った。こうした日常も、いつか振り返れば懐かしい話になるに違いない。そんな時間を無駄にするのは勿体ないだろう。

 慎之介を先頭に、三人は名古屋の街の雑踏に紛れていった。

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