恋と偏見(3)


「すみません、大丈夫でしたか? もし、真衣ちゃんが何か失礼なことを言っていたらすみません。代わりに謝ります」

 事務所から出て、すぐに駐車場へ向かった私たちの姿を見て、男性店員が追いかけて来た。そして、謝罪のつもりなのか、お茶のペットボトルが三本入った袋を押し付けられる。

「結構ですよ、むしろ、お話を聞かせてもらったのは私たちの方で……」

 母は断ろうとしたが、男性店員はいいから持って言ってくださいと、譲らなかった。

「真衣ちゃんは、悪い子ではないんです。ただ、その飛鳥さんに特別な感情を抱いていたせいで、その、事件のショックで少し精神的に不安定になってしまっていて……事件直後は刑事さんとか、取材の記者とか色んな人が話を聞きに来ることが多かったんです。真衣ちゃん自身が憤りをんじているっていうのに……あの人たち容赦なくて————飛鳥さんはその、男の自分から見てもイケメンだなぁと思っていたので、近所に住んでいた人間なら、みんな知っていました。真衣ちゃんだけではないんです。他の時間帯のバイトの子でも、飛鳥さんのファンみたいな人は、たくさんいたんです」

 事件が起こる前、あのコンビニにはイケメンが現れるという噂が広がっていたようで、人手不足だったのだがバイトに応募が殺到したなんてこともあったらしい。まったく、本当にしょうもない理由ではあるが、その現象は兄が目撃されたスーパーや飲食店でも起こっていたそうだ。

「亡くなったのを知った時は、それはもうみんな泣いていました。飛鳥さんは本当に、誰に対しても優しい方でしたし……でも、真衣ちゃんは特に本気で好きだったみたいで————長かった髪も、ばっさり切ってしまって」

「髪を……?」

「そうなんです。多分腰くらいはあったんじゃいかな? いつも後ろで一つに縛っていたから……————あぁ、すみません。引き止めてしまって。少しのつもりだったのに……では」

 店内に別の客が入っていくのを横目で見て、男性店員は何度もへこへこと頭を下げた後、慌てて戻って行ってしまう。

「よっぽど、ショックだったのね……」

 母は髪のことを聞いて、家近さんに同情しているようだった。家近さんのやっていたことは、ストーカーに近い異常性はあるものの、髪をばっさり切ってしまう心理もわからなくはないらしい。直接フラれたわけではないが、失恋したのと同じだ。もう二度と会うことも、その思いを伝えることさえできないのだから……

 私たちは車に乗って、家に向かって出発した。はっきり兄が殺された理由はわからないが、家近さんの話から兄が横田葵につきまとわれていたのは事実なのだろう。きっと横田葵も、家近さんのように兄に一方的に恋をして、それが何かのきっかけで、殺人にいたることになってしまったのだろう。

「すっかり、遅くなったな……」

 予定より少し遅れてしまったので、いつも安全運転な父が、珍しくスピードを出した。空腹だったのをすっかり忘れて、後部座席の窓越しに外の風景をただ眺めていた私は、車が一時停止した時にスーパーの看板を見つける。兄がヌクマムを買ったスーパーだ。コンビニとは違って、割と広い駐車場には車が何台も止まっている。緑色の大きな看板がこれでもかというくらい存在感を主張していた。



 * * *



 二日後の昼、白いダンボール箱が一つ届いた。兄が勤務していた会社から届いた私物だ。おそらくデスクで使っていたであろう文房具やスマホの充電器、予備のシャツやネクタイが一度も使われないまま袋にそのまま入っていた。その中に、割れないように新聞紙で梱包されていたものがあったので、私はてっきり中身はあのマグカップだと思っていた。ところが、新聞紙を剥いでみると、可愛らしい赤い蓋のガラス瓶が出てくる。兄の好きだった苺味の飴が、半分ほど入っていた。

「会社でも、苺味ばかり食べていたのね」

 母はそれを見て、笑った。『向井ハイツ』でも大量に苺味のお菓子が出て来たが、まさか会社にも常備していたとは……

「まったく、こんなに苺味が好きなのに、なんで転職したんだろう」

 兄が最初に就職した大手の食品会社は、苺味のお菓子や飲み物もたくさん作っている。そこに就職が決まったと報告を受けた時、家族みんなで笑った。まさか兄が好きなお菓子を作っている会社を第一志望にしていたとは思わなかったからだ。実際に働いてみたら、何か理想と現実が違ったのだろうか。実はブラック企業だったとか、何かノルマがきつかったとか……今となっては、そんな話も本人から聞くことはできない。


「これで全部ね」

 母は中に入っているものを確認のために全て出して、リビングの床に並べていた。私も手伝ったが、特に奇妙なものはない。しかし、箱をひっくり返してもあのマグカップは出てこなかった。

「マグカップ、入ってないね。本当に、お兄ちゃんの部屋にはなかったの?」

「ないわよ。あの部屋にあったのは、食器だって片手で数えられるくらいしかなかったし————……変ねぇ、割って捨てちゃったのかしら?」

 割れ物だから、いつかそうなってもおかしくはない。でも、それならそれで、割ってしまったと話してくれてもいいじゃないかと思った。兄にあげたとはいえ、私の最高傑作だったのだから。もうどこにもないとわかると、急に残念な気持ちになる。

「届いたのって、この箱だけだよね?」

「そうね。お兄ちゃんの会社から届いたのは、一つだけよ? あとは————ああ、そうだ。届いたといえば、あの荷物、どこに置いたかしら?」

「荷物?」

「ええ、確か、陽菜ひながあのタッパーを捨てに行っていた時、宅配の人が来て————お兄ちゃん宛に荷物が一つ。食料品ではないみたいだったから、そのままにしてあったんだけど……」

 母と私は、二階にある兄の部屋に入った。兄が高校生だった頃のほぼそのままの状態で保たれていた部屋は、今『向井ハイツ』から運び出した荷物がダンボールのまま積まれている。

「ああ、これよ。これ」

 母は未開封のままの兄宛に届いた荷物の箱を見つけ、私に手渡した。

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