第43話 救国のエフィーリア(選考対象外)

 離宮に到着したイリオスとミレイ(中身はトゥルーナ)。


 馬車が玄関前に停車するなり、イリオスは未だに目覚めぬミレイを横抱きにして、忙しなく馬車から降りた。


 真鍮製の大きな玄関扉をくぐりぬけ、真っ直ぐ主寝室へと向かう。


 その際、城代や使用人たちに声をかけられたが、必要事項などは口頭で伝え、後のことは同行させたハーバートに丸投げした。


 螺旋階段を上がり、二階の主寝室へたどり着くと、イリオスはメイドに、


「私が声を掛けるまで入室を禁ずる」


 とそれだけを告げて室内に入り、扉を閉めて内鍵をかけた。


 イリオスは天蓋付きの大きなベッドに近寄ると、ミレイをそっと丁寧にベッドにおろした。するとミレイの長い睫毛がふるりと震え、目蓋がゆっくりと持ち上がった。


「目が覚めたか?」


 イリオスはジャケットをソファの背に投げ置くと、ミレイが横たわるベッドの端に腰掛け、ミレイの頬にかかった髪の毛を優しく払う。


 薬の効能が残っているのか、ミレイはぼうっと宙を見つめたままだった。


「そんなに強い薬ではなかったのだが……人によって体質が異なるか。ミレイ、ミレイ。私を見ろ。私のことがわかるか?」


 すべすべとしたまろい頬を指の背でなでていると、それがくすぐったかったのか、ミレイの口角が上がった。


「ふふっ、くすぐったい」


 そう言って、猫のように目を細めたミレイは、透き通るような瑠璃色の瞳をイリオスへと向けた。


「殿下……ここは……?」


 意外にも落ち着いた様子のミレイの姿に、ホッと胸をなで下ろしたイリオスは、ミレイの冷たい手を握って目を見開いた。


「手がこんなにも冷えているではないか。……やはり、薬を飲ませるのは悪手だったか。ミレイ、すまない。そなたを独り占めしたくて焦ってしまったんだ。これもそなたを想ってしたこと……。愚かな私のことを許してくれないか?」


 イリオスはミレイの両手をそっと握り、自分の体温を分け与えるように口付ける。その様子を穏やかな表情で眺めていたミレイは、恥じらうようにこくりと頷いてみせた。


「よかった……ありがとう、ミレイ」


 心底ホッとしたイリオスは、そのままミレイに口付けようとして――動きを止めた。何故か、執務室で対峙したときのミレイの姿が脳裏をよぎったのだ。


(なんだ……この違和感は……)


 そうしてイリオスが身を引こうとしたとき、温もりを取り戻しつつある華奢な手が、労わるようにイリオスの頬に触れた。


「殿下?」


 眉尻を下げて不安げな表情を浮かべるミレイを見て、イリオスはハッとして首を左右に振った。そして――


「いいや、なんでもない。ミレイ……口付けてもいいか?」


「はい。殿下」


 そう言って、ふわりと花笑みを浮かべたミレイはとても美しく、心做しかいつもより艶やかな空気をまとっていた。


「ミレイ、愛している。私の愛しいエフィーリア」


「ああ……そう言っていただけるのをどれほど長く待ったことでしょう。わたくしも愛しております、殿下……」


 そうして二人は濃いバラの香りに包まれながらひとつに重なったのだった。





 一方その頃、ミレイはヴァルの発言を聞いて、大いに困惑しているところだった。


「エフィーリアが別に存在するって、どういう意味ですか?」


「言葉通りの意味だよ。……ねぇ、ミレイ。トゥルーナと夢の中で会った時、何か気づかなかった?」


 ヴァルは首を傾けると、美澪の顔を覗き込んだ。美澪を真っ直ぐ見つめてくる瑠璃色の瞳に心臓がドキッと跳ねる。


 美澪は胸の高鳴りを誤魔化すためにわざと咳払いをすると、口元に指を当てて、夢の内容を思い出そうと瞳を閉じた。そして――


「……愛されたい、と言っていました」


「他には?」


「あとは……あたしの身体を欲しがった、というくらいしか……」


 美澪は言いながら、ヴァルに困惑の滲む視線を向ける。するとヴァルはにこりと笑って、美澪の頭を優しくなでた。


「トゥルーナはね。自分から、ゼスフォティーウを奪ったグレイスを厭っていた。死の間際には、グレイスのことを心の底から憎んでいたと思う。でもね、美澪の話を聞いて気づいたんだ。トゥルーナは、グレイスを厭いながらも羨望していたんだよ。ゼスフォティーウに愛される存在……つまり、エフィーリアという立場にね」


 そう言って美澪から視線を外し、日が暮れだした窓の外を眺めるヴァルの瞳には、憐れみの色が浮かんでいた。


「でも、ヴァル。グレイスにエフィーリアの祝福を与えたのは、ヴァルとトゥルーナなんですよね? グレイスに嫉妬する気持ちは分かるんですけど、元々はグレイスを、エフィーリアとして、愛して慈しんでいたわけじゃないですか」


「うん。そうだね」


「なのに、自分が与えたエフィーリアという存在に固執するなんて、なんというか……」


「本末転倒?」


 フッと、自虐的な表情を浮かべて美澪に視線を移したヴァルに、美澪は焦って首を左右に振る。


「いえ! そんな風には思いません。……ただ、今回、トゥルーナはあたしの……エフィーリアの身体を手に入れて、イリオス殿下に愛されることを望んだんですよね?」


「そういうことだね」


「でも、あたしの身体で愛されても、結局はトゥルーナ自身を見てもらえるわけじゃなくて……。イリオス殿下は、あくまでも、あたしを愛しているわけであって、」


「トゥルーナにとってはそんなことはどうでもいいんじゃないかな?」


 ギシッと音を立てて、椅子に腰をおろしたヴァルに、美澪は「どういう意味ですか?」と訊ねる。するとヴァルはニヒルな笑みを浮かべた。


「気が遠くなるような長い年月……ゼスフォティーウとグレイスを恨み憎みながら、トゥルーナは変わってしまったんだよ。コミュ障で、いつもボクに甘えて、ゼスフォティーウを心から愛し、人間を慈しんだボクのねぇさんはもう存在しない。今のトゥルーナは、ゼスフォティーウに愛されるエフィーリアという存在に固執する、ただの愛の亡者だから」


「……だから、エフィーリアとして愛されるだけで本懐を遂げる、ということですか?」


「そーいうことなんじゃない? 今頃ねぇさんは、幸せ絶頂期だと思うよ。これで無事、王太子の子を身ごもれれば、ねぇさんはエクリオも王太子も救うことができるしね。生と浄化を司る建国の女神が次代の王を生み落とすんだ。これでエクリオの呪いも解けて、ねぇさんは晴れて、救国のエフィーリアになれる。ハッピーエンドさ。めでたしめでたし」

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