第7話 二面性というよりも多面性

「嫉妬こそ、偉大な作品を作る上での重要な材料である。どれほど優れたペンを持っても、どれほど美しい景色を見たとしても、情熱が無ければ描くことは出来ない。人間の飽くなき欲求によって芸術が生まれた。これは芸術だけに留まらず、様々な分野でもいえる」


 教師が教科書通りのセリフをしゃべっているのを聞きながら、教科書に書いてあるその部分に線を引く。


「我々が利用しているインターネットだって、元々は戦争に利用するために開発されたものだったりするんだ」


 そう教師が語った瞬間、隣のクラスから何やら怒号が聞こえて来た。廊下に近い席の生徒であればはっきりと何を言っているのか聞き取れるのだろうけど、生憎今座っているのは教室の中心。声までは聞こえても何を言っているのかははっきりとは分からない。


「はい、集中して~。問題集にあるここの部分、テストに出すから解説までしっかりと読んでおくように。あっ……あと、ここのコラムのところ……」


 そう言いかけた時、チャイムが鳴ってしまった。独特なリズムを刻んで授業の終了を告げる。教師は何か言いたげな様子だったが、それを飲み込んで教科書を閉じる。そして、クラス委員に号令をかけさせる。


「ねぇねぇ、なんだろうね」


「隣のクラス……多分、高山先生だよね」


「……見に行こうぜ」


 授業が終わると同時に教室の中は一斉に賑やかになった。中には教室を飛び出して、さっきの大声の正体を探らんとする者もいた。野次馬根性ここに極まれり。


「終わった~。これから部活だ」


「お疲れ」


「行人は部活?帰り?」


「迷ってる。雨も弱まりそうにないから、今日はバス使って帰ろうと思ってる。でもバスは混むよな」


「まぁ……混むな。今日は余計に」


 この学校への通学手段として一番多いのは電車通学だろう。よく朝方に、団体でぞろぞろと駅の方から歩いてくる学生の集団を見かける。一応、駅から高校の前までバスが走ってはいるが、バス代をケチって徒歩で通学している生徒も少なくない。比率としてはちょうど半々だろう。しかし、今日に限ってはバスを利用する生徒が増える可能性がある。


「ちょっと時間を潰してからバスで帰るよ」


「じゃあな」


「また」


 そう言ってから鞄を持って教室を出る。向かう先は化学準備室。相談部が部室として使っている教室だ。我ながら素晴らしい場所を手に入れた気がする。化学準備室は学校が改装されたときも手を付けられなかった教室だ。それ故に鍵をいちいち借りる必要が無い。暇つぶしには最適な場所。


 そう思ったのも束の間、1つ思い出したことがある。昨日、終わらせた美術の課題を俺はまだ、提出していないのだ。終わらせたことに満足してそのまま帰ってしまった。


「しくったな」


 しかし、職員室はすぐそこにある。寄り道をしてもさほど時間がかかる場所でもない。そう思っていたが……


まゆづみ先生?う~ん、居ないね。多分、美術室じゃないかな?」


「ありがとうございます」


 どうやら1年生の美術担当教師である黛先生は職員室には居ないらしい。職員室を出て、仕方なく美術室に向かう。



               +             +


 

「あの……すいません」


「はい?」


「阿ヶ佐君っていう男子、居ますか?」


「あぁ……行人ならさっき帰りましたよ。あっ、行人って言うのはその阿ヶ佐です」


「え?あ、ありがとうございます」


「あれ?一葉かずは?」


「あれ、宝島の友達?」


「うん、美術部の。なんでウチのクラスに?」


「その深月ちゃん……昨日、美術室に来てた男子がどこにいるか知ってる?」


「え?なんで?」


「その……」



               +             +



 「ん?」


 相談部の部室を通り過ぎて、階段を上り美術室を目指していると、何やら廊下に複数人の生徒が集まっていた。厄介なことにその生徒たちが居るのはちょうど美術室の前だった。


「あの……黛先生って居ますか?」


「えっ?先生?まだ来てないな」


「そうですか」


 内心、悪態をつく。瞬時にこの後の行動を2パターン考える。1つ目は、相談部の部室に戻って時間を潰し、改めて美術室を訪れる。2つ目は、この場に残って先生が来るのを待つ。


「先生に何か用事が?」


「課題を提出しに来たんです」


「じゃあ、一年生?」

 

「はい」


 美術室の前に立っている生徒は俺以外に3人。俺に言葉を返してくれている長身の男子生徒。何やらスマートフォンを弄って誰かと連絡を取っている様子の女子生徒。そして、神妙な顔で美術室の壁を見つめている男子生徒。


 長身の男子生徒以外の二人も俺が来た時にこちらを向いたが、どうやらお目当ての人物じゃなかったようで、すぐに視線を元に戻した。


「今、ウチの一年が先生を呼びに行ってるから、そのうち来ると思うよ」


「分かりました」


 どうやら俺の選択は後者で良いようだ。しかし、この三人はなぜここに立っているのだろうか?思わず気になって美術室の壁の方を見る。


「……」


 長身の男子生徒が壁となっていて見えなかったが、美術室の廊下側の壁にはいくつか作品が展示されている。そのうちの1つに自然と視線が寄って行ってしまう。それは昨日よりも穴の数が増えて悲惨なことになっている「真球を求める者」だった。



               +             +



「真球を求める者」は額縁の中に飾られたまま、穴だらけになっていた。中の絵は元の形が分からないくらい悲惨なことになっているが、額縁に傷が付いている様子は無かった。

 

