22.大急ぎで着替えるから、ちょっと待ってね

 さて、思いがけず夏季休暇なつやすみを、伯爵家別邸セイラのいえで過ごすことになったアンナ。

 セイラの家族であるニェスラント家の人間は、皆、善良おひとよしで、平民出の孤児であるアンナのことも、セイラの親友として暖かく迎え入れてくれた。


 おかげで、ダレス伯爵邸でのアンナの暮らしは、上げ膳据え膳の賓客扱い。まさに至れり尽くせりと言うべき状態なのだが……。


 「──疲れた、精神的に」


 伯爵邸滞在6日目にしてアンナは、滞在中貸し与えられた客室で、午前中からベッドの上に俯せに横たわってポツリと呟いていた。


 念のために断っておくと、この家の人間が貴族だから礼儀作法にうるさかったとか、一挙一動にケチをつけられた──とかいうわけではない。

 顔合わせの時に言われた通り、その辺はニェスラント家の人々は鷹揚で寛容だったし、アンナ自身、そこそこ礼儀正しい方だという自覚もあるので、少なくとも礼儀関係で揉めたり咎められたりはしていない。


 また、セイラ以外頼るべき相手もいない他人様の家アウェイに放り出させて、何ができるか何をすればいいのか分からなかったから──という訳でもない。

 むしろ、その逆で、セイラの母エイダや姉のクラウディアは、積極的にアンナに構い、娘/妹同然に可愛がってくれたのだが……。


 「思春期に入ったばかりの少年の精神を持つ少女」という、かなり複雑レアな事情を持つ“この”アンナにとって、「同年代の女の子たちが喜びそうな事」へと付き合わされるのは、なかなかに気を遣う経験だった。


 庭の東屋での午後のお茶会アフターヌーンティーくらいなら、問題はないのだが。


 到着した日の翌朝早々から、エイダ・クラウディア・セイラの3人に連れられて、皇都最大の百貨店へと急行。4階の婦人向け衣類フロアで、半日着せ替え人形にされたのを皮切りに……。


 その日の夜、買ってもらった5セット(5着ではない)のコーディネートを、セイラの父や兄の前で披露させられたり……。


 翌日は、エイダ夫人による「簡単貴族マナー講座」、そして午後から実践編としての「劇場に出向いて歌劇オペラ観賞」。前日の買い物で、わざわざフォーマルドレスまで買ってくれたのは、観劇のためだったらしい。


 4日目にあたるその翌日は、クラウディアによる「今、皇都で平民・貴族問わず人気のスポーツ、“ツネーニン”」の説明と、近くのコートを借りての実戦。

 このツネーニンというスポーツ、細かいルールこそ違うが「拳大のボールをラケットで打ち合う」という点では地球のテニスに似た球技で、アンナとしても馴染みやすかったし、楽しんでプレイできたのだが……。

 やはりお約束と言うべきか、ツネーニン用のウェアも地球の(それもちょっと古めの)テニスウェアそっくりであり、アンナは薄手のタンクトップに加え、ひらひらのミニスカートとフリル満載のアンスコを履くハメになった。

 対戦相手が同様のツネーニンウェアを着た縦ロールヘアのセイラだったものだから、思わず「お蝶夫人?」と呟いてしまったくらいだ。


 昨日5日目は、前日のツネーニンで慣れない運動をしたせいか、セイラがダウンしていたので、伯爵邸でエイダ夫人による「刺繍&手芸講座」が行われた。

 刺繍といっても基礎の基礎、白い布に花の模様を縫い上げるだけだし、手芸の方は、高さ30センチ弱のクマのぬいぐるみ(いわゆるテディベア)を作るというもので、布地やパンヤなどは夫人が用意してくれていた。

 当然ながら、刺繍も手芸もアンナは初挑戦だが、もともと手先の器用な彼女は、どちらも「初めてと思えない出来栄え。大変よくできました」と夫人からお褒めの言葉をいただく結果となった。


 色々(女の子が喜びそう)なことを体験させてもらったものの、いずれも──それこそ、最初の買い物・ファッションショーでさえ──珍しい体験で、それなりに楽しかったのは確かだ。

 ただ、楽しめた反面、それに伴い、自分の女子力がメキメキ上昇しているような気もして、アンナはそれを素直に喜ぶ気にはなれなかった。


 彼女としては、「この世界にいる限り、自分がアンナ・クレーという存在である」ことは受け入れたものの、そのアンナの持つ“属性”のひとつ──「アンナは年若い女の子である」という側面は、まだ完全には消化しきれていない。


 地球にいる“九玲”が見たら「なんでさ? 君、オートガイネフィリアだったじゃん」と訝しみそうだが、(元九玲の)アンナの側は「違うのだ!」と反論するだろう。

 「一時的に女の子に(肉体的・服装的に)なってみたい」だけで、「永続的に心の芯から女性になる」ことを望んでいたわけではないのだ。


 ある意味、ぜいたくというか、ワガママな悩みだった。


 そんなこんなで、「楽しいは楽しいが、心から楽しめない」という複雑な心境で気疲れしていたアンナだが、休暇中もこればかりは外していないヘッドセットデバイスに、ボイスメールの通知が届いていることに気付く。


 「ルリエリ先輩とビヤンカ先輩から? なんだろう……」


 メールの内容は、自分達も今日皇都に来ているので、よければ会わないか? できればルームメイトのセイラも連れて──というものだった。


 ニェスラント家の“歓待”から堂々と抜け出せる絶好の口実に、一も二も無く了承のメッセージを返したアンナだったが、出してからセイラの意思を確認してないことに気付いた。


 勝手知ったる他人の家──というには、やや日が浅いが、そう言ってもあながたち間違いではない程度に馴染んだ伯爵邸の中を移動して、親友の部屋に駆けこむ。


 「セイラ~、かくかくしかじかなんだけど」

 「よろしいですわ。ワタクシも一緒に参りましょう」


 幸い、セイラは反対すること無く同行することを了解してくれた。


 「それにしても、先輩たち、どうしてボクが皇都郊外のセイラの家にいること知ってたんだろ」

 「あら、だってアンナ、ワタクシといっしょに寮に長期外出届けを出したではありませんか。監督生なら、それを確認できるのではなくて?」


 言われてみれば、なるほど確かにそうだ。

 一時は衝突したものの、今ではそれなりに良好な関係を築いている先輩方が、ストーカーの類いでなかったことに、アンナは安堵する。


 伯爵家の魔動力車マギカーで、待ち合わせ場所──皇都中央駅前の著名な喫茶店まで送ってもらい、そこへ足を踏み入れたところ、運がよいことにルリエリたちは先に来て待っててくれていた。


 「久しぶりー、元気だった?」といった定番の挨拶や、実質的に初対面であるセイラと先輩ふたりの自己紹介込みの挨拶を済ませたところで、ビヤンカがふたりにとある提案をしてきた。


 「ふたりとも、長期休暇だから少々身体……というより魔導関連の方がナマってないか? ソレを解消できる施設があるんだけど、よかったら一緒に行こうぜ!」


 手渡されたチラシには「“アスレチックダンジョン”アルクハイム3号店、開店! いまなら入場料を一般の方30%、学生の方は50%、オフのキャンペーン実施中!!」と記されていた。


 「「アスレチックダンジョン?」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る