第13話① ありがと、来てくれて

『慎之介、今からでもいーい?』

 電話の相手は咲月だった。

 仕事中にかかってきた電話だ。藩庁舎の普請課は書類仕事が主のため静かであるし、こういったプライベート電話に興味津々となって聞き耳を立てる者がいる。

 だから出来るだけプライベート感を出さぬように返事をせねばならなかった。

「用件については承知しました。こちらに問題はないので、ただちに向かいます」

『どうしたの? 何かあった?』

「いえ、特に問題はありません。指定の場所に移動しますので少々お待ちを」

『もうっ、変な慎之介。それなら約束の場所で待ってるからね』

「承知しました、直ぐに向かいますので」

 通話を終えた慎之介が小さく息を吐くと、隣の席の風間が椅子ごと移動して身を寄せてきた。凄く良い笑顔で身を乗り出し、目をキラキラと輝かせている。もう見るからに好奇心一杯といった様子だ。

「どちら様からの電話です? なんだか親しそうでしたけど」

「いえ別にそんな事はないですよ、単なる連絡ですよ」

「惚けるに教えて差し上げましょう。その通話、音漏れしてます」

「……そうですか」

 慎之介はマジマジとスマホを見つめた。これだから機械というものは信用ならないのだ、と半ば八つ当たり的に思う。だが、今更どうしようもない。

「妹からですよ」

 適当に言い繕うが風間の良い笑顔は深まるばかり。

「本当ですかぁ、怪しいなぁ。当ててみせましょう、実は彼女でしょう。おめでとうございます」

「それは違いますよ」

 努めて平静さを装って休暇簿を取りに行く。尾張藩勤めの良いところは、休暇取得が楽という点だ。理由の記載も必要なく、取得したい時間を申請するだけである。

 ただしお役所という場所柄、申請はいまだに手書きと押印なのだが

「御奉行、今から休暇を頂きます」

「はいどうぞ」

 春日は直ぐに印鑑を押してくれる。もちろん理由も問わないし、何か余計な事を言うこともない。この休暇の取りやすさだけでも、ありがたい上司である。

 席に戻っても、風間はしつこく話しかけてくるが、それを笑って誤魔化す。鞄を取りだし、手に取った刀を歩きながら腰に帯びる。

「すいません、お先に失礼します。お先に、お先に」

 休暇の申請は楽であっても、やっぱり皆が仕事をしている中を帰るのは気が引けるもの。ことさら軽い口調で声をかけ、手刀をチョンチョンと縦に振って挨拶。そそくさと執務室を後にした。

 廊下に出た慎之介は静かな廊下を軽い小走りで移動し、エレベーターで一階まで移動。出入り口の守衛に挨拶をして藩庁舎を出た。

 向かうのは藩庁舎から歩いて直ぐで、侍たちの本部庁舎の裏手にある神社だ。


 咲月との約束は、つまるところ数日前に交わした訓練の件である。

 護国神社に着くと、既に咲月が来ていた。紺瑠璃色した制服姿で、慎之介に気付くなり笑顔で手を振ってくる。

「ありがと、来てくれて。でも、さっきの電話はどうしたの?」

「周りに同僚が居たから、それなりにな」

「ああ、そういうこと」

 咲月は察した様子で笑った後で、軽く冗談めかして頭を下げた。

「お仕事なのにごめんね」

「問題ない。うちは有給取得に寛容だし、今の時期なら問題もない」

「そうなんだ羨ましいね。車はあそこ」

 指差した先を見ると、木々の間の目立たない駐車場に赤い車両があった。侍たちが使用する赤備えパトカーで、緊急時も含め優先走行が認められているので移動は楽だろう。しかし目立つという点が難点だが。

「あー、あれで行くんだ」

「官用車はあれしか空いてなかったの。でも、いいよね」

 ばつが悪そうに咲月は肩を竦めている。そうした事情はよく分かるので、それ以上の文句は言わない。困った加減の息を一つ吐くだけだ。

「乗って、出発するから」

「もしかして咲月の運転か」

「侍専用の車で、私は侍。はい、何か意見がありますか」

「仰る通りでございますな」

 慎之介が軽く肩を竦めるのは、他人の運転する車というものが、どうにも苦手だからだ。仕事で同僚の運転する車に乗るが、ブレーキタイミングの違いや、加速加減や車間距離など、それら微妙な違いでヒヤヒヤするのである。

 出来れば自分で運転したいが、そうもいかない。諦めて咲月が手招きする車に乗り込む。エンジンが始動し車が動きだすが、咲月はハンドルを手にしていない。

「おい、大丈夫か?」

「自動運転だから、別に問題ないよ」

「それは分かってるがな……ちゃんと前を見た方が……」

「もうっ、まだ機械を信用してないのね。大丈夫よ、これは最新式なんだから」

 不安がる慎之介に咲月は笑顔で答えた。

 AIによる自動運転は一般化されており、今や大半の車はそれで動いている。一部の懐古主義者や、車両買い換えが進まない公共機関の車両などが手動運転をしているぐらいだろう。


 不安な慎之介を他所に車は、やや速度は遅いが滑らかに動いて車線合流もした。

 咲月が横から身を寄せて来るとタブレットを差し出した。画面に人の姿が表示されており、一人ずつ課員を紹介してくれる。

「この人が私の副官の志野さん、慎之介も知ってるよね」

「五斗蒔家の分家の人だったな」

「そうよ。だから相変わらず、ちょっと……うーん、かなり私を本家のお嬢様扱いしてるの。侍能力はある方だけど、でも指示する方が多いかな」

 だが慎之介は車の方を気にしている。

「信号だぞ、大丈夫だろうな」

「大丈夫なんです。それで、こっちが赤津ジャック君。お母さんが外国の人。けっこう突っ走るタイプ。ちょっと危なっかしいけど、いざという時はアテになる」

「もっとスピードが出ないのか、まどろっこしい」

「ねえ、ちゃんと聞いて見て」

 咲月は口をへの字にして、浅紫色の瞳で睨んできた。

「聞いてるし見てる」

「もう、仕方ないんだから」

 軽く言い合いする間にも赤備えパトカーは制限速度ぴったりで、名古屋城の東にある道を移動。しかし途中の混雑のせいで、あまり進まない。あげく自動運転は過度に安全第一のため、行けそうな時でも進まないので余計に遅い。

 周りの皆から注目を集めるが、車のガラスがスモークフィルム加工となっているので安心だ。しかしそんな事よりも慎之介は辺りを見やった。見覚えのある場所だ。

「ここは、陽茉莉の学校の近くだな」

 その尾張藩立明倫堂高等学校が見えてきた。

 開校は天明三年と歴史があり、尾張藩の将来を担う優秀な人材を多数輩出してきた名門校だ。陽茉莉の将来のためには此処しかないと、学費は高いが通わせている。

 通り過ぎるかと思えば、信号で左折し小道に入って学校の裏手を進みだした。

「どうして此処に?」

「うん、それはね――ほら、あそこ」

 咲月は前方を指し示した。

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