「私が来たらこうなってて……」


 そう語るのは先ほど廊下でスマホを弄っていた女子生徒で美術部2年の青崎あおさき


「その後に俺と小金井が一緒に来たんだ。そうだよな」


 そう語るのは廊下で俺と話していた長身の男子生徒。美術部部長の三年柴村しむら


「うん、最初はびっくりしたよ」


 そう語るのは廊下で何やらずっと壁の方を見ていた冴えない男子生徒。美術部副部長の三年小金井こがねい


「その後に来ました。私は先生を呼びに行くついでに深月ちゃんにも声をかけました」


 そう語るのは昨日、美術室にいた三つ編みとメガネが特徴の女子生徒。美術部一年の樋口ひぐち


「……そう言えば宝島さんは?樋口さん……だっけ?彼女には会った?」


「はい。一応、絵のことは伝えました。でも昨日の部活の時に「明日は用事があるから部活を休む」って言ってたので今日は来ないです」


 部員たちから一通り話を聞いた後、俺は樋口さんと一緒に美術室の大きな机に向かい合う形で座っていた。廊下の方では他の美術部の部員たちが顧問の先生と何やら話しているのが聞こえる。


「じゃあ……美術部員は全員で5人?」


「いや……本当は6人居るんです。今、2年生の先輩が風邪で休んでて」


「それはいつから?」


「えっと、月曜からだから3日前から」


「となると……」


 昨日の時点で犯行を犯して今日休むというのは違うか。who、where、when、what、why、how。……そう言えば、あの事を彼女は知っているのだろうか?


「……樋口さん、実は昨日の時点であの絵にはすでに穴が1つ空いていたんです。俺はてっきりそこも含めて作品なのかと思って……」


「あぁ……あれは私がやったんです。ネットで絵に穴を開ける動画を見たんでやってみたくなっちゃって。他の部員の人も知ってます」


 マジか。俺はてっきり昨日の時点で犯行は行われていたのかと思ったのだが、あれは穴が開いているのも含めて作品だったようだ。では、犯行は昨日の放課後から今日の部活動が始まるまでの間。……when。


 あの絵は見た限りでは横約30cm、縦約50㎝ほどだろう。額縁から取り出したとしても鞄に入れて持ち運ぶにはかさばりすぎるし、持って歩くのは論外だ。となると犯行が行われたのは廊下もしくは、この美術室という事になる。これがwhere。


「ちなみにあの額縁にどうやって穴を開けたんですか?」


「美術準備室にある千枚通しと石膏を削るときに使うトンカチを貸してもらって開けました」


「使った道具って実際に見られる?」

 

「え?まぁ……準備室の鍵は美術室の鍵と一緒になってるから、先生に聞いてみますね」

 

「あっ……ちょっと。それは別に後で良いんで、もう1つだけ聞いてもいい?」


 そう言って席から立ち上がろうとする彼女を引き留める。彼女の証言であの絵がどうやってボロボロにされたのかは、大体見当が付いた。これで……whatとhow。残るのはwho、why。しかし、whyに関しては別にどうでもいい。トリックを解き明かして犯人をこの人たちの前に突き出す。それではい終わりで構わない。

 

「はい」


「昨日、部活に来たのは樋口さんと宝島さん。あとは誰が?」

 

 見た感じあの作品には6つくらい穴が開いていた。いずれも絵の空白部分ではなく描かれている青年の身体にあたる部分にあった。特に顔には3つほど穴が開いていて、もはや元がどんな顔だったのか思い出せないくらいだ。しかし、外側のガラスには元々あった穴以外、一切傷は無かった。つまり中身の絵を取り出してからその絵に穴を開けて、それを額縁の中に戻したのだろう。


「えっと、三年生は進路相談と三者面談があったらしくて来ませんでした。青崎先輩は君が帰った後に遅れて来ました」


「じゃあ……昨日、部活に来たのは三人だけ?」


「うん、三人だけです」


「そうか。そういえば、あの絵に穴を開ける時にガラスの欠片とかはどうしたの?」


「ガラスが外側に飛び散らないようにガラス板の表側にテープを貼って、穴だけ綺麗に開くようにしました。いくらやりたいって言っても学校の額縁のガラスに穴開けるわけにはいかないから、ガラス板はわざわざ買ったんです」


 確かにそうすれば額縁の外にガラス片が落ちる可能性は少なそうだ。


「あとは何かありますか?」


「いや、特には……」


「じゃあ私、鍵借りて来るね」


「あっ、やっぱ大丈夫です。俺もこれから用事があるんで今日は帰りますね」


「えっ……帰るんですか?」


 彼女は俺がこのまま推理をして、さっそうと「犯人はこの中に居る」とでも言うと思っていたのだろうか?正直に言うと俺がいちいち質問をしてまで、情報を聞き出したのは疑われる可能性があるからだ。しかし、よく考えてみれば見ず知らずの人間が大した値打ちのない学生が描いた絵を破壊するくらいの動機が思いつかない。


「そろそろバスの時間なんで」


「そっか」


「黛先生たちの話が終わったら、これ先生に渡しておいてくれませんか?なんだかまだ話してるみたいだし」


「分かりました」


 鞄から絵を取り出して、テーブルの上に置く。誰が提出したのか分かるように裏に学年クラス、出席番号、名前を順番に書いておく。そのまま席を立って鞄を拾う。


「あっ……そう言えば」


「?」


「昨日、最後は誰が鍵を返しました?」


「昨日は……深月ちゃんが最後だったと思います」

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