2-1 諸田部長の『おまわりさん記念日』

「おい、諸田部長、例の永岡光平の突き落としの件はどんな感じだ?」

「えっ? はいっ。まだ桜台風子と永岡光平が実際どの程度険悪だったのかを調べてまして、その」

「お前、ぬるいぞっ? もっとキビキビやれないのか!」

 下見警部補は今日も当たりが強い。

 なんなのよ。

 女性蔑視というか、お前を安く見ているぞっていうオーラがガンガン飛んでくる。

 希望が叶ってやっと入れた少年係だけど、なんか、少し思惑が外れた。

 と、言うより私、警察官自体がむいていないのかも知れないけど。

「あのー、諸田部長、ちょっといいですか?」

 この男性巡査は、いま職場実習中の新任さん。

 優秀な大学を卒業して民間の会社で働いていたらしいけど、どうしても警察官になる夢を諦められなくて、もう一度勉強しなおしてやって来たらしい。

 年齢は私よりふたつ上の二十七歳。

 この四月から職場実習生として我が署に配置されたんだけど、なんだかあんまり要領良くない感じで、年下みたいに感じてしまう。

 私は高校を卒業して真っ直ぐ警察官になった。

 今年で七年目。

 同期生の中でもかなり早い、二度目の挑戦で巡査部長昇任試験に合格した。

 去年の春、巡査部長に昇任してこの署へやって来て、面接で申告した希望どおりに、いきなり念願の少年係に配置となった。

 そして今日までの一年間、この品性下劣の下見係長の下で主任を務めている。

 実は、私のお父さんも警察官。

 いまはこの署とは別の地区の警察署で、少年係の係長をしている。

 『いいかい? 桃子。警察官もいろんな人間がいるからね、辛く当たられることもあるだろうけど、自分の目指す道を見失ったらいけないよ?』

 ずっと少年警察ひと筋で、いつも素行不良少年の立ち直りに心血を注いできたお父さん。

 お父さんは、いまもよく時間外で少年たちのところへ行っている。

 少年から夜中に電話がかかってきて心配して会いに行ったり、逮捕した少年をどうにかして立ち直らせようと汗だくになって一緒にボランティア活動をしたり。

 そんなふうに、たとえ世の誰もがその子を見捨てたとしても自分だけは信じ続けると、少年警察への想いを語ってくれたお父さん。

 そのお父さんの背中を見て、私は警察官になろうと決めた。

 そしてお父さんと同じ、少年警察の道を希望した。

 でも、お父さんみたいな警察官は、そうたくさんは居ない。

 私も……、お父さんのようにはなれないと思う。

 あの、永岡光平という男子生徒。

 私は、彼を信じてあげることができない。

 彼のすべてを見透かしたような冷淡な目は、どうやっても心を許さない目だ。

「――ちょう? 諸田部長? どうかされましたか?」

 目の前に不意に現れたのは、心配そうに私を覗き込むふたつ年上の新任くんの顔。

 うわ、近い近い。 

「え? あ、ごめん。ちょっと考え事してた。どうしたの?」

「えっと、永岡光平の件で聞き取りのために呼んであるかさみやびって子、やって来たんで外の長椅子で待たせてますけど」

「ありがと。第二取調室に入れて」

 はぁ……、なんだか気が重い。

 明日はお休み。

 最近、ちょっと思い詰めすぎかも。

 たまには、洋服でも買いに出掛けてみるかな。

「よく来てくれたわね。御笠さん」

 私らしくない、乾いた笑顔。

 その笑顔をなんとも白々しく感じながら、私は取調室へと足を踏み入れた。




 私が警察官をしているこの県は、北と西にふたつの政令指定都市がある地方県。

 住んでいるマンションは、ターミナル駅のひとつ南の駅から歩いて五分くらい。

 ちょっと狭いけど中はけっこうキレイで、独身女が一人気楽に暮らすには充分。

 けっこう気に入っている。

 いつもよりずいぶん遅い朝。

 久々になにも予定がない休日は、思った以上にいい天気。

 昨日はいつもより長めに残って、下見係長に指示された家庭裁判所へ送る書類を全部完成させて帰宅した。

 だって、今日はどんなことがあっても絶対に休日出勤はしないって決めてたから。

 いい朝だ!

