森田君
改めて今朝の夢を振り返ってみると不思議なことばかりだ。目に映る光景も触れた感触も現実ではないはずなのに、現実と遜色ないほどリアルだった。それに夢であることをはっきりと自覚していた。いままでも夢の中で夢だと分かるときはあったけど、今朝の夢はそういうレベルではない。現実のように意識があって、状況を理解して、行動することができていた。
あれは本当に夢だったんだろうか。もしかしたら別世界に行っていたとか? まるでアニメの世界みたいに。
今日一日ずっとそんなことを考えていた。窓から景色を見下ろしながら想像を膨らませるのは楽しい。
ただ、ぼーっと考え事をしているのを見抜かれていたのか、今日は授業中に当てられることが多かった気がする。幸い前日に予習していたおかげで答えに詰まって変に注目されるということはなかった。心配しなくても目立たないわたしのことなんて、クラスのみんなは特に気に留めていなかったと思うけど。
帰りのホームルームが終わると、わたしは急いで教室を出た。もう一度、あのお店に行きたかった。あの夢のような時間を味わいたかった。
下駄箱で靴を履き替え、早足で校門まで向かう。右手側にはグラウンドがあって、野球部やらサッカー部やら陸上部やらが部活動の準備をしていて、ときどきかけ声のようなものも聞こえてくる。目もくれずにスタスタと歩いていると、誰かから呼ばれたような気がした。少し速度を落としてグラウンドの方に顔を向けると、後ろから聞き馴染みのある声が自分の名前を呼んでいて、わたしはため息をつきながら振り返った。
「天野、呼んでるんだから止まれよな」
サッカーのユニフォームを着た男子生徒が駆け足でわたしの方に寄ってきた。
さっぱりと短く整えられた髪と日に焼けた肌。いかにもスポーツ男子という見た目だ。
「ああ、森田君。ごめん。聞き間違いかと思って」
森田君はサッカー部のエースで、クラスでも目立つ存在だ。勉強はあんまりだけど、そのぶん運動神経が良くて、誰にでも分け隔てなく接する優しさがある。明るくてユーモアもある彼はクラスを超えて学年の中でも男女を問わず人気があり、傍から見れば非の打ち所がない。
「なにか用?」
「いや、用っていう用は……見かけたから声かけただけで……」
森田君はそう言って横に目線を逸らしながら人差し指で頬を掻く。駆けてきたせいなのか夕陽のせいなのか頬が紅潮しているように見える。
「あ、そう」
用が無いなら話かけないで欲しいと思ったけど、さすがにそれは口に出さなかった。
お互い無言のまま少し間が空くと、森田君が思い出したように言った。
「そう言えば天野、今日はやけにぼーっとしてたな。ずっと窓の外見ててさ、そのせいで授業中当てられまくってた」
森田君は楽しそうに笑っている。
見られていたのか。誰も気に留めていないと思っていたから、指摘されて恥ずかしくなる。緩んだ顔だけは見られていないと信じたい。
……というか、わたしの席が窓際の一番後ろで森田君の席は二つ離れた列の真ん中だから、わたしのことは後ろを向かないと見えないはずだ。わたしが言えたことじゃないけど、授業中によそ見は良くない。成績がいまいちなら尚更だ。
わたしはムッとしてすかさず言い返す。
「それに気づくってことは森田君だってよそ見してるじゃん」
「え? あ、いや、高梨がさ、ちょっかい出してくるから……」
慌てて弁解する彼に、わたしは「ああ、なるほどね」と相槌を打った。
高梨君は森田君と同じサッカー部で、二人は仲が良い。高梨君は森田君のちょうど真後ろの席なので、授業中でも関係なく構ってくるのだろう。お調子者の印象が強い高梨君なら十分あり得る話だ。
「おーい! 良介! そろそろ集合だぞー!」
噂をすれば高梨君が遠くから森田君のことを呼んでいる。練習が始まる時間なのだろう。
「分かったー! いま行くー!」
森田君は振り返って返事をしてから、「じゃ、また明日」とわたしに手を振って駆けていった。わたしも小さく手を振り返して、校門へ足を向ける。
歩き始めてすぐ、注目を集めてしまったのか、数人の女子生徒がわたしの方を見てヒソヒソと話しているのが見えた。わたしはうんざりするように深いため息をついて、逃げるようにその場を後にした。
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