第10話② 無理、そんなの無理……死んでしまう

「ねえねえ、お兄。なに? 有名なん?」

 ちょいちょいと陽茉莉が突いて尋ねてきた。

「はっ? 愚か者め、茄逗子セルナ先生と言えば、女子高生とは思えぬ深みのある文章が評価されている。累計販売数は百万部超え、コミカライズも大ヒットしてアニメ化が確定している」

「うぁあ、アニメ化? 凄い!」

「当たり前だ、下手な絵を売っている奴よりも凄いぞ」

「それ、もしかしてあたし? まって、あたしフォロワー二万なの! 二万ってのは凄いんだよ! 凄いって言って、褒めてよ! て言うか、下手な絵ってなに? あれはアートなの。アート!」

 怒った陽茉莉は両手を上下させ訴えている。実際SNSのフォロワーが一万人を超える割合は十%にも満たず、かなりの成果だ。しかもイラストが売れているという点も凄い部類だった。

 ただアナログな慎之介は理解の範疇外だ。

「アートだと? あれをアートと言うならば、全世界のアーティストに謝った方がいい。女子高生作家のように凄い作品を書く方々に――」

「うい? 私は一人で書いてない」

「いま何と?」

「母と二人で書いてる、の」

 静奈は言って、ストローを咥えた。半透明の筒の中を液体が上昇してき、しばらくして下降していく。

「女子高生作家、ウケが良いから……それに母、人前出たくないから。私もだけど……とにかく内緒よ。内緒なんだから」

 ひょっとして自分たちの秘密より、もっと度合いの高い秘密を聞かされたのではないかと、慎之介と陽茉莉は想って顔を見合わせた。


 カラオケルームは意外に心地が良い。

 エアコンもあって快適温度であるし、防音で他からの音も殆ど気にならない。さらに食べ物も飲み物も頼めば直ぐに出てくる。座席の座りづらさ以外は良い空間だ。

 静奈も多少は場に慣れたのか寛いだ様子を見せている。

 両手でコップを持ってストローを咥える姿は、ちょっと幼くも見えるが、流石に尾張藩筆頭家老の娘だけあって所作そのものは上品なものだった。

「し、慎之介お兄さん」

 呼びかけられ、おやっと思った。お兄さん呼びをされると予想外だ。しかし、そんな素振りは欠片も出さない。

「ん? 何かな」

「小説のこと、父には内緒。言わないように、ね」

「御家老には内緒? なんでまた? 言えば良いのに」

「やだ、言ったりしたら、怒るからね……っ」

 慎之介は心の中で成瀬家老に同情した。あれだけ親バカぶりを発揮して娘大事で自慢までしているのに、当の娘からの扱いは凄く適当。そして奥さんからも、隠し事をされているのだ。気の毒過ぎる。

「それは――」

 言いながら慎之介は思考を巡らせる。

 自分の立場では家老との接点などない。先日は人事異動の件もあって呼び出され、そこで娘自慢をされたが、もうそんな機会はない。つまり静奈と約束したところで気を使う必要は皆無。むしろ静奈の機嫌を取っておいた方が良いに決まっている。

 慎之介はキリッとした顔で頷いた。

「分かった。それは知らぬフリをしておこう」

「な、なら……新しいシリーズの構想を思いついたの。だ、だから私に協力を……協力をするって言いなさい。言って、下さい?」

 静奈は不安そうに様子を窺ってくる。どうやら拒否されることを恐れているらしい。しかし慎之介は自分の好きな作家の新シリーズと聞いて肯いた。

「セルナ先生の新作か。もちろん協力しよう」

「先日の慎之介お兄さんの戦いぶり、凄かった……参考にする」

「身バレさえしなければ」

「そ、それなら陽茉莉さんにも………取材に出る時、一緒に。一人で行くと父が煩いから。ほんと面倒。でも陽茉莉さんと一緒なら文句言わない……はず」

 あれだけ娘に友達が出来たと喜んでいた成瀬だ。その娘が友達と遊びに出かけると言えば、それはもう大興奮して祝い酒を飲むだろう。間違いない。

「うん、いいよー。あたしも楽しいし」

 陽茉莉も笑顔で頷いた。

「でも、その代わり。SNSの投稿でも絡んでいい? あたし顔出ししてるけど、静奈の身バレはしないよう気を付けるから」

「出版情報とか、編集者さんの許可がいるから……内緒。でも、それ以外なら顔出しなしなら大丈夫」

「もちろん十分に気を付けるよ。うん、そこは上手い事やるね。あと、本の宣伝とかでも協力しちゃうから」

「ん、よろしく」

 利害が一致した二人は手を取り合って笑ってる。


 和やかな楽しい雰囲気だが、それも次の言葉を聞くまでだ。

「それじゃあ、この話はここまで。と言うわけで、歌ってみよっか」

 陽茉莉の言葉に静奈は、まるで恐ろしい事実を知らされたかのように、顔を引きつらせ身を仰け反らせた。信じていた相手に裏切られた猫のような顔だ。

「ひぇっ!? う、うう、歌……歌うぅ!?」

 人前に立つ事も苦手で、喋る事も苦手で、大きな声は発するのも聞くのも苦手という静奈にとって、人前で歌うという行為など想像ですら範疇外だったらしい。

「ひ、人は歌わずとも生きられるの。歌は聞くもの歌うものじゃない。だ、だから……歌わない、絶っっ対によ」

「そこまで嫌がんなくてもいいのにさ」

「無理、無理よ。それより陽茉莉さんの歌、聞きたい。慎之介お兄さんの歌とか」

 静奈は、歌いたくない一心で必死に懇願している。

「あーもー、これだから。何事も最初の一歩が大事じゃない? いつか歌わないといけない日がくるかもしれないし、今ここで歌っておいたら?」

「うぇぁぁっ……無理、そんなの無理……死んでしまう」

「はぁ、そこまで言うなら無理強いしないよ。じゃあ、お兄に歌って貰おうか」

 言われた慎之介は肯き、そして辺りを見回した。

「そういや、お兄が歌うの聞くの初めてかな。って、なに探してんの?」

「曲を探す本があると聞いた覚えがあるのだが」

「……そんなものはない! はい、あたしが決めたげるから」

 マイクが押し付けられ、前に引っ張り出され立たされ、勝手に選曲までされイントロが流れ出す。

 仕方なく慎之介は前にでた。

 周囲の壁や天井が全て映像に代わり、大勢の観客がいる景色となった。ライブ会場に立っているような具合だ。そのハイテクぶりに驚きながら、慎之介は気分よく歌い出した。

 だがしかし、慎之介の歌――まるで空き地でリサイタルを開くガキ大将のようなホゲホゲした歌――によって静奈は調子を悪くして、陽茉莉は耳を塞いで悲鳴をあげることになった。

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