第37話 アクアリウム2(選考対象外)

 美澪が瞳を開けると、そこは以前にも来た、アクアリウムの水中だった。


(今回は泣き声が聞こえない……)


 美澪は首を傾けたあと、自分の身体を見下ろして驚愕した。


(な、なに、これ……!)


 驚くことに、骨盤から下が魚の尾のようになっていて、両手の指の間には水かきがついていた。


 水の抵抗を受けながら、上半身を捻ったり、腕を上げたりして全身を確認する。上半身は人間のなりで、両肘と背中にはヒレがついており、根青の髪は尾びれまで伸びていた。


(これってまるで、人魚姫みたいじゃない)


 美澪がそう考え至った時、自分の身体が勝手に動き出した。


(えっ! なんで!?)


 美澪の身体は、まさに人魚のように優美に泳ぎだし、美しい声で鼻歌を歌いだしたのだ。


 制御が効かない身体に混乱していると、「ねぇさん!」と耳馴染みのある声で呼ばれ、美澪は後ろを振り返る。


(ヴァル!)


「あら。ヴァルじゃない。どうしたの?」


 美澪と同じタイミングで口が動いたが、紡ぎ出された言葉は、全くの別物だった。そして美澪は、今のやりとりで理解した。この身体の主がトゥルーナであると。


(これはどういうことなの……。もしかして、トゥルーナの魂を介して、過去の記憶を見せられてるの?)


 答えを教えてくれるものはどこにもいないが、美澪はそう結論付けて、成り行きを見守ることにした。


「も~! 『どうしたの?』じゃないよ~。また一柱だけ神域にこもってさぁ~」


「だって。ここが一番落ち着くんですもの」


 トゥルーナはふてくされたように言って、プイッとそっぽを向く。その姿を見て、呆れたような表情を浮かべたヴァルは、ハァとため息をついた。


「ボクは社交的なのに、なんでねぇさんは神見知りなのかなぁ」


「……そんなの知らないわ。全ては創造神あかあさまがお決めになったことですもの」


 言って、トゥルーナは「フンッ」と鼻を鳴らした。


「ふーん。じゃあ仕方がないね。ゼスフォティーウが会いに来てるけど、『ボクのねぇさんは神見知りだから、神域に引きこもって出てきません~』って伝えとくね」


 ふんふん♪ と楽しそうに鼻歌を歌いながら身を翻したヴァルの肩を、トゥルーナはがしっと掴む。


「ま、待ちなさい、ヴァル。わたくしが行くわ」


「え~? でもここが一番落ち着くって――」


「わたくしが落ち着ける場所はゼスフォティーウ様のおそばだけよっ。では、ヴァル。わたくし行ってまいりますわね!」


 はずんだ声音で言ったトゥルーナを、ヴァルは温かい眼差しで見送った。そして――


(あれ……? 視界が、かすんで……)


 美澪の意識はそこで途切れた。





「……ぅ、ん」


 美澪が目覚めると、そこはヴァルの神域だった。突き抜けるような晴天が眼前に広がっている。


「あたし、どうしてここに……?」


 肘をついてゆっくり上体を起こすと、濃いロータスの香りが鼻先を掠めた。次いで、寝台の寝心地に違和感を覚えて視線を下げ、ぎょっと目を見開いた。


 なんと美澪は、巨大な蓮の花の上に寝かされていたのだ。


「ど、どういうこと……?」


 おそるおそる蓮の花の上から降りようとした時、美澪の背後から、クスクスと含み笑うヴァルの声が聞こえてきた。


「ヴァル!」


 美澪はホッと肩の力を抜くと、蓮の花の上から降りて、ヴァルに駆け寄った。


「美澪。そんなに焦ると危ないよ」


 苦笑交じりに言われた瞬間、足が滑って身体が傾き、ヴァルの胸の中に飛び込んでしまう。ひと言謝って離れようとした美澪の身体を強く抱きしめた。


「……ヴァル?」


 いつものおちゃらけた感じとは違う、切実ななにかを感じとって、美澪はヴァルの背に腕をまわした。そして子どもをあやすように、トン、トン、と背中を叩く。するとヴァルは、数秒間だけ抱きしめる力を強くすると、名残惜しげに身体を離した。


 美澪がそっと見上げると、ヴァルの顔には、ホッとしたような……それでいて、寂しそうな表情が浮かんでいた。


 美澪は思わず、ヴァルの頬に手を伸ばし、ひんやりとした頬に手を当てる。するとヴァルは、美澪の手の上に自らの手を重ねて、ほぅと息を吐いた。


「……ヴァル。どうしたの? あたし、また危なかった?」


 ヴァルは美澪の問に、こくりと頷いた。


「ボクの神力で癒せなかったら、美澪はトゥルーナの人格に打ち負けていたかもしれない」


「トゥルーナ……」


 美澪は囁くように言い、ヴァルを見上げて口を開いた。


「あたし、過去のトゥルーナを見てきたの」


「……なんだって? い、いつの……どんな状態のねぇさんだった!?」


 血相を変えたヴァルをなだめながら、美澪は「幸せそうだったよ」と伝えた。


「トゥルーナが何をしたいのか。あたしに何を伝えようとしているのかは分からないけど……。今回見たトゥルーナは、ヴァルとも仲が良さそうで、嬉しそうにゼスフォティーウに会いに行ったよ」


 美澪が見たことをありのまま伝えると、ヴァルは口元に指を当て、何かを考え込んだ。そうして、「ボクの神力のせいかもしれない」と言った。


「どういうこと?」


 美澪は理由わけがわからず、首を傾ける。


「美澪にキスしたんだ」


「は?」


「ボクの神力を多めに与えたことで、神力同士が共鳴して、美澪を害することなく過去視をするに至った……。この仮説が正しければ、今回と同じことをすれば、ねぇさんの過去を視ることが出来る。つまり、ねぇさんを救う手立てが分かるかも知れない!」


 そう言って興奮するヴァルの頬を、美澪はペチンと軽く叩いた。ヴァルは、「え?」と目を丸くする。


 美澪は、怒りと羞恥心で頬が赤くなっていくのを感じ、涙目でヴァルを見遣った。


「いまの平手打ちは、怒りと感謝の気持ちで力を加減しました」


 そう言う美澪が、真っ赤になってぷるぷる震えているのを見て、ヴァルは嬉しそうに口角を上げた。


「美澪。まさか、ボクとキスしたの嫌じゃなかったの?」


「!」


「恥ずかしくて怒ってるんだよね? それってボクを意識してくれてるってことだよね!?」


「!!」


 なにも言えない美澪に向かって、蠱惑的な笑みを浮かべたヴァルは、美澪の耳元に唇を寄せた。そして、


「ボクのファーストキス。美澪にあげちゃった~」


 と囁いて、本気のぐーぱんちを腹に食らうのだった。

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