第15話① 困ったものね
「五斗蒔咲月です、局所的大量発生の幻獣を発見――目視だけでも百以上を確認、さらに多いかと思われます――座標は先程送信しました――四課、迎撃に入ります」
咲月は緊迫した口調の報告を終えた。
幻獣発見時は即座に尾張藩に報告、その了解を得た上で動く手順がある。了解がなければ、活動に伴う物品損傷や負傷死亡時の補償もされず、危険手当の付与もされないというわけだ。
山から湧き出した幻獣がやって来る。木々は揺さぶられ枝葉が散り、草や藪は踏み荒らされていた。緑や深緑を白の流れが蹂躙しているような光景だ。
「軽幻獣はコタマばかりのようです、まだマシと言うべきでしょうか……」
双眼鏡を構えた志野が目を凝らし呟いた。
幻獣の数は凄いが、イヌカミやテッソといった獣型と違い、人型をしたコタマばかり。移動速度が遅いため時間的な余裕があると言いたいのだろう。
「咲月様、本部はどのように?」
「近隣住民の避難を手伝い、幻獣を迎撃せよ。いつもの定型指示ね」
「かしこまりました。この付近の防衛拠点ですと
「そうね、私たちだけでは厳しいもの」
咲月と志野の会話を聞きつつ、四課の者たちは各自の判断で移動の準備を進めていた。もちろん慎之介も陽茉莉と静奈を最優先として車に押し込んでいた。
「うあー、お兄がいるけど。やっぱ危ないかなぁ」
「ちゃんと、ちゃんと助けてくれる。とっても強い、だから安心だもの」
「んー、そらそうだね。私もそれは思う」
後部座席に座らせた二人にシートベルトをするよう促しドアを閉めた。パニックにならず落ち着いてくれていることは嬉しいが、それにしても肝が太すぎだと思う。慎之介が辺りを見回していると、突如として山間部にサイレンが鳴り響く。
サイレンは危機感をかき立てる響きで三回鳴り、続けて放送が始まった。
『こちらは、尾張藩です。付近に、幻獣が、出現しました。近隣住民の方は、直ちに、安全な場所へ、避難、してください』
屋外放送特有の区切りで自動音声が流れた。そしてまたサイレンが鳴り、同じ内容の放送を繰り返す。元が道の駅だった場所なので、間近に放送施設が設置されていた。反響もあって五月蠅い。
「移動するよ、乗って」
やって来た咲月が助手席を指差し言った。
向こうで志野が不満そうな顔をしているのは、きっと咲月を心配して一緒の車が良かったからだろう。ただ部下に促され渋々と、向こうの車に乗っている。
「ほら、シンノ……うん、もういいよね。慎之介早く」
周りに誰も居ないため咲月は言い直した。
促された慎之介が助手席に乗り込むと車が動き出す。緊急事態であるのに、自動運転は安全に配慮した動きだ。どうにももどかしい。
「防衛拠点?」
「少し戻ったところよ。平成の大合併で町に編入された旧村庁舎、それを改造したものね。指定避難所として要塞化されてるの、合流して協力ね」
緊急時の避難施設は民間公共を問わず各地に存在する。しかし、こうした山間部で侍の到着が遅れる場所には戦闘用設備も積極的に配置されているらしい。
慎之介はヘルメットを外し、軽い唸りと共に眉を寄せた。
「合流はいいが……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
余計な事で不安にさせたくないので慎之介は黙った。
思ったのは、幻獣対策の実態についてである。幻獣との戦いは侍が行うが、その支援や補助を与力や同心や警官が行う。しかし都心部でも人員は限られた状況に、一般事務職の藩士が駆り出されているのが現状だ。
一般事務職も幻獣対策訓練は行うが、それは年に一回程度。整列して点呼を行う集合訓練を行い、通常業務が忙しいため殆どの者は直ぐ仕事に戻る。若手の一部が銃器類の保管場所を確認したり、マニュアルを見ながら装填や機器の取り扱い方法を確認したりする程度。
ここは山間部なので危機感を持ち、念入りに対策や訓練を行っているかもしれないが、しかし都心部と同じかもしれない。藩士として実態を知る慎之介には、不安しかなかった。
「大丈夫かね……」
時刻は夕方の三時を過ぎた頃合い。空は青く明るいが、山と山に挟まれた地域は少し気温が下がってきていた。
防衛拠点の東津汲振興事務所に行くと、直ぐ間近に迫る山、その斜面の途中の僅かな平場に古びた家々が疎らに存在する集落があった。建物周りは山陰のため薄暗く見えるが、谷を挟んだ真向かいの山の上半分が日射しを浴びて明るい。
明と暗を分けるような光の強弱がある景色だった。
しかし集落に人の姿はなく、犬小屋があっても犬一匹すらいない。
「駄目です、もぬけの空です」
辺りを確認し駆け戻ってきた志野の顔は険しい。目つきは鋭く唇を噛みしめ、怒りに震えた様子だ。
「周辺住居だけでなく、事務所にも誰も居ません」
「そう、そうすると確定ね。皆は避難したのね――藩士も含めて」
振興事務所の地下にあるシェルターに人々は避難したようだが、幻獣と応戦する事になっている藩士たちも一緒に行動したらしい。
「これは敵前逃亡ですよ、サボタージュです! 必ず厳罰を下してやります!」
「落ち着いて。それをするのは私たちではないわよ。私たちがすべき事は、幻獣と戦うこと。ううん、その前に生き延びる方が先かな」
咲月の言葉に志野を含め、特務四課の皆は不安な顔をした。
そこに陽茉莉と静奈を伴った慎之介が近づく。その表情は装備したヘルメットに隠され見えないが、歩き方だけで不機嫌さが分かるだろう。
「避難所には入れない。内部からロックされているし、緊急時のインターホンにも応答しない」
「そう、せめて二人だけでも避難させたかったのに。困ったものね」
「しかし予想の斜め上を行かれた。戦力にならない可能性は思っていたが、それすら居ないのだから」
「どうしてこんな事するのかな」
「どうして? いや簡単なことだろ。誰も来なくて監視もない。命懸けで戦うよりは、隠れてやり過ごした方が楽だろ」
慎之介の説明に、しかし咲月は小首を傾げている。どうやら侍として気高くあるため、小市民的な感覚が分からないらしい。
幻獣は銃火器で戦ったところで効果は薄く、しかし命懸け。されど守るべき住民は避難シェルターが充実して安全は確保出来ている。それであれば、侍が到着するまで持ちこたえられなかった事にして、最初から隠れた方が賢い。
それが普通の感覚だろう。
「集落全体が親類縁者なら、口裏合わせは簡単だ。残弾数のつじつま合わせや書類の修正など、小細工はいるだろう。だが、そんなの分かりゃしない」
慎之介であるシンノの言葉に、志野は納得が行かない様子だ。
「そんなこと許されません」
「許す許さないでなく、現実にそうなってるわけだ」
「うーっ! 絶対に許しません。服務規程違反に敵前逃亡、コンプライアンス違反! 絶対に糾弾して処罰します!」
どうやら志野は規則にうるさいらしく、手を握りしめて悔しがっている。
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