 さて、なにもしないで部屋でブルーレイでも観るのが一番体力を消耗しないけど、それでは気分転換にはならないな。

 やっぱりどこかへ出掛けよう。

 映画がいいか、それとも博物館や美術館がいいか……。

 そんなことをあれやこれやと考えながら朝食の準備をしていて、ふと気がついた。

 これが私の悪い癖だ。

 きっちり計画を決めて、それに沿って効率よく予定をこなす。

 何事もきちんとして、整然としていないと気が済まない。

 だから超現場屋の下見係長とはまったく合わないし、同僚らともなかなか距離を縮めることが難しい。

 せっかくのリフレッシュデーだ。

 今日はとことん無計画でいこう。

 たぶん、今日一日が終わってしまえば、「ああ、なんでこんなに無計画に過ごしたんだろう」なんて自己嫌悪に陥ることは目に見えているけど、それでもいい。

 たまには私らしくないことをするか。

 朝食の準備をやめて、いつもは後ろでギュッとまとめている髪を下ろしてヘアアイロンを掛けた。

 職場へはなかなか着て行き辛かったレンガ色のオータムコートを引っ張り出して、Tシャツの上にラフに引っ掛けてブルージーンズと合わせた。

 ちょっと砕けすぎかな。

 でも、我ながらかわいい。

 目指すはターミナル駅と、そこから地下鉄でつながるこの政令市随一の繁華街だ。

 知っている少年に会わないといいけど。




「だから、違うと言っておるだろう! 内緒で約束などしとらん! 委員長、どうしてそんなに疑うのだ」

「ハルダと駅で会ったとき、風子も見てただろ? ほんとに偶然出くわしただけじゃないか」

『ほんとー? せっかくのデートなのにぃ。ハルダがついてくるとかありえーん』

 うわ。

 言ったそばからこれだ。

 ターミナル駅から地下鉄で西へ行った繁華街。

 赤や黄色の原色で彩られた、曲線が美しい建物の大型商業施設。

 上りのエスカレーターに身を預けたとき、そのふたりの背中が目に入った。

 休日の人波の中、私の数メートル先のステップに並んで立つふたりの男子高校生。

 ひとりは知らない子だ。

 メガネを掛けたかなりの長身で、おおよそバレーかバスケットをやってそうながっちりした子。

 なにやら変な言葉遣いをしている。

 もうひとりは、そう、よく知っている顔。

 白の綿シャツにジーンズというカジュアルな格好だけど、その人間性にカジュアルさはない。

 あの、何者をも見透かしたような目、吐き捨てるような物の言い方。

 間違いない、彼は永岡光平。

「風子、僕はデートだなんて――」

「だいたい、キミらデートとかおかしくないか? ひとからはあれほど犬猿の仲と評されていたくせに!」

『なんですとー? あたしは一度も光平とケンカしたことないもん。ね? 光平』

「しょっちゅうしてたじゃないか。そんな僕らがデートなんてありえない」

『えー? CMで観た映画が面白そうって言ったら連れて行ってくれるってなったんじゃん』

「なんでそれがデートになるんだよ。ただ風子を連れて来ただけだろ」

『でも一緒に行くんだからデートでいいもん』

「僕はただの付き添いだ」

『むむむー! 素直にデートって言えー!』

「キミら、少し仲良すぎではないか?」

 え?

 よく聞こえないけど、デート? 

 あの男の子ふたりは、これがデートだと言っているの?

 ちょっと待って。

 私には未知の領域。

 最近はボーイズラブなんて話をよく聞くけど、いや、私が好んで聞いているわけではなくて、勝手に耳に入ってくるんだけど、これってもしかして、ホンモノ?

 ああ、人は見かけに寄らないというけど、永岡光平にそんな高尚な趣味があったなんて。

 まぁ、あの長身の男の子はそれなりにカッコイイけど、それにしても意外……。

「あー、ここだ。うわ、まだ午前中なのになんでこんなに人が多いんだろ。酔いそう」

「なんと、これは大盛況なのである」

 ここが目的地?

 四階へ来たということは、映画ね。

 ふたりでなんの映画を観るのかしら。

 え? まさかこれ?。

「ぐぬぬ、これは恋愛映画ではないか!」

「いや、だから言っただろ? 本当に一緒に観るのかって」

「永岡、お主、本当に付き添って入れるのかっ? というか、周りから見たらお主ひとりだぞっ?」

「え? うん、まぁ」

『光平は大丈夫だもんねー? 光平ってねぇ、けっこうロマンチストなんだから! そういうことで、ハルダはそっちの血まみれホラーねっ!』

 よく聞こえないけど、なんか不自然な会話。

 ふたり以外にも、誰かもうひとり居る感じ。

「ホラーだと? 恐いではないか! ぐぬぬ……、恋愛映画か……。ええい、毒を喰らわば皿までだ」

「ハルダ、無理しなくていいよ。風子のリクエストだし。僕はまぁ、そんなに嫌いじゃないんだ」

『へへーん、光平のお部屋にはおおーきな本棚があるんだよー? 恋愛小説もいーっぱいっ。「聖いつき」とか読んでるし』

「風子、それはプライベート情報だ」

『いいじゃん。なんかカタブツみたいに思われてる光平が実はけっこうロマンチストだとか、ギャップ萌えで』

「はぁ、いったい誰が僕に萌えるんだよ」

『あたしあたし』

「勝手にしろ」

「……キミら仲良すぎ」

 一緒に恋愛映画を観ようというの? 

 やはり、このボーイズラブはホンモノかも。

 ん?

 どうしたのかしら、なんだか様子が……。

「永岡よ、どうした」

「いや、あの子。どうしたんだろう? ずいぶん不安そうにきょろきょろしてる」

「おお、あの通路の端っこに居る野球帽の子であるか。そういえば親御さんの姿が見当たらぬな」

「うーん……、もうあんまり時間ないな……。風子、映画が次の時間になってもいいか?」

『あはは、もっちろん! だって光平だもんねぇ』

 うわ、永岡光平が映画館のエントランスから引き返してくる。

 だめ、見つかっちゃうっ。

 やばいやばいやば……、ん? 

