第20話 アネモス城、王族フロアにて



 「はぁーー」と、ひときわ大きなため息を吐いたディセオは、両手で顔を覆って天井を仰いだ。


「おまえの母上が身罷って1年。度重なる異常気候によって、農地は荒れ、疫病がはやり、多くの民が死に、城下には挽歌ばんかが満ちた……」


 言って大いに嘆く父親の弱者たる姿を目の当たりにしたイリオスは、


「……だから一刻も早く私に譲位し、正当性のあるエフィーリアを王妃に迎えよと?」


 ――それが定められし運命だから。


 イリオスは片手で目元を覆い、アハハハ! と狂ったように笑い出した。


「あはっ、あははは、アハハハ……!」


 その姿を黙って見ていたディセオは言った。


「イリオス……儂の愛する息子よ……。やはり儂を恨んでおるのだな」


 その言葉に笑いを止めたイリオスは、「当然でしょう」と言い、ディセオに向かって血の涙を流しながら叫んだ。


「あんたは母上を殺した! そして俺のグレイスを奪った! その『愛する息子』とやらを地獄に叩き落としておいて、今度はあんたの尻拭いをさせるのか!? ……それに、もし仮に譲位するとして、グレイスはどうするのですか。あの若さで……たった19歳で隠居生活を送れと!?」


「グレイスの腹には儂の子がいる。愛しい女子おなごの腹に儂らの赤子が宿っているというのに、譲位などするものか!」


「なっ」


 表情を固くしたイリオスに、


「……グレイスは儂にとって、精神的にも肉体的にも大いなる癒やしを与えてくれる得難い存在だ。儂はもちろん、グレイスを一人の女性として愛しておる」


「なにを……!」


 イリオスは、罵声を浴びせようとして……何も言えずに口を引き結んだ。


「出ていけイリオス。今宵の食事会はごく身近な者たちが集まる席だったゆえ、エフィーリア殿は叱責しっせきされることがなかった。――しかし、明日の結婚式はそうはいかぬからな」


「……御意」


 もう話すことなどない、と言わんばかりに執務机に向き合い始めたディセオに、イリオスは臣下の礼をとって部屋を去ろうとした。その時、


「エフィーリア様ならびにパラディン伯様ご入室!」


 両開きに開けられた扉の前に、身なりを整えた美澪が立っていた。


 およそ一週間前まで、故国で平民として暮らしていたとは思えない程の品格を感じさせる姿に、イリオスは思わず魅入ってしまった。


 退出するのも忘れて真紅の絨毯を歩いていく姿を視線で追っていると、からかいの色を浮かべるディセオと視線が交わり、それによって正気を取り戻したイリオスは、颯爽さっそうと謁見の間を後にした。


 兵士によって、真鍮の扉が閉まる直前。


 エフィーリア――ミレイの、宵闇よいやみ彷彿ほうふつとさせる宝石のような瞳が、イリオスを責めるかのごとく、暗い色に染まっていた気がした。


 バタン! と戸が閉まり、日が沈んだ廊下の足元を照らす蝋燭ろうそくあかりが、イリオスの影を濃くしていた。イリオスは暫し、足元の影を見つめ、マントを翻して王妃宮に向かったのだった。




「王妃殿下にお会いしたい」


 そうメイドに告げると、メイドは頭を下げて「王妃殿下はおやすみになられました」と言った。……それは来客を拒む際の常套句じょうとうくだった。


(……最初に背を向けたのは俺の方だったな)


 イリオスは自嘲気味に笑うと、


「先程、国王陛下から、王妃殿下がご懐妊なさったと話を伺った。今日は祝いの言葉を述べに参ったのだが、私が折悪しくお尋ねしてしまったらしい。……また日を改めるとしよう。では、失礼する」


 言って身を翻したイリオスの背に、「お見送りいたします」とメイドが頭を下げた気配がした。


「俺はいったい何をしているんだろうな……」


 王族専用の三階の廊下を歩きながら独りごちていると、


「美澪、身体は大丈夫? 無理してない? ボクがおんぶしようか?」


「だから大丈夫ですって……。 ヴァルは心配し過ぎなんですよ。そんなに心配しなくても、さっきだってちゃんとやれたでしょ?」


「うん、うん。完璧だったよ! 練習通りに挨拶出来て偉かったね、美澪」


「ちょ……! ……練習したとか言わないで下さいよ、恥ずかしいですっ」


 イリオスは、親しげに会話をしながら歩くミレイとヴァルに鉢合わせた。


「きゃっ!」


「おっと」


 鍛え上げられたイリオスの胸板に頭をぶつけたミレイが転倒しそうになったのを、咄嗟に手を伸ばしたイリオスの腕が支えた。


 イリオスの左腕が細腰を支えたことで、ミレイは背中を軽く後ろに反った体勢でその場に留まった。


 まるで時が止まったように見つめ会う二人の間に割って入ったのは、イリオスへの敵意を隠すことのないパラディン――ヴァルだった。


 ヴァルは奪い取るようにミレイをさらうと、イリオスなど眼中にないとでもいうように、おろおろとミレイの全身をチェックしていた。


「美澪、美澪、大丈夫? 気分が悪くなったり、どこか痛んだりしてない?」


 ミレイは飽きれたような表情を浮かべて、


「大丈夫ですよ。……もう。ヴァルは大袈裟すぎます」


 そう言って、困ったように微笑んだ。それからくるりと振り向くと、イリオスに向かってペコリと頭を下げた。


「不注意でぶつかってしまい、すみませんでした。あと、転けそうになったところを助けていただいて、ありがとうございました」


 言って去ろうとしたミレイの手首を、イリオスは咄嗟につかんだ。


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