第18話② 何を目的にして何が大事とか

「ただいまー」

 玄関扉を解錠した陽茉莉は、誰の返事もない家に声をかけた。ふと思う所があり、中に入るのを待っている静奈に振り向いた。

「ちょっと待ってて貰っていーい?」

「うぃ? も、もちろん待つ。待てるわ、いつまでだって待ってみせる」

「うん、そこまで待たせないから。直ぐだから」

 言い置いて、まずは一人で中に入ってドアを閉める。静奈を外で待たせたのは、室内を確認したかったからだ。もちろん普段から整理はしてある。だが、それはそれとして何となく不安があったのだ。

 しかして、その不安は的中した。

「うがーっ! お兄ってば、畳んだ洗濯物が運んでない。チラシがテーブルの上に置きっぱなしだし! 新聞のたたみ方も雑だし! お兄の馬鹿馬鹿馬鹿っ!」

 そこに居ない兄に怒りながら、迅速に片付けていく。

 もちろん迅速であるため、まずは静奈に絶対見られないであろう場所。つまり浴室に放り込んでいくだけなのだが。

「よし完璧。以上、問題なし」

 出てもいない額の汗を拭い手を払う真似をする。外に出てみると、静奈は制服姿で砂利敷きの庭に屈み込んでいた。何か地面に手を伸ばしている。

「どしたの?」

 出て来た陽茉莉に気付くとバツの悪い顔であたふたする。

「うぁっ……カタバミ抜いておこうかと。ほら、増えると大変て言う、から。も、もしかして育てて、た?」

「えっ? いや、育てるわけないし。そんな事しなくていいのにって思っただけ」

「でも草抜き、落ち着くから」

 それは兄である慎之介もよく言っている。決めた範囲が綺麗さっぱりすると清々しいらしい。理解はできるが、あまりやりたくないのが陽茉莉の本音だ。

「お邪魔、します」

 家に入った静奈は勝手知ったるなんとやら、自分の本が置いてある部屋にそそくさと移動した。人を駄目にする系クッション――もちろん静奈が持ち込んだもの――に腰掛け目当ての本を読みだす。

 もう完全に静奈の読書ルームである。


 お茶を持って行くと、手だけが伸びて持っていく。ただし、陽茉莉の存在に気付いた様子はない。恐らくそれは幼い頃から従者に囲まれ、そうしたことが当たり前で育ったからに違いない。

 本を読んでいる静奈の姿は、学園で騒がれるだけあって綺麗だ。

 何となく見つめた陽茉莉だったが、自分も朝に一度は渡した本を読むことにした。友達と賑やかしく喋るのも楽しいが、こういった時間もなかなか良いものだ。

 しばらくして静奈が顔を上げた。

「ふう……」

 どうやら確認したいことが終わったらしい。それでようやく陽茉莉の存在と出されたお茶に気付き、ちょっとだけ慌てた。

「ご、ごめんなさい。ちっとも気付かなかった……」

「別にいいよ、お兄もそういう時あるから」

「そう、なるほど……そうなの……ね、ねえ。慎之介お兄さんについて教えなさい、教えて下さい……普段何して、何が好きか。何を目的にして何が大事とか」

「え? は? なんで?」

 陽茉莉は戸惑っていた。

 この新たに出来た友人は、もしかすると兄に好意を頂いているのかと勘ぐったのだ。しかし年齢が違い過ぎる。多分勘違いで大丈夫だろうが、万一の時は自分と同じ年の義姉が誕生する。それは現実的にも精神的にもキツすぎる。

「えーっと、なるほど。これはいろいろと対応に困るところよね」

 そんな懸念が陽茉莉の脳裏を駆け巡っていると、静奈は自分の発言の解釈に気付いた。顔を真っ赤にして手を振っている。

「ま、待って……違う、違うの……小説、新作のキャラのモデル」

「そうなんだ。小説って、そんなモブキャラまで、しっかり設定するんだね」

「モブ!? ち、違う。主人公!」

 静奈の説明によれば新作は侍バトルで、その主人公は普段は大人しいが裏では颯爽とした最強侍。ちょっと控え目で地味なヒロインとの恋愛を絡めるらしい。

「なんだか、そのヒロインって似てない? つまり静奈にだけど」

「そっ! そんなことない……違う、違うわ」

「ならいいけど」

 流石に小説に私情を盛り込むような、後ろ向きな考えはないだろう。そう納得する陽茉莉だが、微妙なわだかまりが消える事はなかった。


 玄関でガチャガチャと解錠の音が響いた。

 東日本が安全だったのも過去の話で、最近は家に居ても常時施錠することが常識だった。特に設楽家は兄妹の二人暮らしであり、一人でいる時は必ず施錠するよう、慎之介からは懇々と言われている。

 時間からして慎之介の帰宅だ。

 立ちあがろうとした陽茉莉だったが、それより先に反応したのは静奈だ。普段の鈍臭さはどこへやら、さっと立ちあがって小走りで向かった。

「お、お帰り……なさい。荷物、運んであげる。貸しなさい、貸して」

 玄関が開くなり挨拶をした静奈は荷物を受け取って居間にまで運ぶ。そんな事をする必要はないのだが、静奈はやると言って譲らない。

 陽茉莉は微妙に不安になった。

 だが慎之介を見たところ、どう見ても静奈を面白がっているぐらいの反応だ。むしろ、このお兄が意識しているのは咲月お姉に対してだろう。

 いろいろと人間関係が面倒くさい。

「はぁっ、やれやれよね」

「どうした、何かあったのか」

「別にぃ。お兄には到底理解出来ないであろう、複雑なる人間の感情に対して思いを馳せてるだけだから」

「なるほど。そうかそうか」

 何故か優しげな目を向けられる。しかも、さもこちらの心情を理解し見守っているような目をするので腹立たしい。

「なんか、その反応腹が立つんですけど」

「うんうん、そうだな。青春か」

「違うし!」

 鷹揚そうな素振りで頷く様子が、また腹立たしく陽茉莉は足踏みをした。そんな兄妹の様子を静奈は不思議そうに見ている。

「なに、どうした……の?」

「いや何でも無い。それより、もう遅い時間だ。送っていこう」

「送ってくれる……いいの?」

「もちろん。気にする必要はない。女の子を一人で帰すわけにはいかないからな」

「うっ、嬉しい。じゃぁ……送って。家まで、車で……送って……感謝してあげるから……だから感謝しなさい」

 すっかり嬉しそうな静奈の様子に陽茉莉は何とも言えない気分になった。静奈は良い友人だが、やっぱりいろいろ思う所はある。

「あたしも行くよ」

「そうか。それなら帰りに、どこかで食べてくるか?」

「駄目。今日あたしが食事当番だから、お兄はあたしの料理を食べるの」

「分かった」

 残念そうに肩を竦める慎之介の斜め後ろで、静奈が微妙に残念そうな不満そうな顔をしている。陽茉莉の悩みは尽きそうにない。

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