 私の横を素通りですか。

 あら、あの子……、もしかして、迷子?

「ぼく? ママはどうした?」

 男の子の前で片膝を付いた永岡光平。

 私は思わず身を乗り出した。

 男の子は五歳くらい。

 地元プロ野球チームのレプリカキャップを被っているその子は、露天になった通路の壁に背をつけて、ひとり不安そうにしている。

「ママにここで待っているように言われたの?」

 いまにも泣き出しそう。

 いろいろ尋ねても何も答えないみたい。

「そうか。じゃ、お兄ちゃんと一緒にママを探そう。おいで」

 ハッとした。

 初めて見た、永岡光平の笑顔。

 彼、あんな顔して笑うんだ。

 普段の冷淡ですべてを見透かしているような大人の顔じゃない、高校生らしいあどけない笑顔。

 下見係長は言った。

『目を見れば分かる。とんでもない、したたかな少年だ』

『成績はすこぶる優秀でクラス委員なんてやってるみたいだが、どうせ協調性なんてまったくなくて、教会の息子のくせに慈悲の心なんて一切ない野郎だろ』

『なぁに、周りの人間に聞き取りすりゃ、すぐにそういうヤツだって証言がわんさか集まるさ』

 初めて彼のその目を見たとき、私も「ああ、なるほど。係長が言ったとおりの子だ」と思った。

 でも、考えてみれば、それは下見係長がそう言っただけだ。

 私が……、私自身が彼をちゃんと見て、彼と話して、直接その人となりを読み取ったわけじゃない。

 あの、普段の彼からは想像もできない、優しい笑顔……。

 昨日、警察署へやってきてくれた御笠雅という女の子は言った。

『永岡くんは、本当はとても優しい。彼を疑わないで』と。

 聞く相手を間違った……、正直、そう思った。

 名乗りを挙げてくれたので呼んだが、幼馴染みと聞いて失敗したと後悔した。

 幼馴染みなら、彼のことを悪く言うはずがない。

 庇って当然だ。

 そして私はもう、最初からあの子の話を聞く気がなかったんだ。

 植えつけられた先入観、表面だけの印象、そして勝手に思い描いたストーリー。

 彼のことを庇う女の子など、まったく信用できないと烙印を押したんだ。

 私は大バカだ。

 どうしようもない、大人のなりそこない。

「永岡よ。どうするのだ」

「そうだな。インフォメーションに連れて行こう。名前を言わないから、この帽子や服装の特徴を館内放送で流してもらおうか」

『そうねー。インフォメーションに行く途中でママに会えるかもしれないしー。さっすが、光平は優しいねぇ』

「おだててもなにも出ないからな」

『おだててなんかないよぅ。あたしはね? 光平が本当は優しいってことちゃーんと知ってるんだから』

「ふん。それは風子の勝手な思い込みだな」

『そんなことないもーん』

「もうキミら、付き合ったらよいのではないか?」

 それから私は、彼がその小さな男の子の手を引いて露天の通路を遠ざかっていく後ろ姿を、しばらく放心して眺めていた。

 あの長身男子も、その様子からずいぶん永岡くんを信頼しているのが分かる。

 もしかしたら、あのときの永岡くんの電話の向こうに居た誰かも、彼を正しく理解して、そして心配してくれていた友達だったのかもしれない。

 そのとき、突然、ポツポツと足元で踊り始めた雫。

「……雨?」

 ふと見上げると、抜けるように青い秋空はそのままなのに、どこからかずいぶん優しい雨が舞い降りていた。

 ふわりと水滴がついた、私らしくなく緩やかに下ろした髪。

 あの歳上の新任くんも、今日の私とすれ違っても私だと気づかないかもしれない。

 でも、この私も本当の私だ。

 日ごろ見ている部分だけでは知ることができない、普段は誰にも見せない私。

 なんだか、この雨が本当の私をさらけ出してくれて、いままでこだわっていた小さなことを全部洗い流してくれるような、そんな気がした。

 そうだ。

 もう一度、最初からやり直そう。

 下見係長から聞いたことを全部忘れて、掛け違えたボタンを全部外して。

 私は、おもむろにスマートフォンを取り出した。

 一昨日かけたときと同じその番号を、もう一度鳴らす。

「もしもし? 突然ごめんなさい。二日市警察署の諸田です。私のこと分かる? あの……、昨日、最後ちょっと言い合いになってしまったじゃない? 私、とても反省しているの。よかったら今から、もう一度ちゃんと話を聞かせてくれない? なんなら家まで迎えに行くわ」

 さて、これで結局お休みはナシね。

 ほんと、こんなことになるなんて、なんて無計画な休日なのかしら。

 でも……、でも、ぜんぜん惜しくない。

 だって今日は、私もお父さんみたいな少年たちを信じる「警察官」に……、いえ、「おまわりさん」になろうって決心した、その記念日だから。

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